条件のいい場所なら成功するのか?レストラン開業を知り尽くしたエキスパートに聞く


店は人で作る。
レストラン開業を知り尽くしたエキスパートに訊く

(株)アース・ステップ代表取締役 福島直樹さん
流行に左右されることなく、支持され続ける店を作る人がいる。フレンチの料理人を経てサービスの世界に入り、伝説的名店を作り上げた福島直樹さんだ。今も第一線で活躍する福島さんに、店作りの真髄を伺った。

店を作るということは、極論すると、人と場所と資金さえあればできることかもしれない。しかしながら、お客から支持されるためには、人をひきつける何かが必要だ。料理かもしれないし、サービスかもしれない。あるいは立地や店舗デザインかもしれない。多くの人が「ウケる店」とは何かと必死にもがき、コンセプトを作る。失敗したくない、というのは誰もが抱く思いだ。だからこそ、開店にあたりコンサルタントに頼み、流行りの店、他人から支持されることを〝狙った〞店を作ろうとする。


しかし、そもそも考え方が違うと福島直樹さんは言う。多くのレストランの開業や運営に携わり、今も息長く支持を得る店を生み出してきた福島さんにとって店を作るとはどういうことなのか?

オートクチュールか? プレタポルテか?

店作りをするうえで最初に問われるのは、自分はフードビジネスを展開しようとしているのか、あるいは店という形で何かを表現したいのかということだと福島さんは言う。飲食店を作ってお金儲けをしたいというのであれば、彼とは異なるフィールドの話だ。曰く、飲食業はそんなに儲かるものではない、と。彼にとって飲食店を展開することは商売を広げるということではないようだ。


たとえば、最新店である「オー・ギャマン・ド・トキオ」。この店は、シェフの木下威征さんという人物がいて初めて成り立つ店だ。木下さんのカラーが一番出せる、フルオープンな店とすることを初めから考えていたのだという。彼がすべてを見渡せ、お客からもすべて見える店だ。

この店に限らず、一軒一軒が独立したオンリーワンの店を標榜。マスコミなどで仕掛けることのできるベストセラータイプの店ではなく、ロングセラーの店を作るということをモットーとする。実際、福島さんはこれまでに多くの人気店を作り出してきたが、すべて店名も異なれば、業態も違う。それはなぜか?
彼が作るのはすべて、「人ありきの店」だからである。同じ店名の店をいくつも作ってもシェフが全部の店にいることは物理的に不可能。そういった商売はしない、というのだ。

「店を作るうえで多くの人にとって一番の問題は資金です。けれど、一番どうにかなるのも資金。どうしようもないのは、人です。だから、独立までにしなければいけないもっとも大切なことは人間関係を作ることです。飲食店はチームプレーで成り立っているわけだから信頼できるスタッフが一番大切なんです。同じ年代の同じ志を持った人を見つけ、その関係を大切にすることです」


つまり、工場で作った半製品をマニュアルに従い調理し、マニュアルどおりに提供する飲食店をプレタポルテとするなら、一軒一軒が違った顔を持つ店はさしずめオートクチュールのようなものだという。

条件のいい場所なら成功するのか?

店舗のコンセプトやスタッフが決まれば、場所探しも本格化する。では、一般的にいい立地条件とされる場所に展開すれば店は成功するのか? 答えはもちろんノーである。それどころか、福島さんの展開してきた店の立地はそのどれもが比較的わかりにくい場所にある。といって、隠れ家とかいうものではないようだ。

「店を作ることを決めたら、場所、立地、来てもらいたい層、営業の風景などイメージできないといけません。他人がよいと言っても自分で実感できなければいけない。私が店を出すのは、自分が住んでいる、あるいは熟知している街だけです。あと、1階であることにもこだわりません。この『オー・ギャマン・ド・トキオ』も2階にありますが、イメージにピタリとハマったので、むしろネガティブとは感じず、すぐにこの物件に決めました。


あと金銭的な条件面では、家賃は坪あたり2万5000円までが理想です。普通に飲食業をしようと思うと、これ以上の賃料だと難しくなると私は思います」
さらに福島さんはどんなふうにお客が入ってくるかも考える。通りすがりのお客を呼びこむ気はそもそもないのだという。わざわざ、それぞれの店に来てくれる人だ。わざわざ来るということは、お客同士の意識が近い、目的が近いということ。そういった人々が揃うことで店の雰囲気も必然的によくなるのだという。とくに「楽しむというだけの目的で人々が集う店」を考えている。だから、高級店はやらないのだともいう。高級店だと、「食を楽しむ」という以外の目的のお客も多いからだそうだ。

センスとチャンスの使い方 人脈の重要性

福島さんは言う。「原宿にあった『オー・バカナル』はすごいスタッフが揃っていたといわれるけれど、皆飛び抜けたセンスを最初から備えていたんではないと思います。才能やセンスのある人は山ほどいます。何かのきっかけで目に見えない流れに乗ることができたんだと考えています」。


料理にしてもサービスにしても、店作りにしてもある程度のセンスは皆が持っているもの。けれど、それを潜在的なものに終わらせず、チャンスをつかみ、形にできた人のことを才能やセンスのある人と評しているだけなのかもしれない。


そしてチャンスをたぐり寄せる意味で、もうひとつ大切なことが人脈作りだ。
スタッフとして参加する人、店を応援してくれる人、お客。それらすべてが店を作るうえでもっとも大切なことなのだ。福島さんは通りすがりのお客を呼び込む気はないと先に語っているが、ファンになったお客に愛され続け、彼らが新しいお客を連れてくる。それもまた人脈というわけだ。人脈があったから店を形にすることができたこともある。


1999年に「モレスク」を作ったのは、アース・ステップとして独立してしばらくしてのことだ。当時、独立したはいいものの、店があるわけでもなく、仕事があるわけでもない、一緒についてきたスタッフがいて彼らにも給料を支払わなければならない。そんな状態が続き、資金もあまり残っていなかった。


そんなところに「いい場所があったが、自分では店は作れない」と知人から持ちかけられた話で店作りが始まった。店はその知人が手に入れ、コンセプトやスタッフは福島さんが出した。「一番問題になるのは資金、でも一番なんとかなるのも資金」と語る福島さんにはそんな経験があったのだ。


その「モレスク」は〝反骨心〞をテーマにした。わざわざ1週間前に予約するような店ではなく、第一線で働く人のための店。だからあえて、マスコミに頼らず、店名も表に出さず、週休2日とした。宣伝に頼らなくても支持される店を作ろうという試みは当たり、当のマスコミ関係者が数多く訪れる皮肉な結果も生んだ。

「ポ・ブイユ」が開店したのは2004年のこと。すでにさまざまな業態の店舗は運営していたのに、肝心のルーツであるビストロ業態がないのはおかしいと福島さんは考えた。曰く、格好がつかない、と。


当時、ビストロは時代遅れとされたが、あえて挑戦した。しかも、非常にわかりにくい場所。しかし、今では高い支持を集める、東京を代表するビストロとなっている。


独立開業をめざす人が陥りやすいのは、「店を作ることを目的」としてしまうことだ。だから、立地を気にし、ブームを気にし、覚えやすい店名を気にしてしまう。けれど、出店そのものは目的ではない。その店で何をしたいのか、だ。他人やコンサルタントの言うことにとらわれず、自らが明確なイメージを抱き、人との関係性を築く。そうすれば、おのずといい店はできるのかもしれない。

今回撮影場所に選んだのは、現時点で福島さんの最新店である「オー・ギャマン・ド・トキオ」。白金の五の橋商店街という地元しか知らないような場所の、しかもビルの2階という、一般的にはけっして好条件とは思えない立地にある。

福島直樹さんの手がけた主な店


1993年 … 広尾 ラ・ビスボッチャ(リストランテ)
1995年 … 原宿 オー・バカナル(ビストロ&カフェ)
1999年 … 独立 (株)アース・ステップ設立
1999年 … 白金台 モレスク(フレンチ&バー)
2004年 … 白金 ガランス(バー)
2004年 … 恵比寿 ポ・ブイユ(ビストロ)
2008年 … 白金 オー・ギャマン・ド・トキオ(レストラン)

ほかにも新宿伊勢丹地下2階にあった「BCBGカフェ」や新宿ルミネの「テスタコーダ」、「ザ・コンランショップカフェ」など数多くの店を手がけている。

福島 直樹さん

(株)アース・ステップ代表取締役。1960年福岡県生まれ。料理人として三田「コートドール」でスーシェフを務めたのち、サービスの世界へ。(株)オライアンでは副社長を務め、「ラ・ビスボッチャ」「オー・バカナル」などを成功させ、99年に独立。現在、直営店舗9店のほか、運営委託を受けている店舗を多数持つ。奥に立っているのは「オー・ギャマン・ド・トキオ」シェフの木下威征さん。

オー・ギャマン・ド・トキオ
東京都港区白金5-5-10 2F 
● Phone 03-3444-4991
● 18:00~23:00 LO ● 日休

松尾 大=文・構成 一井りょう=写真

本記事は雑誌料理王国190号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は190号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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