フランスで最も格式あるパラスホテルのうちの一つ、「ル ・ムーリス」にて、アラン・デュカス とヤニック・アレノ、二人の巨匠の元でフランスのエレガンスを学び、4年前、帝国ホテルに凱旋帰国を果たした帝国ホテル第14代東京料理長、杉本雄氏。帝国ホテル東京の8つのレストラン・バーラウンジ、350人の料理人という巨大組織を統括するのみならず、去年8月から、フランスで培った自身の技術とスタイルを表現するため、メインダイニング「レ セゾン」内に、一日一組だけのために杉本料理長自らが料理から演出までを行うプラン「ル サロン アンティミテ」をスタート。
個室内でのディナーの間は、テーブルサイドのサービスを始め、杉本料理長を独り占めできるというラグジュアリーなスタイルが好評を博し、食材が変わるタイミングで訪れるリピーターも少なくないという。
店内に足を踏み入れると、さすがは歴史と伝統のある帝国ホテル 東京のメインダイニング、帝国ホテル東京全体を統括するソムリエを始め、サービスの布陣も分厚く、食体験のみならず、最高のワインペアリングやラグジュアリーな時間そのものも楽しみたいという方の期待にも、しっかりと応えてくれそうだ。
フランスのエレガンスを知り尽くした杉本料理長が、今この瞬間に焦点を合わせて、1組のゲストのためだけに生み出すここだけの料理に、期待が高まる。
レ セゾン内の個室が「ル サロン サロンティミテ」の舞台。テーブルには、通常セットされているグラスやカトラリーがない。代わりにあるのが、サステナブルな観点からリサイクルレザーで特注したイタリア製の革のマットだ。ここで杉本料理長が登場、「お好きな色をお選びください」とのことで、好みの色を選ぶ。セッティングがされていないのは、「ここから、お客様のお好きなようにお料理を組み立てていきます」という思いの現れ。ランチョンマットの色や、誰がどのように選ぶかも、これから始まるディナーにさりげなく反映されていくという。「はじめまして、からの料理を通してのキャッチボールが楽しい」という杉本料理長。
サイン入りの特別メニューを開くと、食材の名前が並ぶ。「目をつぶっていても、どんな食材を食べているかわかる料理」がモットーの杉本料理長の思いがこもった内容だ。
◎本日のアミューズ・ブーシュ
「石の上でキャビアを温めて、ほんのりと火を入れました」と、石の上に乗ったキャビアが登場する。しかし、キャビアがのっているのは、本物の石そっくりに作られた竹炭のニョッキ。中には青のりを混ぜ込んだクリームが入っている。ストウブ鍋を開けて見せてもらったときに、海の旨味を感じさせる香りがして印象的だったが、これは提供直前に貝の出汁を注ぎ、香りを立てながらほんのりとキャビアに熱を伝える役割も担っている。貝の出汁を味に使うのではなく、自然な香り付けに使い、青のりのクリームの旨味に香りのレイヤーを加える贅沢な演出だ。
キャビアといえばブリニだが、その代わりに同じじゃがいもを素材にしつつも、しっとりと滑らかなニョッキと、その上でほのかに温められたキャビアにすることで、一体感のある一口サイズのアペリティフに仕上げた。
続いては、天然酵母のパン。こちらも、焼き立ての状態を切って提供してくれる。好きな部分を選んで良いが、「カリカリの部分が一番楽しめる」とオススメの端をいただく。添えられているバターはジョエル・ロブション 氏の故郷でもある、フランス・ポワティエ産のパムプリ―だ。
◎「赤貝 赤紫蘇香る自家製フレッシュチーズ ヘーゼルナッツと赤ワインビネガーの酸味で」
続いては、リッチなジャージー牛のミルクを凝固させ、ガーゼに包んで作った自家製フレッシュチーズ。干し草のスモークで瞬間的に燻製をかけ、周りに赤紫蘇の葉をまとわせている。
赤貝、赤紫蘇のゼリー、千葉県の大ハマグリ、ヘーゼルナッツ、自家製フレッシュチーズ、一番上にお花畑のようなもずくの天ぷら。「もずくの天ぷらは、目で見て楽しんで、お皿に落として食感も楽しんでもらえたら」と杉本料理長。上に飾られた花も、わずかに塩気を感じるボリジ。グラスの縁には、ちょうどソルティドックの塩のように、端野菜を焼いて粉末にしたパウダーがまとわせてあり、山あいで作られる、灰をまとわせたフレッシュチーズを連想させる。
赤貝にチーズを合わせ、エシャロットとワインビネガーを効かせた味の構成は、ビネグレットでいただく牡蠣のイメージから。そこに「梅の季節、梅と紫蘇で蒸し暑い時期に清涼感のあるものを作りたい」という和の文脈も背景に生まれたのがこの一皿。
チーズにあえて味を何も足さず、クリーム感のある、優しい味の余白としているのが印象的。
◎赤座海老のモダンなサンドイッチ仕立て
登場したのは、海老のモダンなサンドイッチ。使われているのは駿河湾産の極上赤座海老。フレッシュな生の身を、エスペレットペッパーを効かせたコライユを使ったソースと共に、カリッとした薄切りの天然酵母パンで挟んでいただく。
サイドに添えられているのは、中国料理のカニ爪のフライのような形で、細かく刻んだパンの衣をつけて揚げた身。フレッシュな身と加熱した身、冷と温の対比が楽しめる。
これまでも、歴史あるブフェレストラン「インペリアルバイキング サール」を、食品ロス削減を考えてオーダー形式にするなど、サステナブルな取り組みを次々と行ってきた杉本料理長。「130周年を迎えた開業月の11月からは、更にSDGsの取り組みを広げています。料理の中でも常にサステナブルを意識しながら作っています」と語りつつ、見せてくれたのが「オリジナルブレンド塩」のセット。キャベツの硬い外側の皮、飲み頃をすぎた赤ワイン、紅茶に添えるレモンの皮など、帝国ホテル内で使われている食材の、普段はロスとなる部分を使っている。
リクエストに合わせて、お任せの場合は、後の料理に合わせて調合する、ということで、この後のメニューにある鮎とオマールをおいしく食べられる塩を、とお任せでお願いすることに。
◎鮎 化粧塩グリル セロリと西瓜をサマーガーデンに見立てて
まるで、日本料理のような鮎。「化粧塩をして焼き上げました」と杉本料理長。
付け合わせは、鮎のきゅうりやスイカのような瓜系の香りをイメージして、スイカの実と花きゅうりを添えて。たで酢の代わりにセロリを使ったマヨネーズのようなソース、酸味を足すために、スダチをオリーブオイルの中でコンフィにしたものに、生のスダチのスライスを合わせたコンディメンツ。同じ食材を二つの調理法で、異なった表情を引き出す。
フランスに鮎はないため、これは完全に日本料理からのアイデア。シンプルにグリルしたかのように見えた鮎は、実はお腹から骨を抜いて、新鮮なワタをオリーブオイルでコンフィにし、きめの細かいシノワで裏ごししていて、鮎の身のムースに混ぜてお腹に戻している。
見た目は和食なのに、テクニックはフレンチという面白い品。フワッとしたムースはほろ苦さにちょっとクリームを混ぜてまろやかにしている。シャープなセロリの香りが鮎と意外な相性のよさ。
◎オマール海老 殻付き丸ごとロースト 花クールジェットとアーティーチョークのサラダと一緒に
銅鍋に入った丸ごとの巨大なオマール海老は存在感も抜群。最近ではテーブルサイドのサービスをする店が減ってきたものの、やはり目の前で料理を仕上げてもらう非日常感は格別。
ほのかにバターの香りがするものの、実は直接この鍋にはバターは入れておらず、オマールのビスクを作る際に上澄みとして出てくる、赤い色素の移った「エビ油」のような油分を使っているそう。ビスクには、野菜などを炒める際にバターを使っている為、混ざってはいるものの、この油分はオマールの油分も合わさった、「よりオマールらしい」油でオマールを焼く、という寸法。付け合わせはジロール茸、花ズッキーニ、ズッキーニのピュレ、アーティーチョーク、杏など。オマールの上には、コライユをマスタードと和えた薬味をのせて。そしてサイドには溶岩石の上で温めていた、オマールのブイヤベース。皿の外のソースのようなイメージで、ほっとするブイヤベースを一椀添える、この感覚はデュカス氏を彷彿とさせる。
先ほど杉本料理長がブレンドした塩は柑橘が香り、この一皿をさっぱりといただける。また、杏の酸味をそのまま生かし、あえて甘味を加えていないのが印象的。糖分を使わず、オマールの繊細な甘味を感じて欲しい、というアプローチ。ペルノーをしっかりと効かせたブイヤベースは、塩気もはっきり、パンが進みます。ちなみに、パンは四万十川産の四万十海苔が入った、香りの良いもの。オマールに海の香りをプラス。
この日は都の自粛要請でノンアルコールだったものの、伊藤ソムリエのオススメは、アプリコットとも寄り添う、コンドリューの著名醸造家、フランソワ・ヴィラールのヴィオニエ、とのこと。甲殻類との相性の良さで知られるコンドリュー、きっと食体験をさらに格上げしてくれるはず。
コーンも食べて育つあか牛、サーロインを焼き上げ、初代会長・渋沢栄一氏の出身地、深谷産のヤングコーンと甘味のあるコーンスプラウト、ビネグレットで酸味を整えたオーストラリア産黒トリュフのピュレを添えて。下には、ポートワインのゼリーを敷いてあります。仕上げのソースはオーブンを使わず、全てココットで仕上げるもの。ココットの中に牛スジを入れ、火を入れる度にメイラードした鍋肌をチキンブイヨンでこそげ落とし、それが肉に絡まる、ということを繰り返して、酢豚のように、ちょうど肉の周りにキャラメルがついている状態を5〜6回繰り返した後、さらに同じ工程を赤ワインで4〜5回繰り返すという手の込んだもの。オーブンで焼いた肉や野菜を鍋に浸けて煮出すというより、ココットの中で毎回リダクションをするイメージだという。このオリジナルの手法は、長時間煮出すとその肉独自の味が飛んでしまう為、短時間に味を凝縮する方法はないか、と考えた末に思いついたのだとか。ソースの仕上げに、バターモンテは行わず、牛のジュを取った際の上澄み、つまり牛の脂そのものでモンテしているようなイメージだとか。
サイドには、「〆のご飯」の代わりに、〆のキヌアの炊き込み。メインの肉とトーンを揃えて焼いたコーンに、甘い香りの発芽大豆、トリミングしたあか牛の肉を一緒に炊き込んで、最後にたっぷりとオーストラリア産の黒トリュフを削りかける。
素材を追求する本質主義かつ、こんなヘルシーなアプローチも、デュカス氏からの継承を色濃く感じるものの、「デュカス氏よりも、バターの使用量は少ないと思います。バターの17〜18%は水分。仕上がっているものに対して水分を足して乳化するのをよしとするかどうか」。杉本料理長は、香りをたてたいソースは乳化をさせず、分離させて作った方が、煮詰まった味と香りの移った油の二つを口中調味できて良い、と考えるタイプ。素材を素材らしく、補強するならそのものの味で、というアプローチ。
フランス料理には、肉の塊を焼いて、そこから出たジュが、ちょうどその塊の肉にそぐう量のソースになる、という考え方がある。それに近い、余すことなく使い切る、肉から出たものを肉に戻すことで、よりその食材の味らしくなる、という考え方にも近い。
◎「宮城県 ライチ烏龍茶薫るクリーム寅壱のグラニテの取り合わせ クコの実のソースで」
プレデセールは、珍しい国産、宮崎県産のライチ。大振りで香りの良いこのライチを使い、果肉と合わせたグラニテ、そしてもう一つはライチの形ではあるものの、ホワイトチョコレートのシェルに、果肉と烏龍茶のムースを閉じ込めたもの。
杉本料理長が、「台湾に行った際にライチを食べて、もう一つ台湾名産の烏龍茶と合わせようと思った」のがこの組み合わせを思いついたきっかけ。薬味は枸杞の実をオレンジ、烏龍茶、蜂蜜で炊いたもの。蜂蜜を使うのは、精製されていない糖で食べて欲しい、と感じているから。烏龍茶のムースは甘さが控えめながら、烏龍茶の収斂性で、クリームの自然な甘味がよりはっきりと感じられる組み合わせに。
◎ピオーネ 黒葡萄、じっくり低温ロースト コニャック香るレーズンバターサンドイッチ
そしていよいよ、メインのデザート。
ピカピカの銅鍋に入っているのは、ぶどうジュース、コニャック、ポートワインを混ぜたものに浸し、90度で2時間、じっくりとローストして甘味を引き出したピオーネ。
目の前で銅鍋からガラスの器に盛られたピオーネは、みずみずしくて大粒の食感の贅沢さ。もう一粒…と口に入れると、これが実は、ピオーネで型をとって作った、ぶどうゼリーをかけた蜂蜜とローズマリーのムース。枝から直接実を盛り付けるところを見ていたのに、合間に「ゼリーの実」が仕込まれていたとは。
フレッシュな実とより甘味の強いゼリーの実は、その甘さをローズマリーのシャープさで引き締め、穏やかなものと強いものという味の対比で、食べ飽きず重たく感じないものに仕上がっていた。飾られていたのは、フレッシュなアニスの葉で、清涼感のある甘い香りが魅力的。赤ワインとポートワインを浸したクルトンは、レーズンを思わせる、パンの発酵種の香りが生きている。グラスロワイヤルのディスクをのせて。
「デザートはコース構成の上で重要な一皿と考えているので、酢や塩分も生かして、フルーツならフルーツ、食材の旨みや甘さが引き立つような考え方で作っています」と、一貫した杉本料理長の世界観が感じられる構成。
そしてサイドには、金継ぎ柄のレーズンバターサンドイッチ。サステナブルな日本の仕事の象徴する金継ぎ柄は、竹炭のサブレを割って、合間に薄くバターを塗った上に金箔を透かせたもので、レーズンバターサンドを表現。上にはフルードセルと胡椒、下にはレーズンのグラニテ、メレンゲ、生クリーム。アクセントの胡椒の旨味で食欲をそそる刺激に。
杉本料理長の仕立ては、どれも食材をより食材らしく、というアプローチながら、細かく手をかけ、且つこの胡椒のように、単調にならず、もっと食べたくなる仕掛けを隠してあるのが印象的。
今度は何で驚かしてくれるのだろう、という期待感もまた、リピーターを惹きつける魅力だろう。
食後の飲み物は、ハーブティーの選択肢があったので、「フレッシュですか?」と何気なく尋ねると、この日はドライでの用意。それを小耳に挟んだ杉本料理長が素早く、「ペストリーにフレッシュがあるか聞いてきて。ベルベーヌはお好きですか?レモンバームとタイムを入れたフレッシュハーブティはいかがでしょう?」とフレッシュハーブティをアレンジ、程なくしてレモンの爽やかさに、ローズマリーを優しくしたようなタイムのアクセントが黒ぶどうとの相性も良い、フレッシュハーブティがサーブされた。恐縮するとともに、そのスムースな連携プレーにも、さすがホスピタリティのプロが揃う帝国ホテルならではだと驚かされた。
この帝国ホテル東京全体を統括する総料理長をはじめとするチームが、「わたし好み」の食体験を全面サポートしてくれる。通うほどに、好みを理解してもらえ、より豊かな時間になるのは、いうまでもない。いわば、帝国ホテル 東京の料理長が「行きつけ」の店のシェフになる、ということでもある。この贅沢なプライベート感は、一流料亭での食事体験に近いものがあるように思う。実際に、1〜2ヶ月に1度のペースで訪問するゲストもいるという。
杉本料理長の、食材の本質を見つめるアプローチ。
この場所は、就任3年目を迎えた杉本料理長にとって、プレーヤーとしての舞台でもあり、ここで食事をするゲストからのリアクションを吸収し「今」のクラッシックを生み出して行くための最前線でもある。ここから生まれたアイデアが、帝国ホテル全体のレストランに浸透してゆき、新たなスタイルを生み出していく。「本質を見つめる」という杉本料理長のスタイルは、それが、1890年開業という長い歴史を持つ、東京が誇るクラッシックホテルのありようでもあるのだろう。
ル サロン アンティミテ(Le Salon “Intimité”)
【住所】東京都千代田区内幸町1-1-1 帝国ホテル 東京 本館中2階
メインダイニング 「レ セゾン」内
【TEL:】03-3539-8087
取材・文= 仲山今日子
仲山今日子
ワールド・レストラン・アワーズ審査員。元テレビ山梨、テレビ神奈川ニュースキャスター。シンガポール在住時、国営ラジオ局でDJとして勤務。世界約50ヶ国を訪ね、取材した飲食店や食文化について日本・シンガポール・イタリアなどの新聞・雑誌に執筆中。