「ジョージア Georgia」という国について、どれくらいの知識があるだろうか。もしかしたら、旧国名呼称「グルジア」の方がわかりやすいかもしれない。ヨーグルトの産地であったり、相撲ファンなら、小結・栃ノ心関の出身地として知っているかもしれない。
食通の読者なら、ジョージアと言えばやはり「ワイン」だろう。世界最古とも言われる醸造法が受け継がれた自然農法によるワイン。その真実の姿とは──。ジョージアの首都トビリシに降り立った。
2013年、和食とともにジョージアのワインはユネスコの無形文化遺産に登録された。対象となったのは、「クヴェヴリを使った伝統的なグルジア(ジョージア)のワイン製造法」。クヴェヴリとは、ブドウの果汁を熟成・発酵させる素焼きの大きな甕のこと。大きなものなら5000リットル入るものもある。クヴェヴリは、マラニと呼ばれる石造りのワイン蔵内の地中に埋められる。ジョージアの大地の力を利用してワインを造るのだ。
ジョージアのワイン造りの特徴は他にもある、ブドウの果汁と搾りかすを長時間一緒にして発酵・熟成させる。あるいは自然の力を借りることで、極限まで酸化防止剤の添加を抑える、もしくはゼロにする自然農法。そしてもうひとつ、ジョージア のワインをさらに特別なものにしているのが、現在525もあるジョージア固有のブドウ品種だ。このうち417種を自分の畑で栽培しているのが、アメリカから移住してきたジョン・ワーデマンさんである。
首都トビリシを含むジョージア東部のカヘティ地方は、国内のワイン生産の中心地である。トビリシからおよそ90キロ東にある古都シグナギに、ジョンさんのワイナリー「フェザンツ・ティアーズ」はある。「ジョージアは、東部と西部で歴史や気候、食文化が違い、好まれるワインも異なります。当然、実るブドウも違う。そういった多様性を引き受ける力が、クヴェヴリにはあるのでしょうね」とジョンさん。
ジョージア東部は、暑くて乾燥した大陸性気候だ。タンニンが強いブドウがよく実る。農地が多く酪農も盛んで、料理も肉料理からチーズ、野菜とバラエティー豊かだ。
「そのため、東部は西部に比べてタンニンの強いワインになる。それは料理と合わせるためでもあるし、育つブドウにも関係しています」
一方西部は、高温高湿の地中海性気候で、野菜を中心にした軽い料理が定番。だから、しっかりした酸を持つ方が気候にも料理にも合うので、酸度の高いワインが多いという。ジョンさんは、カヘティ地方の代表的なブドウ品種「チヌリ」や「ルカツィテリ」などの単一品種のワインを中心に造る。その一方で、自らが持つ417種類ものブドウを、混醸させて驚きのワインも造っている。
ジョンさんは、そのワインに「ポリフォニー(多重声楽)」と名をつけた。ジョージアのもうひとつのユネスコの無形文化遺産で、コーカサスの山岳地帯で受け継がれてきた伝統音楽の名称である。
「ジョージアには、生命力がある」
ほほ笑むだけで、ジョンさんは多くを語らない。しかし、ジョージア各地に散らばった歴史の断片を丁寧に紡いだ1本のワインには、哲学的なメッセージすら内包されている。
黒海に面したジョージア西部は、高温高湿の地中海性気候で、東部とは違い、牧歌的な雰囲気を持つ。西部のワイン造りの中心は現在、イメレティやグリア地方だが、16世紀までは、トルコと国境を接する南西部のメスケティ地方が隆盛を極めた。「17世紀になってオスマン朝トルコが侵入。ブドウ畑は焼き尽くされ、すべて失われてしまいました」と話すのは、メスケティ地方アハルツィに住むギオルギ・ナテナゼズさん。
ギオルギさんは、どうしても見せたいものがあるという。アハルツィから南へ。トルコ軍が焼き尽くし、草しか生え残っていない山が連なる道を進む。途中から4輪駆動車に乗り換え、さらに山道を登っていく。 辿り着いたのはトルコとの国境にほど近い小さな高山集落チャチカリ村。ここに400年前のブドウの樹が、チェリーの樹に絡みつきながら時を紡いで生きていた。傍らには小さな岩窟がある。内部は、岩を削って作ったサツナヘリ、ブドウを粉砕していた浴槽ほどの遺跡だ。メスケティ地方がワインの生産で栄えた時代のにぎわいが聞こえるようだ。「この村の周辺には400年前まで、テラスと呼ばれるブドウ畑が一面に広がっていて、山の上には石造りのセラーがいくつもあった。そんな時代に戻したい。今やらなければ歴史が断絶してしまう」
失われてしまったメスケティ地方の歴史や文化、さらにはこの地に生きる人々のアイデンティティの復興──。失われた400年のルネサンスなのだ。ギオルギさんはこれまでは、この樹から採ったブドウを使い、プラスティックタンクでワインを造ってきたが、2013年からクヴェヴリによるワイン醸造に挑戦している。樹齢400年のブドウを使ったクヴェヴリ製法。その初ヴィンテージは、今シーズンから登場する。
ジョージアのワインを端的に表現するのは難しい。クヴェヴリ醸造法によって、それぞれの生産者が独自の製法で造ったり、その地の土や気候による発酵・熟成の違いが出たりするからだ。多品種のブドウも要因だろう。しかしそれは、世界のワイン生産地どこにでも言えること。ではジョージアのワインとは何なのか。
カヘティ地方でビオデナミによる伝統的なワイン造りを行うソリコ・ツァイシュヴィリさんは、2003年にワイナリーを設立した。ワイン造りを始める前は、中世文学の研究者だった。ソリコさんは言う。
「生きる喜びを感じることは幸せなことです。私がワインを造るのは、一緒に飲んでくれる人がいるから。その人のために造るワインが、本当の、正しいジョージアワインなんだ」
ジョージアの食事タイムは長い。時に討論が起こり、時に演説が始まり、時にポリフォニーが始まる。取材時も、午後2時から始まったランチが午後8時まで続いた。ジョンさんも同様のことを話す。「『火や水、風のような味』と、私は自分のワインを表現する。それは、テイスティングノートにあるような表現よりも深い気がするんだ」
例えばポリフォニーにおける3人の声の間に生まれる4つめの音。恋人との間に生まれる新しい何か──。「そういった表現をすることで、ともに飲む人と感情の交感も生まれる。だからこそジョージアのワインはそういう表現が適していると思う」
ジョージアのワインの個性とは、各々が語るべき「何か」を内包していること。それはジョンさんの417の断片であり、ギオルギさんの失われた400年でもある。そうした造り手の物語を丸ごとクヴェヴリに詰め込んで、土の中で発酵させる。「だからおいしいんだ」と言ってしまえるのが、ジョージアのワインの魅力だろう。
「世界のワインの基準なんかでは、ジョージアのワインは測れない」
そう言ったソリコさんの笑顔は、彼のワインに描かれている。
江六前一郎=取材、文 邑口京一郎=撮影
text by Ichiro Erokumae photos by Keiichiro Muraguchi