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プロボクサーから料理人へ。ひとりの男性との出会いが人生を変えた「ヌキテパ」田辺年男さん


フランス料理を始めて40年、うち30年は独立しその道を歩み続けてきた田辺年男さん。 140坪の一軒家レストラン「ヌキテパ」は今年で25周年を迎えた。

人に好かれてチャンスをつかみ努力を重ねて第一線へ

ひとりの男性との出会いで目覚めた料理人人生

1979年に29歳でフランス料理の道に入り、以来40年。1988年に独立してから30年を数え、現在営む「ヌキテパ」は今年25周年を迎えた。2017年に「現代の名工」を受賞したオーナーシェフ・田辺年男さんは、その後も変わらず「ヌキテパ」の厨房で腕を振るっている。元体操選手・プロボクサーとして知られる田辺さんだが、ボクシングで世界を目指した矢先、心臓の病で断念。「これからどうしよう」という時、行きつけの屋台の主人に声をかけられ、新宿でおでんの屋台を始めた。そこで料理に可能性を感じ、この道で世界を目指そうとフランス料理へ。そしてひとりの男性との出会いをきっかけに、真の料理人として目覚めた。

フランス料理の修業を始めた頃に用事で三崎に行った時のこと。用事先で初めて出会った石井さんという男性に、車で駅まで送る、家にも寄っていけと言われて行ってみると、漁師の網元だった。

「それで、ヒシコイワシを土産に渡すと言うんです。魚嫌いだからと断ると、それなら食べ方を教えてやると、手でさばいて、椀に張った酢でジャブジャブと洗ってそのまま食べさせられた。それが驚くほどおいしくて、生魚なんて絶対に食べられなかった私が30匹も食べてしまったんです」

実家が魚屋で、身近な存在だったゆえに魚が苦手だったが「鮮度のよい魚はこんなにも旨いんだ」と感動した田辺さん。当時29歳で10年も遅く料理の道に入った身として、自分は魚料理に絞ろう、フランスへ修業に行って、帰ってきたら真っ先にまた石井さんのところへ来ようと心を決めた。この決心が、海産物のフランス料理店として知られる現在の「ヌキテパ」の原点にもなっている。

体当たりで経験を積んだフランス修業

1980年月、30歳でフランスへ。ほぼ経験もなく、言葉もわからないなか、パリの二ツ星レストラン「ラ・マレ」の扉を叩くも門前払いを受ける。しかし「明日から食べにきます」と宣言して次の日から店に通い詰めた。「2カ月で全部のメニューを食べて、全部メモして。最後の日にシェフが出てきて、厨房に案内してくれたんです。で、明日から来いと」。そして次の日から修業がスタートした。5カ月の研修を終え、続いてパリから200キロメートル離れたブルゴーニュの三ツ星「エスぺランス」へ。実は一度断りの手紙がきていたのだが、押しかけで修業させてもらう。クラシックな定番の料理を出す「ラ・マレ」と違い自由なスタイルの「エスペランス」では、大きな刺激を受けた。

「ここでは付け合わせの食材が毎日変わるんです。いいキノコが届けば、舌平目にも定番のアンディーブじゃなくてキノコを付ける。野生のアスパラガスが入ればそれに変わる。それで、素材がよければどんな組み合わせも自由なんだということに気づいたんです。この時、料理人の仕事を始めてよかったと思いました。旨けりゃ好きなようにやっていいんだって。自分の方向性が見つかった気がして嬉しかったですね」

3件目の修業先、三ツ星の「ヴィヴァロア」ではさらにシンプルな料理を学んだ。「アンディーブとアーティチョーク、ズッキーニ、キノコを鍋に入れて粗塩をふり、オリーブ油と白ワインをふって、ミントの葉っぱを散らして蓋をして、12~13分蒸したらそれをお皿に乗せるだけ。その旨さが素晴らしいんです。クロード・ペローシェフはすごい人でしたよ」。休みの日にはシェフとふたりで銅鍋を磨き、シェフの自宅で昼食を共にすることもあったという田辺さん「。エスペランス」でもひたむきな仕事ぶりが認められ、シャンパーニュを1本振る舞われることもあった。どの修業先でも経営者に愛され、多くを学んだ。

当時は三國清三さんや北島素幸さん、𠮷野建さんなどもフランスで修業していて、現地で出会うことも少なくなかったという。現在の日本のフランス料理界を支える名シェフたちが血気盛んな若者としてフランスで腕を磨くなか、田辺さんも確かな技術を身につけ、1983年9月に足かけ3年の修業を終えて日本に帰国した。帰国後真っ先に、三崎の石井さんの元へ。ご飯と味噌汁、納豆とたくあんにイカの刺身の食事をご馳走になりながら、発泡スチロールいっぱいの魚を分けてもらい、以来石井さんが引退する4、5年前まで、店で使う魚を仕入れ続けた。


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