9年に及ぶイタリア滞在。ピエモンテ州ではシェフも務めた堀江純一郎さんは、イタリア版ミシュランで日本人として初の一ツ星を獲得した料理人でもある。
「あり得ないほどの完成度の高さ」
世界的なフランスのカリスマショコラティエは、堀江純一郎さんのスペシャリテ「アニョロッティ・ダル・プリン」に、惜しまぬ賛辞を贈ったという。手打ちのパスタ生地に、調理した肉や野菜などを詰めて丸く成型する「アニョロッティ・ダル・プリン」は、ピエモンテの伝統的なプリモピアットで、見た目は拍子抜けするほどシンプルなパスタだ。ちなみに「アニョロッティ」とは「、ラヴィオリ」のピエモンテ方言。なぜ、これが堀江さんの「魂のパスタ」なのか――。それはこの小さなパスタのひと粒に、イタリア料理の基本技術がすべて詰まっていると思うからだ。
ブロードをとり、ウサギ、牛、豚肉や骨、野菜をローストし、リゾットを作り、それを混ぜて肉のそぼろ状の詰め物を作る。ここまでに一昼夜。パスタ生地を練って成型する時には、「プリン」はすでに9割がた完成しているといっていい。気の遠くなるような地味な作業。その手間をむしろ楽しむように、1粒の「アニョロッティ」を「Animaアニマ(魂)」と呼び、愛す。
堀江さんは、修業のために渡伊して4年目のピエモンテで、このパスタに出会った。
「この料理には2度驚かされた」
最初の驚きは、食べた時のあまりのおいしさ。実際に作ってみると、くじけそうになるほど手間がかかることにも驚いた。味といい要求される技術といい、これこそまさに「魂のパスタ」の呼び名にふさわしい。「この料理を自分のものにして日本に帰りたい」と思った。修業先でシェフ代行となり、シェフのファミリーの賄いを作るようになったが、家庭料理を中心に出すようになるとなかなか認めてもらえなかった。他州の料理やオリジナル料理を作ると褒められるのに。お客様のための仕込みのプリンも同様で、何度も手直しされた。
「そう、この味だよ!」
堀江さんの「アニョロッティ・ダル・プリン」が、シェフの家族に評価されるのに2カ月かかった。「どこがポイントだったのか、いまだにわからない」と堀江さんは真顔で言う。
コツなどないというのが正解かもしれない。ただ「、師の技術を真似て、そのコピーを作ろうとしても、絶対にその味にはならない」ことだけははっきりしている。
「イタリアの郷土料理を完璧に作るには、技術を真似るだけではだめ」
現地で暮らすのは当たり前。師となるシェフと同じ厨房に立ち、ともに肉の焼ける音を聞き、色を感じ、ハーブやワインが食材に馴染んでいく過程を香りで確かめる。
「要は師匠と同じ体験を積み重ねること。そうする中で、次第に料理の背景や意味、師の考え方や哲学が理解できるようになるのです」と堀江さんは言う。奈良のキッチンでも、堀江さんは牛肉やウサギを焼く鍋から立ち上る香りを嗅いで、肉にどれくらい火が入ったかを言い当てた。
海外での修業には言葉の問題がつきものだ。「まずその壁を超えないと修業にはならない。本当のイタリア料理は学べない」とも言う。たとえば、今回の「魂のパスタ」には、仕上げに「スーゴディアッロースト」が欠かせない。これは牛骨やスジなどをローストしたあと、白ワインで煮込んで作る旨味のエッセンスで、牛骨を高温で長時間焼くのがポイント。焼き上がりのサインとなる骨の焼き色をイタリア人は、「Rossa(ロッサ)」と表現する。これを日本語に翻訳すると「赤」。だが、日本語からイメージする赤とはまったく違う。
「香ばしい香りを放って濃い赤茶色に仕上がった牛骨の色は、Rossaとしか表現できないのです」
だから、堀江さんは厨房に入った瞬間から、頭をイタリア語モードに切り替える。「そうでなければイタリア料理はできない」。もちろん「魂のパスタ」も完成しない。
「守破離」――。まずは師匠に言われた型を「守る」。その後、その型を研究して自分の型を作ることによって既存の型を「破る」。そして最終的には型から自由になり、型から「離れ」て自在になる。
帰国後年を迎えようとする堀江純一郎が到達した「守破離」の教え。この言葉を受け止めることができる人にだけ、「魂のパスタ」の女神は微笑むのだろう。
アニョロッティ・ダル・プリン
卵を練り込んだパスタ生地に、ローストした牛肉、豚肉、ウサギ、ホウレンソウのソテーやリゾットなどをミキサーで細かくして詰め物にしたラヴィオリの1種。その調理法はシェフによって異なり、堀江シェフにも、肉をローストする際にニンニクやローズマリーを肉に挟んでタコ糸で巻くなど、独自のこだわりがある。
Junichro Horie
1971年、東京生まれ。大学卒業後、96年に渡伊。トスカーナ州、ピエモンテ州を中心に約6年間修業を積んだ後、ピエモンテ州の「リストラン テ ピステルナ」のシェフに就任。 2005年に帰国して、2年後、西麻布の「リストランテ ラ グラディスカ」で独立するが、 09年、東京を離れて、奈良に現店を開いた。地場の食材はもちろん、日本各地の食材を積極的に料理に取り入れている。
上村久留美=取材、文 伊藤信=撮影
本記事は雑誌料理王国2014年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2014年8月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。