日本の肉用牛のわずか0.3%という希少な品種ながら、赤身肉ブーム、また健康な国産肉牛を求める食べ手の中で人気が急上昇した「いわて短角牛」。短角牛は先祖である農耕牛・南部牛の性質を受け継いで放牧に向いており、牧草など粗飼料中心でも、赤身肉を豊かにつけてくれる。
そんないわて短角牛のキーワードは「夏山冬里(なつやまふゆさと)」だ。夏山冬里とは文字通り、夏を山で、冬は里で過ごすという意味。その昔、岩手の農家たちは、北国の短い夏を農業に専念するため、母牛と春先に生まれた子牛を「牧野(ぼくや)」と呼ばれる共有の放牧場に放って育て始めたのだった。今でも5月から11月までの間、いわて短角牛の母子は広大な牧野で育つ。草を食み、大地を駆ける。この放牧経験を必ず経るというのが、いわて短角牛の大きな特徴だ。
さて、牛肉の味は「品種(血統)」「餌」「環境」「月齢」のファクターで大きく異なる。岩手県内の短角牛は、品種(短角牛)、環境(夏山冬里)が統一されている。ではどの短角牛を食べても似たような味? いやいやどうして、産地によって味わいが異なるのだ。なぜかというと餌が違うから。つまり「岩手の短角牛がうまい」ではなく、「岩手のどこの産地の短角牛は…」というところまで分け入ることで、いわて短角牛の真のおいしさに迫る体験ができる。これからはぜひ「僕の好みはどこそこの短角だね、なぜなら餌が……」と決めてみよう!
二戸市浄法寺地区はかつて、子牛を生産し出荷する繁殖産地として有名だったが、肥育農家はいなかった。二戸市と合併したことで肥育農家の漆原畜産との連携が深まり、初めて二戸で生まれ二戸で育った短角牛が生まれた。
その飼料設計は独自のもので、岩手県特産の雑穀の粕、飼料用米、南部せんべいやそば・うどんの粕や規格外品を多用し、配合飼料を通常の3割程度まで減らしている。これによってパンチがあり、輪郭がクッキリした味わいの肉質に。二戸市で短角牛専門に扱う精肉店「山長ミート」とタッグを組んで販売し、都内の多くの飲食店に支持されている。
久慈市山形町は、昭和50年代から大地を守る会や生協といった団体に産直出荷をしてきた産地だ。流通からの要望で、遺伝子組み換えなし、農薬や化学肥料も使用せず、国産飼料を中心に食べさせた短角牛を生産してきた。牧草やトウモロコシの発酵飼料、ふすまなどをベースに、農家によっては大豆を与えることも。穀物価格の高騰を背景に一時、餌を変えたときもあったが、飲食店や消費者から味の面からも国産飼料中心がよいという評価を受けこのほど回帰。その持ち味は余韻の長いうま味で、この産地を名指しする料理人のファンも多い。
さまざまな伝統食品の宝庫である岩泉町こそは短角牛発祥の地と言われる、夏山冬里の本場。日本のチベットとも呼ばれる山の深さを活かし、短角牛の牧野があちこちに切り拓かれている。夏の間、豊かな牧野に多くの繁殖農家が放牧する子牛を、冬になると4軒の肥育農家が牛舎で丁寧に育てている。
そんな岩泉町の特徴はずばり粗飼料多給。穀物飼料はほどほどに、乾草や夏に農家自身が育てた餌用トウモロコシを発酵させ、冬の間も食べさせる。「岩泉の短角はヨーロッパで食べた牛の香りがする」というシェフのファンが多いのも納得だ。
text / photo 山本謙治
本記事は雑誌料理王国2021年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2021年4月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。