ラグジュアリーリゾート、アマングループが東京・大手町にオープンした「アマン東京」の総料理長、平木正和シェフ。就任直前までイタリアで17年過ごし、最終的にはベネツィアの5つ星ホテルの総料理長にまで登り詰めた。
当初はイタリアの食材を使っていたものの、2年ほど前から、「生産者と食材への敬意を形にした料理」をテーマに、国内の生産者を巡って食材を探す。特にコロナ禍前は、1年間で合計50箇所を訪れるなど、積極的に生産者訪問を行ってきた。そんな生産者訪問に同行させていただき、その食材を使った料理をいただいた。
平木料理長と訪れたのは、東京から車で1時間あまり、茨城県かすみがうら市の長閑な田園風景の中にある、西崎ファーム。フランス種の鴨の雛から屠殺までを一貫して手がける、著名な鴨の生産者だ。
創業者の西崎敏和さんは元々哲学書の出版を行なっていたという異色の経歴。子どもが生まれたのを機に、妻の実家から程近いこの地に移り住み、独学で抗生物質や遺伝子組み替え飼料を与えない鴨の飼育を始めた。現在、2ヘクタールの敷地内で約3000羽の鴨が放し飼いされており、通常の2倍近くの期間、飼育をすることで、より味のしっかりとした鴨を育てている。
育て方だけではなく、西崎さんが確立したのが、農場から一切廃棄物が出ない循環型のシステム。通常、畜産で出る動物の排泄物は、廃棄処理されることが多いが、西崎さんは鴨に乳酸菌や納豆菌の発酵液を与えることで、排泄物の素早い分解を促し土に替えている。国内外を問わず多くの生産者を巡ってきた平木シェフも「全く匂いがしない」と驚く、クリーンな環境だ。
西崎さんは昨年引退し、学生時代からファームを手伝いに来ていたという、若干28歳の清水司さんが、その志を受け継ぎ運営している。清水さんは「ずっと屋内の暗いケージの中で育てられて、出荷の日に初めて空を見るような既存の飼育法ではなく、例え限られた期間でも、太陽の下でのびのびと過ごさせてやりたい」と語る。「仕事で一番楽しいのは、鴨がどうやったら幸せに暮らせるかを考えるとき。僕らも、そういった姿を見て世話をする方が気持ちよく働けますから」と話す清水さん。そこには、人と鴨との、確かな関係性があるように思えた。
「自然に即した育て方」というと優しく聞こえるが、実は過酷な競争社会でもある。鴨の世界は、早く成長したものが、優先的に餌を食べてより大きくなる。ワクチン投与や投薬もしないため、自然界同様に、中には生き残れない個体も出てくる。西崎さんは「毎日を頑張って生きている人にこそ、食べてもらいたい鴨なのです。自然の中でたくましく生き抜いてきた『鴨の生き様』を感じてもらえたら」と話す。
届けているのは、「肉」ではなく、「命」。西崎さんが言いたいのは、きっとそういうことなのだろう。そんな鴨の肉を、平木シェフはどのように料理にしていくのか。それを味わう機会が訪れたのが、アルヴァのオープン三周年を記念してのメディアイベント。アルヴァで使う食材の生産者の代表として、西崎ファームの清水さんと、静岡県で200種類もの野菜を有機農法で育てる「北山農園」の平垣正明さんが招かれた。
まずは、西崎ファームの鴨の胸肉を4日間塩漬けしてから冷水で塩抜きをし、2週間ほど乾燥、熟成、最後に燻製をかけ、鴨の生ハムに。揚げたての熱々のエミリア・ロマーニャ州の伝統的な揚げパン「ニョッコフリット」に鴨の生ハムを乗せると、脂の部分が程よく溶けて、赤身の旨味と共に、鴨の脂の甘い香りが口の中に広がるアミューズだ。
メインコースの鴨は、丸ごと、皮目をフライパンで焼き上げてからオーブンで、休ませながら1時間30分から2時間位かけてゆっくりとローストし、ローズマリー、タイム、セージ、ローリエなどの香草で少し燻して香りをつける。鴨の骨からとったフォンとエシャロット、赤ワインとルビーポートの少し甘いソースと共に提供するスタイル。
「命をいただいている」という思いから、手羽や手羽元、さらに骨についた肉も綺麗に集めて挽肉にし、濃厚な旨味と甘味のトマトと共にラグー仕立てに、若いピーマンにはもも肉のコンフィを詰めた。旬のヤングコーンは、一度皮から取り出してから、コーンのピュレとヤングコーンのヒゲの柔らかい所を詰めてから上にヤングコーンを戻し、パルミジャーノレッジャーノをかけてある。しっかりと旨味の乗った鴨の弾力や旨味を生かした仕上げだ。
添えられていた小型ながら香気の素晴らしいピーマンは、北山農園のもの。品種としては、一般的なピーマンと同じだという。
平木シェフが「野菜の最も良い一瞬のタイミングを見極めるだけでなく、料理人の創造力を刺激する様々な状態の野菜を提案してくれる」と絶大な信頼を寄せる平垣さんは、このピーマンをはじめ、アルヴァで使われる多くの野菜を生産する、レストラン専門の野菜農家だ。
菜花を取るために、白菜をあえて収穫しないなど、種から種まで、そこからさらに新しい世代を生み出してゆく循環の中で、どの部分をシェフに届ければ良いかを考えるのだという。「通常では出荷されない状態も提案してくれるので、状態が変わると香りや食感、味が徐々に変わることを実感する。植物の一生を丸ごと見せてもらえるようで、自然への理解も深まり、創造力が刺激される」と平木シェフ。
このピーマンも、平木シェフと、詰め物をするのにちょうど良い大きさはどれくらいか、と話し合い、通常よりも若い状態で出荷しているという。平垣さんは、植物の循環を丸ごと見つめる農業を続けるにつれて、私たち人間も、地球の一部であり、物事を判断する際に「人類にとって」ではなく「地球にとって」良いかどうか、を考えるようになったという。
デザートは、西崎ファームの鴨の卵を使ったアイスクリームとスポンジケーキ、そしてメレンゲ。メレンゲを加えるのは、味と食感のアクセントはもちろんのこと、他の2つが卵黄を使うレシピなので、卵白を無駄なく使い切るためでもある。イタリアで17年を過ごした平木シェフは、全てをきちんと、おいしく食べきる、という思想が根底にある。2日間かけて焼き上げたメレンゲは、テーブルサイドで表面を焦がし、香ばしいキャラメル香をつけてから、砕いてアイスクリームのサイドに添える。鴨の卵の全ての部分が欠けることなく使われた仕上げには、西崎ファームからわずか2キロほどの近くのブルーベリー生産者「ブルーベリーやすだ」のブルーベリーに、グラッパの隠し味で深みを加えたソースを添えた。
そこに共通するのは、循環の輪だ。過剰さからバランスを崩す贅沢ではなく、調和がとれ、地球環境にも配慮した持続可能な循環を選ぶということ。それが、アルヴァが提案する新しい「贅沢」でもある。
過剰型の贅沢から、循環型の贅沢へ。どちらかがどちらかを一方的に搾取するのではなく、長期に渡って、共に良い関係を築いていける長期的で安定した関係性のある食のあり方。
いくつもの輪が重なって、私たちの食は生み出され、私たちの命をつないでいる。それはすなわち、私たちも、自然の中で脈々と続く、いのちの循環の一部、ということでもあるだろう。そんな考え方は、アマン東京が哲学とする「禅」の考え方にもつながっているようにも感じられる。
フードマイレージの少ない、地元の食材をなるべく使い、地球に負荷をかけすぎない食。心地よく育てられたものを食べることは、食べる側の心の豊かさにもつながっていくように思う。このアルヴァでの食事が伝えるのは、ただ空腹を満たし栄養を摂取するだけではなく、その輪に加わっていくことの大切さ、でもあるのではないだろうか。
アルヴァ
【住所】〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目5−6 大手町タワー アマン東京内
【電話】03-5224-3339
取材・文・撮影(レストラン部分)= 仲山今日子
仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。