3年前の2010年、辻調グループ創立50周年の記念事業として、「辻静雄食文化賞」を創設しました。
グループの創設者である辻静雄の志を受け継ぎ、食文化の多様で豊かな発展に寄与することを願ってスタートしたこの事業も、今年で4回目。回を重ねるごとに、日本の食文化を牽引している方々に賞を差し上げることの重大さ、その責務の重さを感じ、身の引き締まる思いです。
また、昨年からは、食文化の発展を支える食の現場に注目し、調理や製菓などの技術者を顕彰する専門技術者賞も創設し、第回辻静雄食文化賞専門技術者賞は「ル・マンジュ・トゥー」のオーナーシェフ谷昇さん、今年度は、レストラン「NARISAWA」のオーナーシェフ成澤由浩さんが受賞されました。
谷さんの料理は非常に繊細。和やかな空間で楽しく料理をいただくというよりは、むしろ落ち着いた静かな空間で、料理人と食べ手が「一対一の勝負をする」といった趣の料理です。「この料理を愉しめる味覚をもつ人はどれほどいるのだろうか」と考えてしまうほど、細やかな気配りに満ちた料理です。
もちろん、谷さんの料理の真髄に迫れる人は確かにいますし、一度ハマってしまうと、人格も含めて、ファンにならずにはいられない。そんな料理であり、料理人だと思います。
一方の成澤さんは、伝統的なフランス料理を独自のスタイルに洗練させ、とくにここ7、8年はフランス料理の枠組みから出て、独自の哲学とビジョンを表現。料理の新境地を拓いています。自然との対話、レストランにおけるサステナビリティの追求など、その活動は世界でもすでに評価されています。
お二人とも、一般的な意味での上手、下手、好き、嫌いといった枠を飛び越えて、何を表現したいのか、どんな味覚にたどり着こうとしているのかを、半端ではなく表現していらっしゃる。私は、「探求心を常に持ち続ける」ことが、辻静雄の人間的な本質だったと思っているので、その意味でも、お二人は、まさにこの賞に値する方たちだと考えています。
選考委員の方たちには、「冒険も恐れず広い視野に立って評価して欲しい」とだけ言いました。料理文化が発展していくためには既存の価値観の更新、見直しも必要だと私は信じているからです。
すでに辻調理師専門学校を開校していた30代半ばの辻静雄は、フランス料理にひたすら集中し、その博識でフランス人を絶句させるほどでしたが、日本料理に関してはあることをきっかけにして、湯木貞一さんを師と仰ぎ、週に一度、大阪・高麗橋の「𠮷兆」へ通うようになりました。
もともと辻静雄の探求心の旺盛さはすさまじく、学校を始めるときも、まず、当時、日本でフランス料理をやっていた多くの方に直接会い、人となりに接し、話を聞いて回ったほどでした。
もちろん、その〝旅〟は日本だけにとどまりませんでした。フランスでは、そのころ新進気鋭の料理人だったポール・ボキューズと会って話し、のちにともに大切な友人となりました。
そういう父の、なにごとにも正面から真剣に取り組む〝熱誠〟が心を動かしたのでしょうか。「𠮷兆」のご主人である湯木貞一さんは、父を大変かわいがってくださいました。「𠮷兆」に、父が私を連れて行ってくれたのは、5歳の誕生日のことです。「𠮷兆」では、銘器を惜しげもなく客に提供します。子どもが走り回って器を損じることを危惧した父は、息子の5歳の誕生日を待って、連れて行ったのです。
幼い頃から、父を介して食にまつわるさまざまな人と出会い、多くの体験がもたらされました。それが自分の将来にどのような意味があるのかなど、当時の私に分かるはずもなく、遊びたい盛りの子どもにとって、3時間もかかる大人たちの食卓で、じっとおとなしくテーブルについているのは忍耐のいることでしたし、かなりの苦痛を伴うものでした。
父から料理の説明などを受けたこともなく、食事の席に着く前に、「よく見ろ。よく聞け」といつも言われました。
もっとも、父とは遠く離れて暮らすことが多かったため、身近で接した思い出はそれほど多くありません。
私は12歳でスコットランドのエジンバラに渡りました。イギリスとアメリカでの暮らしが通算15年に及んだ私にとって、1年に2、3回、父がヨーロッパを訪ねてくるときにレストランで一緒に過ごす、それがこの上なく嬉しい時間でした。
今、考えてみると、幼い頃からのひとつひとつの体験は、父が遺してくれた「無形の財産」。それは月日が経てば経つほど重みを増し、感謝の気持ちが深まります。
30年も前から、料理評論家の山本益博さんは「日本人が日本人のフランス料理を作ってもいいのではないか」と、おっしゃっていました。でも、実際にそうなるまでには、25年以上の歳月を要しました。
世界で、日本ほど真摯にフランス料理を学んだ国はないでしょう。フランス人が作るフランス料理に学んで、フランス人に負けないおいしいフランス料理を作る料理人は、当時からたくさんいらっしゃいました。その蓄積が、日本のフランス料理の水準をここまで高めたのです。
しかし、そうした〝本物を追及するフランス料理〟界から、日本人が持っている気質や技術力、探求力、こだわりなどを駆使した味覚表現をめざすシェフが登場し始めたのは、ここ20年くらいです。それは、日本国内で作っているだけではなく、海外の人との交流を通して、日本人の自分がフランス料理を作る意味を改めて考えるようになった結果なのだろうと思います。
そのとき、幸運だったのは、日本人が追求している味覚と、世界の味覚の流れが、時代的に合致したことです。こだわればこだわるだけ、その味覚を堪能してくれる食べ手が増えていく時代が到来したことは、日本人にとってラッキーでした。
世界中の食べ手を相手にできる時代がやってきた。そのことは、日本のフランス料理の発展に大きく寄与しました。ミシュランの力も大きいと思います。
ただ、日本人が作るフランス料理は似通ったものになりがちなのは残念なことです。ごく一部のシェフが新しいテクノロジーを使って、これまでとまったく異なる料理を作っても、少し時間が経つと、またみんな似通ったものになってしまいます。
フランスでは、新しいテクノロジーを使っているわけでもないのに、新しい料理が次から次へと生み出される。アーティストではなく、職人として仕事をしながら、皿の上に自己表現できる人が、多くいる。 日本人がフランス料理を作る場合、歴史的、文化的、風土的な背景の異なるところで、もっぱら技術力で勝負しなければならないハンディはあると思います。だから、日本人は、永遠に埋められない溝を意識しながら、フランス料理を作り続けていかなければならないのかもしれません。
ただ、ポール・ボキューズの言う『客の入るレストランは良いレストラン』は、真理だと思います。3年4年の話ではなく、10年20年客が来るレストランは、間違いなくいい。小手先だけの料理で、長い年月、客を呼べるはずがありませんから。そこに、日本人が目指すべきフランス料理の答えが隠されているような気がします。
ヌーヴェルキュイジーヌ以降に、世界のフランス料理に影響を与えたシェフを挙げるとすると、エッカルト・ヴィツィヒマン(ドイツ)、ハインツ・ヴィンクラー(ドイツ)、ジョエル・ロブション(フランス)、ミッシェル・ブラス(フランス)の4人の存在が大きかったと思います。
80年代から90年代初頭のミュンヘンを代表するレストラン「オーベルジーヌ」のヴィツィヒマンは、驚くべきハーブの使い手で、圧倒的に料理の品数を増やしました。しかも、30年も前なのに、今の料理とほとんど買わない料理を出しました。
ミュンヘンにあるもうひとつのレストラン『タントリス』のオーナーシェフ、ヴィンクラーも同じです。ヴィツィヒマンとヴィンクラーの出現によって、フランス料理の新しい潮流がヨーロッパに広がると同時に、今日につながる先駆的な側面も持っていたように思います。
また、ジョエル・ロブションは、まさに「現代のエスコフィエ」。新しい料理を高度に完成させ体系化したことはご存じの通りです。
そして、ミッシェルブラスは、自然主義の第一人者。自然の風味を新しい食感で、深く、優しく表現し、1999年にミシュランの三ツ星を獲得したことで知られています。
アラン・デュカスも、ジョエル・ロブションやミッシェル・ブラスに続く、世界でもっとも注目されているシェフのひとりでしょう。
一方、スペインの「エル・ブリ」の総料理長、フェラン・アドリアが及ぼした影響力は言うまでもなく大きなものでした。彼のテクノロジーを駆使した革命的な料理が契機となって、フランス料理という枠を超えたグローバルな料理の流れが一挙に広がったのですから。
「注目する現代の料理人は」と聞かれたら、レジス・マルコン、アンヌ=ソフィ・ピック、パスカル・バルボ、ダン・バーバー、そして残念ながら亡くなりましたがサンティ・サンタマリアの5人を挙げますね。人間としての奥深さや料理の哲学が、ひと皿ひと皿に詰まっている。どんな食材でも、自分の世界にもっていってしまうところが素晴らしい。
翻って日本の料理人はといえば、若手、とりわけ30代のシェフたちはとても優秀で、技術も十分あると思います。ただ、今はまだ、いわば全体のストーリーを考えず、個別の表現として次から次へと料理を出している人が多いようです。もっと大きなストーリーを描ける料理人が、増えていってほしいと思っています。「ここでこの料理を出したら、次はこういうものを出して、こう終わらせよう」と、起伏のあるストーリーを紡いでいける料理人になってほしいと思うんです。
そして、もっと食材を勉強してほしい。この食材のこの味をどうしたいのか。食材をもっと研究して理解を深めてほしい。ただ「○○を使ってみました」というだけではない次元にいってほしいですね。とくにフランス料理の料理人たちは、野菜と魚に関しては、もっと研究する余地があると思います。研究すれば、もっとおいしい、日本人ならではのフランス料理が作れると思います。
さらに、料理人の哲学がきちんと客に伝わるためには、サービスがもっとよくならなければいけないと思います。日本のレストランのサービスは、まだまだ未成熟。ここが良くならないと、調理場とお客さまの距離が、どんどん遠くなってしまう。
いつの時代の技術者も同じかもしれませんが、誰もが最先端の技術を求めがちで、その結果、皮肉にも誰の料理も同じような潮流に乗ってしまうことが少なくありません。
確かに、技術革新は大事です。しかし、新しく生み出された技術に頼らず、確実なものを確実に作っていくことを、もう一度、見直してみる必要もあるのではないでしょうか。
大阪の「HAJIME」のオーナーシェフ、米田肇さんは、三ツ星から二ツ星になったことをきっかけに、メニューも料理も料理名も、何ひとつ変えることなく、ただひたすら、ひとつひとつの料理を今一度、探究し尽くしたそうです。
正直、「彼はこの先どこへ向かってしまうのだろうか」と懸念した時期もあったのですが、先日うかがったらみごとに変わっていました。自分の料理におごることなく、探求心をもって、料理を突き詰めていった結果なのでしょう。
日本の風土で生まれ育ち、日本の文化を体の中に蓄えた料理人が、日本でフランス料理を作る――。そこから今後、どのような日本人のフランス料理が生み出されていくのか。
探求心と向上心を持ち続け、常に高みを目指す料理人が、数多く出てくることを心から願っています。
Yoshiki Tsuji
学校法人辻料理学館 辻調理師専門学校理事長・校長。辻調グループ代表。 1993年に、学校法人辻料理学館理事長、辻調理師専門学校校長に就任。ヨーロッパ、アメリカの食の最前線を調査研究し、その成果をプロの料理人育成に生かしている。著書に『美食のテクノロジー』(文藝春秋)『、料理の仕事がしたい(』岩波ジュニア新書)、『美食進化論(』共著、晶文社)
Cuisine Kingdom=構成 星野泰孝=撮影
本記事は雑誌料理王国228号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は228号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。