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「平成」が育んだフランス料理界のスターシェフ


レストランの世界的な評価基準「ミシュラン」のアジア進出が日本の料理界を変えた

カンテサンス 岸田周三さん

 日本を代表する料理人のひとりである岸田周三さんは、「ミシュラン」が日本上陸を果たした記念すべき第1号『ミシュラン・ガイド東京2008』で三ツ星を獲得。マスコミを賑わせた。「カンテサンス」オープンからわずか1年、33歳という若さだった。海外の批評家からは「日本に対する評価は甘すぎるのでは──」という声も上がったが、「カンテサンス」は今も、2カ月先まで予約でいっぱいの繁盛店として、三ツ星を守り続けている。 

「平成」が育んだフランス料理界のスターシェフ

 岸田さんが専門学校を卒業して修業に入ったのが平成5(1996)年だから、まさに「平成」が育んだフランス料理界のスターシェフといえる。岸田さんだけでなく、平成が育てた料理人の多くは、臆することなく渡仏して腕を磨いた。

「われわれの先輩たちが苦労されて『日本人は勤勉で仕事もていねい』というイメージを確立してくださった。だからすでに、フランスでの日本人への門戸は開かれていました」

 その一方、どんなに頑張っても日本人がシェフに抜擢されることはなく、「5年のフランス修業期間中も変わらなかった」と言う。しかし、帰国して2年、「ミシュラン」のアジア進出が状況を変えるきっかけに。

「日本の料理人や店が評価されたことで、海外から日本の食文化、食材にも関心が寄せられ、世界的に認知されるようになりました」

 フランスで修業を積んだ日本人の中にはパリで独立して店を開く人も登場した。フランスの料理人も日本人の才能や繊細な仕事ぶりを認め、「日本人シェフの店なら訪ねてみたい」という食べ手が増えていった。「もちろん、『ミシュラン』の評価がすべてとは言えないと思います。しかし、フランス料理だけでなく、日本のすべてのジャンルの料理が、世界的評価基準で判定されるようになったことは、日本の食事情をよく知らない海外のお客さまにわかりやすい。それだけでなく、作る側のモチベーションアップにもつながっていったのではないでしょうか」

 岸田さんの先輩たちは、食材や調味料も思うように入手できず、本場の味の再現にさえ四苦八苦していた。その時代には、日本人がミシュランで星を取ったり、海外で店を開くことなどイメージもできなかった。それが今、「料理人にとって世界中が活躍の場」と言えるまでに舞台は広がった。さらに、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されると、その距離は一層縮まった。

「料理人がしっかりと未来予測図を描けるようになりました。これも平成という時代の特徴だと思います」

インターネットの普及が創作意欲を奪う原因にも

 コンテンポラリーな表現で実力を発揮する岸田さんだが、日本では伝統的な料理も学んだ。その後、パリの人気店「アストランス」で修業。師匠のパスカル・バルボ氏はもちろん、ピエール・ガニェール氏、ミシェル・ブラス氏、フェラン・アドリア氏などが、独自の世界観を展開していた頃だ。2003年には、レネ・レゼピ氏の「ノマ」もオープンした。「僕がこの世界に入った当時のフランスのレストランは、それぞれに個性があって、ひと目で、どのシェフが作った料理かがわかる。そんな料理にいつもワクワクしていました」

 料理が均一化してきたのはいつからだろうか。インターネットの普及によって、世界中の情報が即座に手に入るがゆえに、新作料理を発表してもすぐにコピーされ、本物との区別がつきにくくなった。

 コピーしようと思えばいくらでも素材が転がっている時代。「苦労が報われず、創作意欲がそがれる時代になってしまったのでは」と岸田さんは言う。 そうした時代だからこそ、岸田さんは「流行に振り回されずに本物を追求しよう」と決めた。

 では、本物とは何か──。

「『本物』は自分の経験や感性、育んできた技術の中からしか生まれないと思います」。なぜ、こうなったかという本質を理解しないままにコピーすると、チグハグな料理になってしまうということだろう。

「店名の『カンテサンス』は、物事の本質や神髄につながる言葉として選びました」と岸田さん。開店当初から変わらない強い決意。時代を見極める力が、三ツ星保持の秘訣と言えそうだ。

白子のラビゴットソース
日本ならではの旬の食材、白子をメインに、岸田さんが考える「本物の料理」を表現してもらった。「白子は冷製がおいしいと僕は思うんです」。そこで、特製のブイヨンで火入れをしてから冷やし込んだ。また、白子の食感を引き立てるために、赤ピーマン、赤タマネギ、セロり、フヌイユ、キュウリなどの野菜やピーナッツの酢漬けとピーカンナッツを粗みじんに切って添えた。

Syuzo Kishida
1974年、愛知県生まれ。志摩観光ホテル「ラ・メール」勤務の後、96年に上京し「カーエム」へ。2000年には渡仏。フランス各地での修業を経て、03年より、パリ「アストランス」のシェフ、パスカル・バルボ氏に師事。スーシェフまで務めた。05年に帰国し、翌年「カンテサンス」のシェフに。11年よりオーナーシェフとなった。

上村久留美=取材、文 富貴塚悠太=撮影

本記事は雑誌料理王国295号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は295号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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