お手伝いハルコのレシピの考古学⑧料理写真家『佐伯義勝』


「うまい瞬間をカメラにちゃんと食わせろ」

現在料理写真家はどの位いるのでしょうか。デジカメやスマホが発達し、誰でも簡単に料理の写真が撮れてSNSでは溢れかえっていますが、まだ料理写真家という職業もない時代に自ら料理写真の世界を切り開いた男がいました。

『佐伯義勝料理写真の世界』見開きいっぱいに写し出された「大根と角煮」、鍋からは湯気が上がっている。
『佐伯義勝料理写真の世界』(佐伯義勝写真展実行委員会)

【佐伯義勝】報道写真家から料理写真家へ

その男の名前は佐伯義勝。1927年東京の日暮里で誕生し、叔父が写真館を営み従兄弟は松竹大船撮影所でカメラマンという環境で子供の頃から写真やカメラには親しんでいまいした。戦争中いつ空襲で家財を失うかもしれないという理由で佐伯は母親と家にある全財産のお金を半分に分けて常に身に着けていたそうです。
勤労動員で中島飛行場の行き帰りに、古道具屋でライカⅢAが置いてあり佐伯はどうしても欲しく終戦の8月15日に店の主人の500円のライカを450円にまけさせて入手しました。その当時のお金の価値を現在の価値で換算することは難しいのですが、10万円相当ではないかと思います。戦後佐伯は明治大学商科に入学と同時にカメラクラブに所属し、買ったライカでカタログの仕事や結婚式の撮影とアルバイトで稼いでいたのです。
ある日写真家の木村伊兵衛が学校に来た際に縁となり、大学を卒業してサン・ニュース・フォトに入り木村伊兵衛に師事することになりした。「木村先生のことは、小学生の時分から『アサヒカメラ』で写真を見て、あこがれていました。戦後復刊したサン・ニュースの表紙の撮影に先生のライト持ちさせてもらい、嬉しくて嬉しくて天にも昇る心持でいた」と佐伯談。木村伊兵衛は新人写真家の登竜門「木村伊兵衛賞」の冠となる日本の写真界の最大のレジェンドなのです。

また、佐伯はもう一人のレジェンド土門拳にも師事して社会主義リアリズムのルポルタージュ写真を撮り続けました。その代表的なルポ写真が昭和30年から32年に都下砂川町で起こった砂川基地反対闘争の写真だったのです。

その頃佐伯の仕事に大転換が訪れたのです。

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