パリ1区、高級ブティックが軒を連ねるサントノーレ通り。この通りに五ツ星ホテル「マンダリンオリエンタルパリ」はある。ティエリー・マルクスさんは、そのメインダイニング「シュールムジュールパールティエリー・マルクス」を率いる。
パリを代表するシェフたちの下でキャリアを重ね、オーストラリア、シンガポール、タイなど世界に活躍の場を広げてきた。料理長として携わった店はミシュランガイドで次々に星を獲得し、"星の請負人"とも称される。マンダリンオリエンタルパリの宿泊とシュールムジュールパールティエリー・マルクスの食事が含まれる宿泊プラン「マルクスがお届けするパリ」のプロモーションで来日したシェフに、革新と創造に満ちた料理哲学を聞いた。
──液体窒素を使って食材を瞬間的に冷凍したりして、前衛的な料理を生み出されていますが、どんな考え方が反映されているのですか?
料理の世界にはイノベーションが不可欠だと気づいたんです。2000年以降の料理をじっくりと観察してみると、じつはすべてがコピーであると思ったんです。
──繊細な美しい料理がふえて、私たちを楽しませてくれている側面もあると思いますが?
確かに盛りつけなどのスタイルは美的に変化しています。しかし私は、同じレシピを繰り返し使っているだけだと気づいてしまったんです。それは、もとをたどれば19~20世紀初頭にエスコフィエがまとめたレシピだったりするわけです。
──では、料理を変革していくには何が必要でしょうか?
まずは、しっかりと物事を観察することです。そして、現代においては、そこに科学的な視点を当てて、料理を理解することが必要になります。そうすることによって料理を進化、創造することができる。この目的のために、僕はパリ大学の物理化学者ラファエル・オーモン教授と共同で料理研究センターを作りました。
──それで何か変化しましたか?
料理人だけではないさまざまなジャンルが集い研究することで、新しい発想が生まれる。"複数の脳"が研究というひとつの場所に集まることで、より優れた"ひとつの脳"へと進化していくことを実感しました。
料理に関していえば、次は南米のペルーだとか、メキシコだというようにどこの国に行ってアイデアを取り入れれば良いか、幅広い情報が得られるようにもなりました。
──それが料理のイノベーションを生むわけですね。
じつは今日お出ししたチョコレートのデザートには、精製された砂糖を使っていないんですよ。オーガニックなオレンジの皮を顕微鏡レベルで観察すると、まず深い香りの分子が見えます。調香師が使うようなこの香りのエキスは非常に微量でしたが、料理や菓子に使えることが分かりました。さらに、皮の白い部分には「ペクチン」も含まれています。ミネラルウォーターで抽出することで、ゼラチンの代わりになります。
香りの分子とペクチン、そして果物本来のもつ甘味を使うことで、砂糖の甘さを使わずに、新しい甘味の体験を作り出すことができました。こうした新しい発見は、料理人の私ひとりではできなかったことです。
──普通なら、オレンジの皮は捨ててしまう。
パティシエや料理人の脳でしか物事を見ないと、捨ててしまっていたでしょうね。ペクチンを使って固めると、ゼラチンを使ったときとは、違う食感の固まり方になる。より自然に近い使い方でもあって、それが新しい感動を呼び起こすのです。
──食材に科学的な視点を当てたから、革新的な料理が生まれた?
その通りです。しかも、より素材に近い味になります。この試みは、食材をできる限り使い切ることにもつながりました。料理人の責任として、地球が与えてくれている食材を使わせてもらっているのだ、という意識が必要です。このことを踏まえたうえで、料理を今以上に進化させなければならないと思っています。
──日本の食文化とフランスの食文化には、近いものがあり、日本人シェフもフランスで活躍しています。フランス人シェフも日本をリスペクトしてくれる時代のように思います。
日本料理とフランス料理は、フィーリングが合っています。だからこそ、1970年代にアラン・シャペル氏やジョエル・ロブション氏、トロワグロ兄弟などが日本人のシェフと出会い、日本の影響を受け、従来のフランス料理よりも軽やかな「ヌーベル・キュイジーヌ」を生む要因にもなったのだと思います。
──その頃、マルクスさんはシェフを目指していらっしゃった?
そうですね。パティシエの資格を得たのが1978年でした。
20代の私が一番影響を受けたシェフは、アラン・シャペル氏とジャック・マキシマン氏のふたり。伝統とイノベーションを共存させたシャペル氏の料理は、氏ならではの個性的なものでした。マキシマン氏はレシピを書かない天才。締め切りぎりぎりで凄い作品を書いてしまう小説家のような型破りなシェフです。
──マルクスさんは2000年に初来日なさったそうですね。
三國清三シェフの誘いで初めて日本に来ました。41歳でした。三國さんはたくさんのシェフを紹介してくれて、それが私の転機になりました。
例えば日本料理の小山裕久さんからは、米についての知識や魚の切り方など、多くのことを学びました。私はいつも言うんです。食材は正しく切ること。そして正しい味つけと火力。日本へ来てとても嬉しく思うことは、炎を使って料理をしていることです。それを見ると子どものように楽しくなってしまいます。また、日本は地域によって食材や料理に多様性があって、それぞれに個性がある。日本に来る度に興奮します。
──日本の武道にも精通していらっしゃるとお聞きました。
14歳の時、フランスで日本人の先生から柔道を習いました。その先生の影響で稲垣浩監督の『宮本武蔵』を観て、武道の精神に憧れました。
武道を極めるように料理も極めたい。そんな思いがあるのかもしれません。今でもこの映画は時々観ているんですよ。
──料理以外のこと、文化に触れることはすばらしいですね。
鍋の中だけが料理人の現場ではありません。料理以外の文化に触れなければなりません。絵画や花、文芸、映画などにも興味を持ちたい。そして自らの感性を豊かに醸成しないと、料理人として進化していくことは難しい。もちろん、技術を磨くことは不可欠です。それが土台となるから。しかし、それだけを追求していては、料理人の個性が表現された奥深い料理にはなりません。イノベーションを起こすこともできない。
──最後に、シェフを目指す若い料理人にアドバイスを。
シェフになるには、3つの頭文字「RER」が必要です。最初のRはRigueur(厳しさ)。自分に厳しくあれ、ということ。EはEngagement(約束)。自分に対しても他人に対しても約束したこと、決めたことは必ず実行すること。これは前に進む大きな力になってくれます。最後のRはRégularité (一貫性、安定性)。日々良い仕事をする。しっかりと働くこと。この3つのことを守っていただきたいです。シェフになってからも、長く活躍するためには、忘れてはならないキーワードだと思います。
──お忙しいなか、ありがとうございました。
Thierry Marx
1962年、パリで生まれ育つ。 16歳でバティシエの資格を取得。28歳にフランス中部トゥール「ロカンヴァル」でミシュラン一ツ星を獲得すると、「シャトー コルデアン バージュ」でも星を獲得。「シュール ムジュール パー
ル ティエリー・マルクス」を
マンダリン オリエンタル パリ内に開業。現在、二ツ星を維持し続けながら、前衛的なシェフとして名を馳せる。
江六前一郎=インタビュー 長瀬広子=構成 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国2016年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2016年11月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。