昭和初期に建てられた名建築の小学校を現代に蘇らせ、2020年3月、京都・東山に開業したラグジュアリーホテル「ザ・ホテル青龍 京都清水」。
その別棟にある「ブノワ 京都」は世界10カ国に30軒以上のレストランやオーベルジュなどを展開するデュカス・パリがプロデュースするビストロ。東京・神宮前に続く「ブノワ」ブランドの国内2号店だ。
世界中を駆け巡ることで知られるアラン・デュカス氏だが、コロナ禍の影響を受け、来日が叶ったのは実に3年ぶり。「ブノワ 京都」へ念願の初来店を果たした9月23日、インタビューの機会を得た。
約3年ぶりとなる今回の来日において主な目的を尋ねると、コロナ禍の間に開業した「ブノワ 京都」や嵐山の「ムニ アラン・デュカス」(2020年8月開業)に足を運んだことがなかったため、訪れたいと思っていたと話すデュカス氏。
中でも「ブノワ 京都」北側から真正面に臨む法観寺「八坂の塔」や紅葉が始まりつつある東山エリアの美しさが印象に残った様子。
「京都の歴史を感じられる景観や周囲の環境は想像していた以上に素晴らしく、驚きました」
料理についても「とてもクオリティーが高いですね。シェフ(田中耕太氏)がフランス料理をとても好きだという情熱を、そばにいて感じます。彼はフランス料理を日本に伝える素晴らしいアンバサダーです」と話した。
コロナ禍が蔓延する前と後では、日本に持つ印象は何か変わったのだろうか。
「印象は特に変わっていません。どの店舗も日本人スタッフはいつも笑顔で頑張っています。世界的なパンデミックでレストラン業界は打撃を受けましたが、人間は(コロナ禍中の)辛い記憶を忘れることができる生き物。チームの皆やお客様など日本人が通常の生活に戻りつつあるようで安心しました」と穏やかな笑顔を見せた。
さて今回、特にデュカス氏に聞きたかったのが、現在のフランスのガストロノミーについてだ。
「フランスでは今、若いオーナーやシェフによる新しい料理やビジネスが多く誕生しています。彼らが影響を及ぼしたガストロノミーのトレンドは、生産者によるナチュラルで新鮮な食材、オーガニック、そしてローカルフードです。
これらに加え、私が今、大切だと考えているのが動物性タンパク質を抑えた食事です。これにはポイントが2つあります。一つは質のいい動物性タンパク質を追求すること。そしてもう一つがサステナブルであること。
みなさんをベジタリアンにしたい訳ではありませんが、肉の量を減らして品質を追求するべき。そして過剰な飼育や繁殖は必要ありません。
また、魚に関してもどのように育てられたか、どこから来たのかを考えるべき。海の資源に目を向け、獲る量は抑え、陸上養殖などを活用して乱獲しないことが大切です。そしてスマート農業などを駆使して生産者を助けることも必要です。健康にいいことは、地球にもいいことなのです」
1987年5月、モナコ公国のモンテ・カルロにある高級ホテル、ロテル・ド・パリ内の「ルイ・キャーンズ」において、地中海地方特有の食文化を、野菜中心のコースで表現したデュカス氏。南仏の豊かで新鮮な素材と郷土性に早くから目を向け、それまでのヌーヴェル・キュイジーヌと融合させて新時代を作った。
後に魚、野菜、穀物を中心とした自然で健康的な料理「ナチュラリテ」を提案する氏にとって、“健全な素材が健康や食事の喜びを創造する”という料理哲学は、1980年代から揺るがない。つまりは、時代が氏に追いついてきた形だ。
華々しいヌーヴェル・キュイジーヌの時代に、氏はなぜそうした料理哲学に至ったのだろうか。
「農家に生まれた影響が大きいですね。祖母はいつも昼食の献立を決めずにバスケットを抱えて畑を歩き回り、ちょうどいい具合に育っている野菜をその場で収穫して、前年に塩漬けしておいた豚肉の残りと一緒に炊いて、30分後には美味しいプティ・サレが完成していたものです。当時(1960年代)は、肉や魚は週に1回〜2回程度だったのです」とデュカス氏。それだけで動物性タンパク質は十分なのだという。
「先進国ほど動物性タンパク質を多く摂ることを“よし”としてきましたが、それは考え直したほうがいい習慣です。今、ガストロノミーのシェフほど動物性タンパク質を抑える傾向にあるのではないでしょうか。先ほど申し上げた資源の問題、そして多すぎる脂、中毒性のある砂糖が多い食事は悪しき習慣です。いきなりやめることは難しいとは思いますが、世界中が肥満や健康被害といった問題を抱えている今、考え直すべき。そして、1日に多くのお客様を迎えるレストランこそ、こうした習慣を断つような選択をしないといけない。シェフやレストランオーナーは食べ手を教育する責任があると思います」
日本には、動物性タンパク質を使用しない“精進料理”がある。それはデュカス氏が提案するナチュラリテの理念と似ていると伝えると、デュカス氏はこう話した。
「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」で初めてナチュラリテを提案したのは2013年。ナチュラリテはヴィーガンではなく、魚、野菜、雑穀を同等に考える料理です。もちろん、1987年からヴィーガン料理は提案してきたのですが、ナチュラリテを開発する前に野菜料理を進化させたいと思ってリサーチした時に精進料理を知り、影響を受けました。
日本では珍しくないと思いますが、精進料理とヴィーガンのコンセプトを混ぜたら面白いし、日本でなら受け入れられるのではないでしょうか」
2021年6月、パリの旗艦店だった「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」が、ホテルとの契約満了をもって閉店し、周囲を驚かせた。そこから新たなフェーズに入ったかのように、同年秋には本誌でも以前伝えた、サステナブルな美食のあり方を提案するプロジェクト「ADOMO*」を期間限定で手がけ、さらに食堂業態の「サピド」をパリ10区にて開業したデュカス氏。そこでは95%を野菜、5%をサステナブルに配慮して漁獲した魚を使うチャレンジングな試みを行うという。そして今後も「ガストロノミーとサステナブルを両立した料理や店づくりを続けていく」と話す。
いつの時代も自身の料理哲学を軸に新しいアイディアやジャンルに挑み、発信・拡散することでガストロノミーの世界に一石も二石も投じるデュカス氏の精力的な活動は止むことがない。
今回の来日でも様々なメディアで(当記事も然り)、これからのガストロノミーの方向性を問われ、その言葉に影響を受けた料理人によって、さらに業界は発展するだろう。
この10月12日には自伝「アラン・デュカス 味覚と情熱の人生」がフランスで発売された。内容はミッシェル・ゲラールやロジェ・ベルジェ、アラン・シャペルといった師との出会いや瀕死の重傷を負った1984年の飛行機事故について、パリや世界での挑戦といった自伝的内容からガストロノミーのプロモーションや人材の育成雇用などが語られているという。日本での発売が、今から待ち遠しくてたまらない。
text:佐藤 良子 photo:村川荘兵衛 協力:株式会社TANK