秋の行事といえば月見。中(ちゅうしゅう)秋の名月を観賞する風習は、中国から伝わったもので、奈良・平安時代の貴族は華やかな宴を催し、月を眺めた。この時期に月を愛でるのは、秋は空気が澄んで月が美しく見えるから。そして、秋の夜長を楽しむためだった。
一方、庶民の間では、月を眺めることは、先祖供養と神様への感謝の現れ。美しい月を見て、人々は空の彼方へ逝ったご先祖に思いを馳せた。
また、秋は収穫の時期でもあり、恵みをもたらしてくれた神様と先祖が眠る大地へ、感謝を捧げる。これが日本古来のお月見だ。
秋のお彼岸の頃に、真っ赤な花を咲かせる曼珠沙華。一般には彼岸花と呼ばれ、田畑の周辺や堤防、墓地など人里に生育する。有毒植物だが、鱗茎は石蒜という名の生薬でもある。
中秋の名月は、新暦だと年によって日取りが変わるが、陰暦は月の満ち欠けに沿っているため、日付けと月の形はぴったり重なる。つまり旧暦の十五夜は必ず満月だった。そこで人々は、まん丸に輝く瑞々しい月を見て、先祖を思ったのだろう。供えるのは、新穀をついて丸めた団子。十五夜だから十五個。月が満ちる。人であれば成人で元服を示し、いわば「完全」というわけだ。
三方(さんぼう)に白い紙を敷き、団子を十五個、三角に積み上げる。添えるのは秋の草、すすき。諸説あるが、すすきはうっかり触れると手が切れてしまうほど鋭い穂先を持つことから、魔よけに用いられたとか。月見に供えたすすきを軒先に吊るすと、病除けになるともいわれた。
また、この時期に穫れる里芋を供えるため、十五夜を「芋名月」と呼ぶこともある。里芋は一株で子芋、孫芋とたくさん増えるため、子孫繁栄の象徴としてさまざまな祝い事に用いられてきた。月見の頃には、皮つきのまま茹でるか蒸して「衣かつぎ」にする。関西では煮っころがしや味噌煮にして、供える地域もあるという。
十五夜に月見をしたら、ひと月後の「十三夜」にも月見をして祝う。今ではあまり知られていない「十三夜」だが、かつては十五夜だけの月見は、「片見月」といって、縁起が良くないといわれたようだ。十五夜は芋、十三夜は栗や豆を供える。いずれもその時期の作物を供え、命のもとをもたらしてくれる大地に感謝する。美しくもあり大切な行事だった。
旧暦九月九日は「重陽の節供」。今では馴染みが薄いものの、かつてはとても重要だった節目の日。「陽が重なる」と書いて「重陽」。中国では縁起のいい陽数(奇数)の中で最大の「九」が重なるめでたい日。菊酒を酌み交わし、長寿と無病息災を祝った。これが日本に伝わり、宮中で菊花の宴を催したのが始まり。秋に咲き、血行不良に効く菊は、もともと薬としてもたらされたもの。秋の長雨で体が冷える時期、高貴な香りを持ち、体を整えてくれる菊は重宝されたようだ。菊花を愛で、花びらを浮かべた酒を楽しんだり、菊の夜露を綿に移した「被綿(きせわた)」で肌を清めるなど、現代でいうアロマセラピーも宮中の女性に流行したとか。
漢方でも菊は目の疲れによく、炎症を鎮めるとされ、香りはリラックス効果も高い。菊酒、菊花茶だけでなく、山形の名産「もってのほか」などの食用菊も、ぜひ料理に使いたい。
かつて菊はとても高価だったため、庶民の間では「重陽」は、栗や芋を食す節供。栄養価の高い栗、多産で縁起のいい芋を食べて、夏の疲れを癒していたらしい。
また、「温め酒」といって、重陽のころから酒はお燗をして温かいものを飲む。寒くなる季節に備える賢い古来の知恵である。
重陽には菊の料理を。沸騰した湯に酢を加え、食用菊をさっとくぐらせ、水にとれば鮮やかな色に。絞って酢のものや、キノコ類と共におひたしにしてもいい。
9月から暮れにかけてが美味
丸みのある扇型の貝の形から、古くは「海扇」と呼ばれた。二枚の貝の一方を舟に、一方を帆に見立て、「人生の荒波を進むように」との意味が、縁起ものとしても好まれた。天然ものの旬は冬。貝柱をゆでて乾燥させた干し貝柱は、さらに濃厚な味。熱湯でゆっくり戻して、もどし汁をだしとして使う。
皮をむけば
平安女性の衣被(きぬかつぎ)
中秋の名月に、里芋は欠かせない。この頃が、いちばんおいしい。蒸し上げてほどよく塩加減した子芋をつまむと、柔らかい外皮を破って、白い子芋が飛び出してくる。その様子を衣被(高貴な女性が外出の際に顔を隠すために用いた単衣の小袖)になぞり、里芋のことを衣被と呼んだ。相性のいいネギと一緒に煮含めると風味を増す。
新鮮な海の幸と旬の野菜を色鮮やかに盛り合わせたばらずしは、祭りの時期のご馳走。もとは岡山の郷土料理「岡山ずし」。かつて、質素倹約を奨めた備前岡山藩主の池田光正が、「庶民は一汁一菜にせよ」との御触れをだしたため、庶民が魚や野菜を寿司飯に盛り付けたのが由来。鯖ずしは、京都のご馳走。海が遠い京都では、若狭で獲れた鯖に塩をして、商人たちが鯖街道を通り、京都まで運んだ。およそ80キロの道のりを進むうちに、塩がなじんで食べごろになったのだ。
本記事は雑誌料理王国234号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は234号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。