ル・エポックの華〞「マキシム・ド・パリ」が、パリ本店そのままに日本に登場したのは昭和41(1966)年のことだった。総料理長は浅野和夫さん。パリのマキシムで修業経験があることから抜擢されたのだった。当初、浅野さんはこの申し出を固辞した。「パリ本店の華やかさを知っていますから、そんな重責が務まるのかと」。だが周囲の説得により浅野さんは「精一杯やってみよう」と決意する。そして、フランスから派遣されてくるフランス人シェフたちの片腕となり、当時はなかなか手に入らなかったフランス食材の調達からダイニングでの通訳まで、八面六臂の大活躍をみせる。
歴代7名のフランス人シェフは、ピエール・トロワグロ、ミッシェル・ペニョ、ピエール・カシエ、ベルナール・ミルゴン、ダニエル・パケ、ディディエ・ガリアン、ダニエル・マルタンといった錚々たる顔ぶれ。「思い出深いのはやはりトロワグロさんですね。草創期を一緒に頑張ったという仲間意識があります。彼は柔軟な性格で、素材の事情などもよく理解して努力してくれました。パケさんは正統派マキシムっ子だから、仕事はスムーズにいきましたね。マルタンさんの時代はバブルの頃でしたからとにかく華やかでした」と述懐する。
マキシムのイメージ上、表に出るのはフランス人シェフ。浅野さんはいわば〝影武者〞だ。「それで充分です(笑)。マキシムの厨房を預かっていることが私の誇りでしたから」。銀座マキシムの歴史は、浅野さんの歴史でもある。
安斎喜美子 文、長瀬ゆかり 写真
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