1980年代からイタリアに渡り製粉会社のイタリア駐在員として農業加工品の輸入品管理業に従事する大隈裕子が、トマトをキーワードにイタリア20州の料理や食材の歴史を巡ります。
トスカーナで有名な斜塔のあるピサの広場には11世紀に建てられた大聖堂もそびえています。常にいろいろなところが修復され続けられていますが、重いブロンズの扉は1601年に制作されたものだそうです。この扉に施された彫刻の模様には、当時のピサで栽培された多くの植物の果実が使われています。あるときふと目が留まったのは、トマトを見つけたからです。唐辛子とナスもありました(ブドウ、インゲン豆、イチヂクなども)。巨大な扉の制作には数年から10数年を要すると言いますから、少なくとも16世紀末にはトマトがよく知られた植物だったことが想像できます。
南北に伸びるイタリアは気象条件も地域によりそれぞれです。特徴のある特産品や最寄りの港で売買される交易品を使った料理が各地で生まれました。こうした各地の郷土料理にトマトが調味料として加わるのは16世紀以降のことです。
イタリアでトマトレシピを最初に記した人物はマルケ出身のアントニオ・ラティーニ(1642-1692)です。ローマの枢機卿やナポリ総督などの給仕長として仕えてきた料理人が1692年ナポリで出版された『現代の給仕長』のなかで<スペイン風トマトソース>を紹介しています。
「2個のトマトの皮を取り除き小さくカットする。少量のタマネギ、ピーマンのみじん切りを塩とオイルで炒める。トマトと一緒になるように混ぜる。肉食日も精進日も丸いソース用皿に入れて出す」。
ラティーニに次いでトマトレシピを記したのは、イエズス会修道院の料理人フランチェスコ・ガウデンツィオFranceco Gaudenzio(1648-1733)です。トスカーナ州アレッツオの修道院に勤めていた1705年に、手書きで記したトスカーナ料理書『Il Pannunto Toscano』 にトマトの調理法を紹介しています。
スペイン風トマトソース Salsa di Pomadoro alla spagnola
「12個の完熟したトマトを炭火の上で焙り、丁寧に皮を取ってからナイフで細切りにする。みじん切りのタマネギ、ピーマン、イブキジャコソウ、少量の胡椒を混ぜて風味をつけ、塩、オイル、酢で味を調えて美味しく仕上げたソースは茹でたものやそれ以外にサービスする」
というものです。
フィレンツェ出身の貧しい家庭で生まれ、修練士(修道士の見習い)になるが結局司教にはなれなかったようです。しかし読み書きを習得したことで、その後、スポレート、シエナ、ローマ、アレッツォなど各地の修道院を移動しながら、85歳になるまで料理の覚書を記し続けました。彼の手書き料理書が発見されたことで、少なくとも1600年代にはトスカーナ州でもトマトが栽培され、教会関係者食堂で使われていたことを伝える貴重な資料となっています。
時を超えて、本年味わったトスカーナ郷土料理をお見せしましょう。トスカーナ・マレンマ在住の友人アリッサは、オリーブオイルの専門家であり料理研究家でもあります。昨年「Le RICETTE di ALISSA」を出版しました。そのなかからトマトを使った皿をいくつか紹介しましょう。
text:大隈裕子