「すきやばし次郎」小野ニ郎の「すし屋の心得」#3


すし屋の門を初めてたたいてから50年以上もの間、すしを握り続ける銀座「すきやばし次郎」の主、小野二郎さん。彼が求め続けるすしとは、職人の姿とは。二郎さんが「もっとも信頼していて話しやすい」と名をあげる料理評論家、山本益博さんが、その言葉を聞き出す連載。ジャンルを超えてすべての料理人に伝えたい。

一、わかってくれるお客さまがいる限り手を抜けない

『ミシュラン東京』が発行され、おかげさまで星を三ついただけて世間では大変なことになっているようです(笑)。でも、私はこれがきっかけとなって、世界中に本物の江戸前ずしの味が伝わっていけばいいなって思っているんです。だって、すしのことを「ごはんに刺身をのっけるだけの単純なもの」なんて考えている人が、本当に多いんですから。

実は(ジョエル・)ロブションさんだって、最初はそうだったんですよ。
あの方が最初にいらしたのは、もう22年も前になりますかね。店に入られたとき、なんとなく不信感を持っていらっしゃったのはわかりました。すしに対して、言葉は悪いですが「たかがすし」って思っていらっしゃったようですし、地下にあるということもご不満だったようです。

でも、カウンターの席に着かれてからあたりを見回し、「魚の臭い、酢の匂いがしない。自分の店以外でこんなに清潔にしているところがある」と、言われた後、険しい顔が一瞬緩みました。そして最初のひと口、白身の魚を召し上がってからは目つきが変わりましたね。私の手元を、じーっと見つめる。そしてできたすしをすぐに召し上がってなんとも言えない顔をなさる。おいしいと感じていらっしゃるお客さまはすぐにわかりますよ。目尻がね、やさしくゆるみますから。

3個目を召し上がったとき、「ごはんだけを握ってほしい」と言われたんです。誰に言われたわけでもないんですよ。シャリだけを1個握って、また1個。外国の方でこのような要求をされるのは初めてでしたから、驚きましたよ。あの方がこれまで食べられてきたすしは、冷たいシャリの上に刺身をのせたもの。でも私のすしはひと肌の温度のシャリに魚をのせるので、その温度に驚いたのでしょうし、何より「すしの味はシャリで決まる」と信じる私のこだわりを、舌と鼻で見抜いたのでしょう。
そう、あの方の味覚と嗅覚は桁はずれなんですよ。

世界的なシェフ、ジョエル・ロブションは、来日すると必ず 「すきやばし次郎」に立ち寄る。30回は来店しているそうだ。
二郎さんの手元が目の前に見える場所が定位置。

食べてほしいものに反応してくれる喜び

こんなこともありました。最初に店にいらしてから、もう何度か足を運んでくださっていたんですが、ちょうど2月でいいタコが手に入ったので、初めてそれをお出ししたんです。うちの店でいつもやる通り、1時間かけてじっくり揉んで柔らかくしたものをゆでて切り、粗塩をすっとひいて。すると「このタコは伊勢海老の味がする」。そう言われたんです。それも、じっくり噛んで飲み込んでから、ではなくて、口に入れてすぐ。いつもそうですよ、あの方は口に入れた瞬間に反応されるんです。

天然のタコは甲殻類を食べてますから、その繊細なエサの味を感じ取ったんですね。後から聞きましたが、ロブションさんはタコが大嫌いだったそうです。「ゴムみたいでうまくもなんともない」と敬遠していたらしいのですが、カウンターの目の前にいる私に悪いと思って、我慢して食べてくれた。その結果、あのコメントですから。でも、うちのタコはこれまでのものとは違うと思ってくれたらしく、それからは、2月にいらっしゃるとかならずタコを召し上がります(笑)。

あの方はいいものをけっして逃さないんです。ウニも大好きで、よく「クリームのようだ」と形容されるのですが、季節はずれのものにはけっしてその言葉を使わない。冬場の北方からきた、カキッと身の締まったウニにのみ、その言葉を使うんです。穴子も中トロも大トロもお好きですが、私が自信を持って「食べてもらいたい」と思って出すときにのみ、おかわりされます。口に入れてすぐ、ニコッと笑ってOKサイン。それを見た瞬間は、たまらなくうれしい。

そういう方がいるから、手を抜けないんです。いい加減なすしにはいい加減な客しかついてきません。ここではロブションさんの話をしましたが、いいお客さんは、私の記憶にしっかり残っています。今の季節にうまいハマグリも、なかなか面倒な仕事ですが、認めてくれるお客さんがいるからやり続けることができる。100人にひとりでもわかってくれる人がいる。それを信じて仕事をすることが職人のやりがいなのではないですかね。

すし屋の吸い物の具として使われることが多いが、東京湾で盛んにとれていたハマグリは古典的なすしネタ。長く煮ると固くなるのでさっと火を通し、ゆで汁に砂糖と醤油、みりんで作ったツメで味を含ませる。繊細なハマグリの香りとツメの甘さが絶妙。

繊細な身。火を通し過ぎて固くならないようにさっとひと煮立ちさせるだけ。

殻からはずした身を沸騰直前の湯に入れ、ひと煮立ちしたらざるに取り出す。

雲丹

アワビと同様、最近は特に希少となったが、良質のものを入荷できるのは、業者との信頼関係があってこそ。北海道産のエゾムラサキウニを主に使用。豪快にシャリにのせ、クリーミーな味わい、海苔の香りを口いっぱいに楽しんでもらう仕掛け。東京では冬がいい。

せっかく仕入れた最高級。濃厚な味を楽しんでもらうには
これでもか、の大盛りに。

「すきやばし次郎」名物、ウニの軍艦巻き。板からざっくりと取り出す。

山本益博 監修、管洋志 撮影

本記事は雑誌料理王国第203号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第203号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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