ワインがブドウのよしあしで味が決まるのと同じように、米の質で日本酒の味が決まると考えている人は多いのではないだろうか。しかし、実際にはそうではない。ワインは果汁を持つブドウのみで造られているが、水分を持たない米から造られる日本酒には、水が必要不可欠だ。ここが、ワインと日本酒の大きな違いだろう。日本酒の原料となる水は、「仕込み水」と呼ばれる。
「仕込み水が硬水か軟水かというだけでなく、酸性かアルカリ性か、pH値によっても日本酒の味は大きく変わります」
そう話してくれたのは、東京・四谷にある日本酒専門店「animism bar 鎮守の森」の店主、竹口敏樹さんだ。同じ銘柄の米を使い、酵母や精米歩合などさまざまな条件を同じにして日本酒を造っても、原料となる「仕込み水」が違えば、同じ味にはならないという。それだけ、日本酒において水は大事な原料なのだ。
日本酒の成分に占める仕込み水の割合は、およそ8割。竹口さんは、店に置く日本酒の味をより深く知るため、各地の蔵元を訪ねた時には仕込み水を飲んで、味を確認してきたのだという。
「日本の水は軟水と言われていますが、水の硬度は地域によってまったく違い、硬水の地域もあります。たとえば、奈良県の『風の森』を醸す油長酒造の仕込み水は、やや硬度が高い硬水です」
銘醸地である灘と伏見の酒の特徴を表す時、「灘の男酒、伏見の女酒」と言う。これには、醸造の方法や米の違いよりも、仕込み水の違いが大きく関わっている。実際、灘はミネラル豊富な硬水のため発酵が早く、力強い味わいになり、伏見はほどよいミネラルの中硬水のため発酵がゆっくりで、なめらかな味わいになる。「単に硬水か軟水かだけではなく、サラッとした水、舌を包み込む水、ズシンと重い水など、仕込み水は各地で違ってきます。福島県の水は甘さを感じることが多かったのですが、 『花泉』を醸す花泉酒造の仕込み水は、蔵元の多い会津地域の中でも、ほかにはない甘さとやわらかさがありました。同じ地域であっても、採水地が違えば、水の味はまさにピンポイントで変わるんです」
仕込み水の多様さを知ってからは、試飲会でも真っ先に仕込み水を飲むようにしているという竹口さん。そのほうが、日本酒の複雑なニュアンスや奥深さを、より感じることができるのだという。
「animism bar 鎮守の森」では、季節の料理に合わせて、竹口さんが日本酒のペアリングを提供している。最近では、中国料理やフランス料理、寿司などの日本料理店で、竹口さんが日本酒のペアリングをするコラボレーションイベントも積極的に行っているという。さまざまな料理とペアリングをする中で、意識しているポイントは何なのだろうか。
「一番わかりやすい例で言えば、甲殻類の料理です。ワインなら、ミネラル感が豊かなワインを合わせますが、ミネラル感を出すのが難しい日本酒は、仕込み水の硬度とpH値から、いかにミネラル感を感じてもらえるかを考えます。魚介を多く扱うフランス料理とのイベントでは、仕込み水の硬度が高い日本酒の中から、ソースの味に合うように酸性かアルカリ性かで選びました。ソースと近い性質の硬水なら、ミネラル感がより際立って感じられます。ペアリングの酒を記憶に残すには、同じ系統のミネラル感をぶつけます。それで、味が伸びたなとか、そういった印象を与えられたら、このお酒なんだろう?とみなさんラベルを見るんです」
料理の種類に酒の種類を合わせるのではなく、料理の味わいからペアリングを考えるのが、竹口さんの技術だ。その時、仕込み水は日本酒の味の指標になっている。多くの仕込み水を味わい、そこから生まれた日本酒の味も知っているからこそ、できる技だといえるだろう。
ところが、竹口さんでもペアリングが難しい料理があるという。それは、意外にも日本料理なのだそうだ。「日本料理なら当然、日本酒が合うと思っていたのですが、実際にやってみると、ソースの味との関係性が導きやすい、フランス料理やイタリア料理などのほうが、合わせるポイントの着地点が見つけやすかったのです。寿司はまだよいのですが、素材の味を繊細に活かすような日本料理では、どうしても日本酒の味が勝ってしまうんです。そういう場合は、極力細いグラスを使って、液体が口の端に流れないように設定してピンポイントで味を送る、などの工夫をしています」
水の特性を知れば、ペアリングの可能性も広げられる。日本酒のペアリングにおいては、水の知識がものをいうようだ。
暑い季節にぴったりの、キリッとした酢の吸いもの。合わせた日本酒は、アルカリ性寄りの軟水を使ったやわらかな味のおりがらみ。日本酒の味のふくらみに酸を合わせている。酸がアルカリで中和され、じんわりと体になじむ。
タマネギの中に、ホウレンソウとチーズのカレーを詰め、ディルとパクチーを添えたエスニックなひと皿。仕込み水が硬水の日本酒は、酸がしっかり感じられ、乳酸発酵特有のまろやかさがある。ヨーグルトのようで相性がよい。
ヤングコーンの甘さ、野菜だしと添えた抹茶パウダーのミネラルに、中硬度で酸性の仕込み水を使った日本酒を合わせた。酸性なのは、味の余韻を長くするため。口が大きく開いたグラスは、酸を口いっぱいに広げる助けになる。
ヨーグルトスープは、ディル、キュウリ、ニンニク、クルミ、オリーブオイルのブルガリア風。日本酒の持つ酸と、ヨーグルトの酸の組み合わせは、親和性がある。少し熟成させた日本酒で、水っぽくなく深い味わいのペアリングに。
animism bar 鎮守の森
東京都新宿区四谷3-11第二光明堂ビル B1F
080-6535-9897
● 月~金/18:00~22:30(LO21:30)土、祝/15:00~20:00(LO19:00)
● 日休
● コース 8800円~
● 35席
澤 由香(本誌編集室)=取材、文 小寺 恵=撮影
本記事は雑誌料理王国第300号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第300号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。