フランス北東部アルザス地方のイローゼン村に店を構え、世界有数のグランメゾンとして知られる「オーベルジュ・ド・リル」。今から150年以上も前にエーベルラン家が創業した一軒の小さなレストラン「アルブル・ヴェール」がその原点である。「アルブル・ヴェール」は第二次世界大戦により倒壊するも、1949年、三代目であるポール・エーベルラン氏が弟と共に「オーベルジュ・ド・リル」として復興させ、51年に一ツ星、67年には三ツ星を獲得した。現在の当主マルク・エーベルランさんは四代目にあたる。
「オーベルジュ・ド・リル」の屋号を受け継ぐ店は日本にしかない。名古屋、東京、札幌の3店舗。マルクさんは毎年必ず年に2度来日し、スタッフと共に厨房に入る。
2018年12月には、名古屋と東京で開かれたガラディナーのために来日。名門の四代目グランシェフに、長年地元で愛され、星を守り続ける秘訣を聞いた。
──いつ頃から料理人になろうと決めていたのですか?
子どもの頃の記憶の中には、星付き料理人としての父の姿があり、ヒーローでした。13歳頃だったでしょうか、当時は料理人の数も少なく非常に忙しくて。学校がないときには私も厨房に入り、野菜をゆでたり、魚の下処理をしたり、手伝いをしていました。同世代の見習いの人たちと一緒に働くのが楽しく、自然と料理に興味を持つようになり、15歳の時に調理学校に入りました。
──他の道を考えたことは?
幼い頃には漠然と、ジビエなどの狩猟場の管理人になりたいと思っていたし、レーサーにも憧れていましたよ。今でも車で走るのが好きで車好きのシェフ10人に選ばれ、プロレーサーとともにサーキットを走ったこともあります(笑)。
──歴史ある名店を受け継ぐことになって、プレッシャーはありませんでしたか?
調理学校を出た後、「ポール・ボキューズ」や、パリの「ラ・セール」、「トロワグロ」、「ルノートル」で修業をつみ、23歳で「オーベルジュ・ド・リル」に戻りました。今でこそ国内外から多くのお客さまに来ていただいていますが、そのころは、メディアに騒がれることもない地方のレストランでした。
1967年に初めて三ツ星をとったときでも、地元の新聞にも取り上げられませんでした。13歳だった私は、まだ、その意味さえ理解していませんでした。しかし、実はその時、父は、三ツ星を返上させていただきたいと申し出たのです。
──それはなぜですか?
私たちは、地元の人々の愛情と支えがあってこその小さなレストランでしたので、メディア露出によって国内外から多くのお客さまが来店することになった時、地元の人々が利用しづらくなるのではということを第一に懸念したのです。
──家族経営で、150年も続く理由はそこにあるのですね。
料理担当の父とサービス担当の叔父とともに30年間働き、母や妹も含め、家族全体が中心になって営んできました。エーベルラン家が築いてきた「レストランは家族である」という言葉が象徴するように、家族でもてなす特別な幸福感こそが、私どもの魂だと思っています。
──お父さまのほかに、憧れの料理人はいらっしゃいますか?
これまで多くの素晴らしいシェフと出会いました。そのなかで私にとって最高のシェフは、ポール・ボキューズさんです。彼は偉大な料理人というだけでなく、時代を先取りする先見性を持っていた。そこがすごいところだと感じています。
──昨年亡くなられて残念ですね。
父の親友であり、幼い頃から家族ぐるみのお付き合いをしていましたから、第二の父というべき存在でした。日本にもよく同行させてもらいましたし、日本に店を持てたのも彼のおかげだと感謝しています。
──実家を出て修業した4店で学んだことは?
私は今も修業の身だと思っています。4つのお店で教えていただいたことは、今も守っています。まず「食材に対する敬意」。次に「火入れの正確さ」。そして「仕事に対する愛情」。この3つは4店に共通していることです。そのなかで私は、何よりも「火入れ」が、料理の味わいを左右するので重要だと思っています。
──最近は盛り付けも重視されていますよね。
盛り付けの美しさも、もちろん大切です。これは私の考えですが、凝り過ぎると大切なことを犠牲にしてしまう。盛り付けに時間がかかり、火加減や食材の温度管理があまくなってしまう場合もあります。
──そうした料理哲学がスペシャリテを生んだのですね。
「オーベルジュ・ド・リル」を代表するスペシャリテが、「グルヌイユのムースリーヌ」だと思っています。これは父が50年以上前に考案してから、今も世界中の美食家に求められ、愛されているひと皿です
──ゲストの好みは時代によって変わっていく気がします。伝統の味とはいえ、受け継がれていく間に変えていくことはありませんか?
グルヌイユのムースリーヌは、父のレシピからまったく変えていません。もちろん、時代に合わせてポーションを変えることはありますが、完璧なレシピであれば変える必要はないのです。
──「完璧なレシピ」は、ほかと何が違うのでしょうか。
私どものメニューには、2つのタイプの料理が存在しています。ひとつは、変わらない伝統の(完璧な)レシピによるものと、季節や年ごとに変わるモダンなレシピによるものです。モダンなレシピでは、アルザスのイローゼンでしかない自然環境を、メニューを通じて感じてもらえるように、火加減とか、盛り付けを変えるなど、手を加えて進化させます。しかし、完璧なレシピというのは、その工程がすべて尽くされたものです。料理に進化も必要ですが、変える必要のないものに手を入れる必要はないのです。
それに、50年以上も作り続けている伝統の味を求めて通ってくださる方のためにも、完璧なレシピは変えるべきではありません。
料理人としての人生のなかで、そうした普遍的なレシピをひと皿でも作れたら最高の幸せだと思います。
──レストランに革新が求められるとしたら、どんな点でしょうか。
レストランは料理、サービス、内装などを含めた総合的な美しさやサービスを提供する場所になりつつあります。それらすべてが協奏曲のように合わさってこそ、いいレストランだ、という時代になっています。
ですから、レストランの内装は、非常に重要だと思っています。「オーベルジュ・ド・リル」は、2017年に10年ぶりにリニューアルしました。デザイナーは、アラン・デュカスさんの「プラザ・アテネ」などを手がけるパトリック・ジュアンさん。彼は、私どもの店で食事をしただけで、メゾンの魂を理解してくれる。素晴らしい才能の持ち主です。
──最後に、日本の若い料理人にメッセージをいただけますか。
目新しいことをひたすら求め続けることは、私にとっては、大切なことではありません。また、あの店のシェフがやっていたから私もやる、ということも重要ではない。若い皆さんには「自分が食べたいから作る」料理を大切にしてほしい。シンプルに自分の食べたい料理を作ってほしいと思います。
若い皆さんには、新しい食材や、調理方法など技術的なことを含めて、オープンなマインドで、新しいものを探すことに興味を持っていただきたい。そして同時に、伝統も大切にしていただきたい。フランスでは今、シェフたちが基礎や伝統に回帰しています。やはり、料理人にとって大切なことは、根っこを失わないことなのです。
そして、良い食材をきちんと選ぶこと。最近は、目新しさで興味を引いたり、新しいものを作り続けたりといった傾向が見られますが、私はそれには懐疑的です。なぜならレストランにとって重要なことは、お客さまが本当においしいと感じ、また同じものを食べたいと足を運んでくださることだと思っているからです。
──来日中のお忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。
コートレットピジョン スタイルʻロマノフʼ
La côtelette de pigeon au chou et aux truffes
20年前に考案したマルクさんのスペシャリテ。鳩、トリュフ、フォアグラをキャベツで巻いて焼いてペリグーソースをかけたひと皿で、火入れがポイント。鳩は半生の状態まで火を通し、ゲストに出すタイミングを計算し、余熱でホワイトオブローゼに仕上げる。
Marc Haeberlin
1954年、フランス・アルザス生まれ。料理人の父に憧れ、早くに料理人の道を目指す。ストラスブールの調理学校へ進み、「ポール・ボキューズ」「ラ・セール」「トロワグロ」などの名店で研鑽を積んだ後、1977年に一家の経営する「オーベルジュ・ド・リル」の二代目総料理長に就任。1967年から半世紀以上にわたる三ツ星を守り続ける。2007年、海外初出店となる「オーベルジュ・ド・リル ナゴヤ」をオープン。現在は東京と札幌にも展開している。
江六前一郎=インタビュー 御門あい=構成 依田佳子=撮影
本記事は雑誌料理王国295号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は295号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。