すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞き出す連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。
「おなかの具合はいかがですか?」。お任せをひと通り召し上がっていただいたあと、お客さまにかける言葉です。20カンもの握りを食べて、食べ足りないものも追加していただいたあとなのですが、ほとんどの方は巻き物をご注文くださいます。そして、言われるのです。「お腹いっぱいなんだけど入りますね」。それだけおいしいと認めてくださっていることですから、この言葉を聞くとうれしいもんですよ。
かんぴょう巻き、きゅうり巻き、鉄火巻き、おぼろ巻き、穴きゅう巻きのなかからお好みのものをお出しするのですが、以前は鉄火巻きが多かったのに、最近ではかんぴょう巻きの注文が多くなりました。15年前はまったく人気がなくて、かんぴょうを大鍋に一回仕込めばそれを使いきるまで結構、時間があった。でも最近はあっという間になくなってしまうんですよ。「あれ? もう(かんぴょうの)次の仕込みかい?」と若いもんに言うことがよくあります(笑)。開店から一度も切らすことなく、手間隙かけて作ってきたからお客さまにもようやくおわかりいただけたのでしょう。ありがたいことです。
昔は海苔巻きというとかんぴょう巻きのことを指していました。一般の家庭でも食べられる、庶民にはおなじみの味なんですね。かく言う私もかんぴょう巻きは好きですよ。山登りするときはかんぴょう巻きを持って行きたいと思いますから。ほんのり甘いかんぴょうとすし飯の酸味が疲れを癒してくれるんですよ。
そうした自分の思いもあるからでしょうか。かんぴょうにはひと手間もふた手間もかけています。何より、かんぴょうはあまりにも家庭的すぎて「たかがかんぴょう」と言われがちなネタ。それをすし屋でお出しするために工夫を凝らすことは、プロとして当たり前のことでしょう。
まずかんぴょうを巻くときの海苔と同じ長さに切ってから真水にひと晩漬けます。やわらかくなったら塩をふってていねいにもんでゆでます。爪の先端がかんぴょうの身にちょっと入るくらいがゆで上がりの合図です。栃木産のかんぴょうを使っているのですが、良質のものはゆでたときに伸びがあります。
そして、水にさらして水気を絞ってからが肝心。まな板の上にかんぴょうを一本一本広げ、厚みがあって硬いところと薄くてやわらかいところを選別するんです。つまり、硬いところは包丁で切り取ります。そして、硬いところとやわらかいところに切り分けていき、やわらかいところだけを集めて煮ていくのです。海苔巻きにして食べたとき、ちょっとでもゴロゴロした違和感があると嫌なものですからね。全部同じやわらかさにして、口にすっとなじむ食感に仕上げていくんです。取り除いたほうのかんぴょうはどうするかですって? 別に煮てからまかないにしたり、家に持って帰って食べたりします。硬いところといっても、味は十分においしいんですから。そんじょそこらのすし屋には負けないくらいですよ(笑)。
かんぴょうは手巻きに向いてないですよね。これは絶対に巻きすで巻いたほうがいい。口に入れたときの海苔の香ばしさ、はっきり効かせたすし飯の酸味、そしてやわらかく煮たかんぴょうの甘さ、これらが一体感をみせたときに、しみじみおいしいと感じるものです。かんぴょうを二日かけて仕込む、海苔を毎朝焙る、すし飯をお客さまのタイミングに合わせて炊き上げる。つまり、シンプルなんだけど、それぞれにきちんとした仕事を施したときに、初めて満足してもらえるものとなるのです。こはだを食べるとすし屋の実力がわかるといわれますが、かんぴょうも、その尺度のひとつだと思います。
山本益博 監修、管洋志 撮影
本記事は雑誌料理王国第166号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第166号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。