海外から実力派のシェフを招いて多彩なフェアを展開する「帝国ホテル 東京」が、今年の2月にフランスから招聘したシェフはフィリップ・ミルさん。ホテルのメインダイニングであるフレンチレストラン「レ セゾン」で開催されたフェアで腕を振るった。ミルさんはフランスの名店で修業を積み、現在、二ツ星ホテル「レ クレイエール」内にあるレストラン「ル パルク」(ミシュラン二ツ星)等でシェフを務める。完成度の高い料理で、今、注目されるシェフのひとりであるミルさん。トップシェフへの軌跡を聞いた。
帝国ホテル 東京で開催されたフェア「レ クレイエール ウィーク」。ゲストには鮮やかな色彩が印象的な料理が振る舞われた。サフランやジャガイモなどを取り入れて、シャンパーニュ地方の雰囲気を醸している。
──パリの三ツ星店「ムーリス」はじめ、名店で研鑚を積んでこられて今日があるわけですが、一番、影響を受けたシェフ、あるいは振り返ってみて、「この時代があったから今がある」と思われるのはどの時代ですか?
出身地のブルターニュ地方にほど近いル・マンにある店から修業を始め、そこで学んだことは大きかったと思います。田舎町のレストランですが、父親と息子、ふたりのシェフは、ともにエスコフィエの料理法やサーブの仕方を踏襲していて、それを徹底的に教え込まれました。エスコフィエの精神を受け継いでいるシェフはいても、そのテクニックを学べる店は、当時すでに希少でした。
──ご自分で、その店を修業の場に選んだのですか?
知人のアドバイスもあって、新しいものを吸収する前に、まず伝統を知っておく必要があると考えました。それからパリへ出て、ブローニュの森にある「ル プレ カトラン」で修業しました。シェフのフレデリック・アントンさんは、ジョエル・ロブション氏の弟子であり、当時は二ツ星を獲得したばかりの、まさにスターシェフでした。
──ふたつの対照的なレストランを経てみて、いかがでしたか?
極端な言い方かもしれませんが、新しい技法はいつでも学べます。でも、「伝統」については、学ぶべき時期があるのではないかと思います。その意味で、出発期に「エスコフィエ」を吸収したことはとても大きかった。ですから、今、自分が若い人をリードする立場になって、彼らには伝統とモダンの両方を教えるようにしています。
──2009年に「ボキューズ・ドール」で3位入賞を果たされた時にも、よき指導者がいたのでしょうね。
そうですね。当時はパリの三ツ星店「ムーリス」で、ヤニック・アレノシェフのもとで働いていましたから、シェフにはいろいろと相談してアドバイスも受けました。毎日、仕事が終わってから、寝る間を惜しんで準備をし、技術を磨きました。ですが、一番の協力者となると、ビアリッツにある「ホテル デュ パレ」の名シェフ、ジャン・マリー・ゴーティエさんということになるでしょう。パリからビアリッツまでは約600キロあるのですが、彼の指導を受けたくて、週末の休みになると、いろいろな材料を持って、この長い道のりを往復しました。
──彼から学んだことで印象に残っているのは?
コンクールについて熟知し、哲学を持っている人だったので、テクニックはもちろん、テロワールや伝統の大切さ、エレガントさの追求など、多くを学びました。そんななか、今でも大事にしている言葉があって、それは、「自分の心に響く料理を作れ」。自らのハートに響く料理だったら、必ず、それを食べた人の心にも響くはずということなんです。この教えをシェフになってからもずっと守っています。
──苦労の時期もありましたね。
ええ、パリを離れ、現在の勤務地であるシャンパーニュ地方のランスへやって来た当初のことです。ホテル内にあるレストランとブラッスリーのシェフとして招かれたのが、2009年の12月。そして翌年の3月に発行されたミシュランガイドでは、レストラン「ル パルク」が二ツ星から星なしへ〝転落〞していました。「ル パルク」は、かつての三ツ星店。シェフが変わっても二ツ星はキープしていたのですが……。
「田舎で育ったので生産者の気持ちがよくわかります。だから地産地消の考え方を大切に、シャンパーニュ地方ならではの魅力を皿の上に表現していきたいんです」とシェフ。
──シェフに与えられる星ですから、シェフが変わると星もなくなってしまうのですね。
私の場合、パリの三ツ星店で働いていたといっても、当時はスーシェフでしたから。でも、人々の「レクレイエール」への信頼は厚く、優れたスタッフもいましたから、不安や挫折感はなく、日々努力を重ねていけば、必ず星を獲得できるはずだと信じていました。
──そして2012年、見事に二ツ星に返り咲くわけですが、その勝因は? パリとランス、ゲストの心に響く料理作りをめざして、何か変えたことはあるのでしょうか。
パリに比べたらランスは田舎ですが、すぐ近くに生産者がいて、ランスならではの食材が入手できる。それを十二分に活かそうと努力しました。たとえば、採りたての野菜や柑橘類、近くにはサフランの産地マヌルがあったり、またアルデンヌ地方の小さな農家では、一般にはあまり知られていないチーズが作られていたり。そうした地元産の食材に敬意を表して使わせてもらっていて、現在では43
の生産者と契約しています。
そのほかランスで変えたことといえば、そうですね。ランスのゲストはパリの食通たちより食欲旺盛なので、ポーションをやや大きめにしたことでしょう(笑)。
──二ツ星になり、修業志願者も増えたと思いますが、どのような視点で採用を決めていますか?
最初は履歴書などを参考に採用を決めますが、しかし、一度、スタッフになったら、その履歴書は処分します。あとは本人のやる気次第ですから。若いスタッフに対して、私が注意深くチェックするのは、そのまなざし。やる気は目に表れますから、目に力のある人は、よい料理人になると思って間違いないです。
──ミルさんは、日本の専門学校でセミナーを開催されたりしています。日本の未来のシェフについては、どのような印象をお持ちですか?
日本の若者たちは、確実に進化していると思います。10年前の生徒たちは、私が教えたことをその通りに真似しようとした。でも、今の人たちは違う。ただ真似るのではなく、理解して確実に自分のものにしたうえで、さらにそこに自分の考えを盛り込んで表現しようとします。
──日本の若き料理人やその卵たちにメッセージをいただけますか?
料理人として味を追求すると同時に、食材やそれを作っている生産者への尊敬も忘れないでほしい。そうした思いは間違いなく料理に反映されると思うからです。
また、理想とする料理人像は、自分が進化を続ける限り変わっていくものですから、その時々で自分にふさわしい師を求めることも大切だと思います。そうした関心は、華やかなトップシェフだけでなく、フランス料理の礎を築いた、たとえばエスコフィエのような人物にも向けてほしい。「ル パルク」では、魚介や肉の塊など、ゲストの目の前で切って盛り付けを完成させることがありますが、これはエスコフィエのサーブの仕方です。こうしたやり方を古いとするシェフもいるでしょうが、目の前で食材が切り分けられて料理が完成していく様子に、ゲストは目を輝かせます。古くても色褪せないテクニックがある。過去に学ぶ喜びも実感してもらえたらと思います。
ランスの中心部に位置する「レ クレイエール」。緑豊かな7haもの敷地の中には、20の客室のほか、レストランやブラッスリー、バーがある。
フレンチの基本テクニックを踏まえつつ、革新を求めるミルさん。「伝統」と「現代」、修業中にふたつの世界を体験することは不可欠であり、料理人としてのその後の歩みに大きく影響すると語る。帝国ホテル 東京「レ セゾン」にて。
1974年、フランス・ブルターニュ地方に生まれる。「ル プレ カトラン」「ムーリス」等で腕を磨き、2009年、ボキューズ・ドール国際料理コンクール世界大会で3位に。2011年にはMOF(国家最優秀職人賞)を獲得した。2009年よりシャトー「レ クレイエール」のレストラン「ル パルク」とブラッスリー「ル ジャルダン」のシェフを務める。
レ セゾン
Les Saisons
東京都千代田区内幸町1-1-1
帝国ホテル 東京 本館中2F
☎03-3539-8087
● 7:00~10:00 LO 11:30~14:30 LO
17:30~22:00 LO
www.imperialhotel.co.jp
レ クレイエール
Les Crayères
64, boulevard Henry Vasnier-51100
Reims-France
☎+33(0)3 26 24 90 00
● 宿泊 370~735€
●レ ストラン「ル パルク」でのコース料理
は120、190、210€
www. lescrayeres.com
上村久留美=取材、文 星野泰孝=撮影
本記事は雑誌料理王国238号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は238号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。