中国人にとって豚肉は、重要なタンパク源である。事実、中国は豚肉の消費量、生産量ともに世界の半分を占める。現在の国民一人当たりの豚肉消費量は、1980年の約倍にも跳ね上がっているし、豚食の歴史も長く、トンポーロー(豚の角煮)は唐の時代から受け継がれているという。
"豚大国"中国では、「蹄以外は何でも食べる」。主食でさえ北方と南方では小麦と米に分かれる広大な国土にあって、共通して食される栄養源は、豚。中国料理店のメニューをのぞいてみても、仔豚の丸焼きから腸詰、豚足まで、使う部位も調理法もじつにバラエティ豊かだ。
また、豚の後脚のモモを使い、1年以上かけて作られる金華ハムは、イタリアのパルマやスペインのハモンセラーノと並ぶ世界三大ハムのひとつ。食材として用いられるだけでなく、味のベースとなるスープの材料として使われることも多く、とくに広東料理では「金華ハムなくしてスープの味は語れない」と言われるほどなのだ。
まさに、中国料理の要ともいえる豚肉。果たして、「モダンチャイニーズ」の先駆者として知られる脇屋友詞さんは、どう調理するのだろうか。
今回作ってくれたのは、脇屋さんの知恵と感性が光る「塩漬け肉と春野菜の炊き込みご飯」と、中国料理の技に脇屋流を織り交ぜた「肩ロースの唐辛子煮込み」の2品だった。「最近は、上質のエサを食べて育ったいい豚が増えてきましたね。私は、いい豚だったら、バラ肉がいちばんおいしいと思っています。いい豚の脂は、ほんのりと甘みがあって旨みが強い。これこそ豚肉の旨みで、これを使わない手はありません」と脇屋さん。
例えば、トンポーロー。
「脂ぎっていて体に悪そうだと言う方もいらっしゃいます。でも、トンポーローに脂身は欠かせませんし、何時間もかけて煮込んだバラ肉は余分な脂が抜けていますから、残っているのは脂ではなく上質なコラーゲン。じつは、とても体にいい料理なのです」
放牧豚、ハーブ豚、梅山豚、名水豚、金華豚、六白黒豚、アグー豚……。"モダンチャイニーズの雄"は、昔も今も、旨いといわれる豚肉を、調理方法などによって使い分けてきた。なかでも最近、自分で食べてみて旨いと感じたのが、鹿児島県産の黒豚の流れをくむ黒宝豚だ。
今回の炊き込みご飯にも、その黒宝豚のバラ肉を使用する。最大のポイントは、約時間、塩と塩麹に漬けておくことだ。
「中国料理では、バラ肉を1カ月ほど干して旨みを凝縮させる調理法がありますが、今の時代、そんなに時間をかけるのは骨が折れる。でも、塩と塩麹を使ったこの方法なら、バラ肉を1カ月干したのと同じ効果が、たった1時間で望めるんです」1時間、塩と塩麹に漬けたバラ肉は、肉の表面についた漬け床を取り、50分蒸し上げる。
あとは、蒸し上がったバラ肉を細長く切り、炊きあがったご飯の上に並べ、さらに茹でたタケノコ、ソラマメ、菜の花、タラの芽、コゴミをその上に乗せて蓋を閉め、約5分蒸らすだけ。
脇屋さんは、お客様にそのまま出すことを考えて土鍋を使用しているが、炊飯器で調理してもよい。もちろん、野菜は旬のものを使いたい。
蒸らしている間にバラ肉の脂がご飯にも移り、ご飯の風味が増すと同時に、野菜や肉が白いご飯と馴染んでいく。蒸らし終わったら、全体を混ぜれば完成だ。
中国には、豚の脂をご飯に混ぜたラード飯という庶民的な料理がある。今回の炊き込みご飯は、まさにその応用編だ。
「中国料理に使う豚肉の脂肪分は、ご飯との相性も抜群で、豚肉は"旨み調味料"と言ってもいい存在」と脇屋さん言う。
味付けは、塩と塩麹に漬けた豚肉の味と、野菜を茹でるときにわずかに入れた塩と塩麹のみ。やさしい味に仕上がった炊き込みご飯。豚肉の塩味が効いて、野菜の香りや食感が絶妙の調和をみせる。
これこそ、"塩漬け豚肉マジック"か――。初夏のひとときを彩る、目に美しく、舌に楽しいひと皿である。
一方の「肩ロースの唐辛子煮込み」は、しっかりと味がついた中国料理らしいひと品である。
ここでの注目すべきポイントは、煮込むときにスープではなく、ただの水を使う点だ。
「ご家庭で作るのなら、スープを使うことをお勧めします。でも、ここはプロの厨房。あえて水だけを使い、豚肉の旨みを引き出します。これも、いい豚肉だからこそできることなんですけれどね」
まずは、黒宝豚の肩ロースを小指大の大きさに切り、180~190度の高温で表面が色づく程度に揚げて、ザーレンにあける。さらに、ニンニクを炒め、朝天唐辛子と花山椒を加えて炒めたら、豆板醤や紹興酒などの調味料を入れて、揚げた豚肉と白インゲンを加える。
ここで登場するのが、ただの水。スープではなく、水を入れて、弱火でゆっくり煮込む。
「煮込むにつれて、豚肉のゼラチン質がしみ出てきて、全体にとろみが出てきます」
今回は、火が通りやすい肩ロースをそのまま使ったが、モモ肉などのように、硬く、火が通りにくい部位の場合は、事前に茹でておくといい。「それぞれの部位の特徴をきちんと把握し、特徴に合った調理法を選択することが、旨い料理につながる道だと思います」
朝天唐辛子から出るピリッとした辛みがアクセント。白インゲンのほっくりした味と豚肉の旨みがぴったりとマッチしたひと品である。「伝統と創作」をモットーに、日本の中国料理界をリードする脇屋友詞さん。その感性とテクニックから放たれる料理は、どこまでも美しく、味わい深い。
土鍋の蓋をあけたとたんに、緑鮮やかな春野菜が目に飛び込んでくる、演出効果抜群のひと品。塩漬けバラ肉の旨みがほんのり染み込んだご飯の味も絶品だ。
香咸肉
豚バラ肉…500g(厚さ1㎝、長さ13㎝程度)/塩…100g /塩麹…100g /花山椒…10g
炊き込みごはん
香咸肉…100g /米…500g(30分水に浸したもの)/春の野菜、木の芽…各適量/水 …550㏄
朝天唐辛子の赤と豚肉のベージュ、わけぎの緑が美しい、中国料理らしい、華やかなひと皿。低温でゆっくり煮込むことで、豚肉のゼラチン質がにじみ出て、料理にとろみとつやが出る。
豚肩ロース…300g /白インゲン…50g(もどしたもの)/ニンニク…1個/ワケギ…適量/調味料A(豆板醤、紹興酒…各小さじ/醤油…大さじ1と1 /2 /砂糖…大さじ1 /水…600cc /調味料B(朝天唐辛子…60g /花椒…小さじ3)/香油…大さじ1
Yuji Wakiya
「Wakiya一笑美茶樓」をはじめ4店舗のオーナーシェフを務め、上海料理の技を軸とした洗練された料理で日本の中国料理界を牽引する。2010年には厚生労働省による卓越した技能者(現代の名工)を受章。
山内章子=取材、文 大野利洋=撮影
本記事は雑誌料理王国226号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は226号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。