今、「その土地に根付いた食」「その土地でしか体験できない食」への関心が高まっている。
この連載では料理人、生産者、自治体などが連携し、新しい「地域の食」が生まれる現場をローカルツーリズムに通じた柏原光太郎氏がレポート。
訪れるのは、2024年度美食都市アワードの受賞5都市。今回は京丹後市を訪ねた。
京丹後の自然は素晴らしい。
青々とした海と砕け散る波。冬の間人(たいざ)ガニはもちろんのこと、サワラやブリなど新鮮な魚介類が目の前で上がり、有機農法で野菜を育てる農家もある。里山を歩けば山菜がある。日本海の夕陽は感動的で、泉質のいい温泉もある。
しかし、京丹後は遠い。
東京から電車で行くには最低でも2回の乗り換えが必要で、6時間以上かかる。レンタカーの場合は京都か敦賀からで5時間程度。今回は北陸新幹線が延伸した直後なので、敦賀経由で訪れることにした。途中から高速に乗るので運転はスムース。車窓からは里山や海の風景が見える。
今回の宿となる温泉旅館「万助楼」に荷物を預け、日本料理「魚菜料理 縄屋」の主人、吉岡幸宣さんと合流した。日本海に面した大成古墳群を案内していただいた帰り道に、料理に使う、野生ののびるや葉にんにくを摘む。
縄屋は2006年にオープン。父親が創業し、亡くなった後は母親が経営していた仕出し屋とスーパーだったところを、彼が日本料理店にした。2020年に休業して改装し、カウンターとテーブル席で、熱源を薪中心にした料理店とした。
魚菜料理 縄屋
自家と地元の野菜と魚、薪火の調理。京丹後に根ざした自己流を追う
京丹後市出身の吉岡幸宣氏が2006年に開業した「縄屋」。母と妻との3人で自家の畑で野菜を育てつつ、細やかにお客に向き合えるカウンター10席の店を営む。店は弥栄町の落ち着いた一角に立地し、古美術やアートを識る吉岡氏の美意識が各所に宿る。2020年に店をリニューアルし、薪の熱源を設置。料理も大きく変わり、進化を続ける。
京都府京丹後市弥栄町黒部2517
TEL 0772-65-2127
12:00〜、18:30〜(一斉スタート)
火水木休
https://www.nawayarestaurant.com
吉岡さんは1974年生まれ。高校卒業後、関西で修業し、最後は京都の料亭「和久傳」で6年間研鑽を積んだ。
「両親が飲食関係だったので、子供のころから春は一緒に山菜を採り、夏は海岸で採れたての貝やウニを食べていました。食材そのものがおいしいので、それを素直に味わってもらうことが僕の味の原点にあります」
修業に出かけたときから、ゆくゆくは戻ろうと考えていたが、若くして戻るきっかけは、やはり京丹後の食材だった。
「子供のころ、夏の浜辺で殻を割って食べるウニは鮮烈な香りで本当においしく、感動した記憶が頭に残っているのですが、日本中の一流の食材が集まる和久傳であっても、それを超えるものに出会えなかったんです」
26歳で戻り、当初は母と一緒に仕出し屋を営んだ。冠婚葬祭の料理が主で、多い時には300人以上の料理を作ったという。当初は母の作る料理を踏襲したが、そのうちに和久傳仕込みの料理も作るようになった。その後、母の後押しもあって縄屋をはじめたのが2006年、彼が32歳のときだった。
最初はコース2500円から、それでも京丹後では高い店だったが、仕出しやスーパーの客に加え、和久傳の客も来てくれた。さらにネットの有名レビュアーが評価してくれたことをきっかけにして食サイトの数字が上がり、縄屋の名前は全国に知れ渡ったという。
「新規のお客様が来て下さるのはいいのですが、予約の少し前に『いま京都駅に着いたんですが、タクシーでどれくらいですか』なんて電話がかかってきたこともありました。本当に乗ったら、何万円かかりますかねえ」
次第に自分らしさを表現したくなり、京丹後でしか食べられない料理を作ろうと思い始めた。とはいえ、食材はこの地域だけにはこだわらず、おいしいものであれば全国から取り寄せる。ここでしか出来ない料理を作ろうという思いが薪を熱源に使うことにつながり、厨房改装時に薪オーブンを置いた。
「薪は炎をコントロールでき、水蒸気を使えるのがいい。炭と違い、地元のものを使えることも気に入っています」
現在のコースは15000円。内容はその日の魚次第で変えるが、茶懐石のように、必ず最初に、薪を使い土鍋で炊いたごはんを煮えばなで提供する。炊きたての香りと味にそそられて、次の料理が待ち遠しくなる。
そして最近凝っているのが「新しき魚」と題した料理。2種類の魚のいっぽうを芯にして、もう一つで巻くことで新しい食感と複雑な味を楽しめる。この日は3枚に卸したイワシを芯にしてタチウオで巻き、串に刺して薪火で焼いてから、隣の宮津市にある飯尾醸造の赤酢をかける。添えたのは、さきほど大成古墳群の周辺で摘んできたのびるだ。
「せっかくいらしたのなら沢山の魚を食べて、食感の違いも感じてほしい。魚同士ではなく、肉と魚のときもあります。和久傳の女将さんに『素材の使い方は大胆に繊細に』と言われたことが頭に残っています」
最後のごはん替わりも縄屋の名物。おこげ料理を出すことが多い。
「昔はどんな家庭でも薪を使って料理をしていたわけですが、最初は強火で御飯を炊き、熾火になるまでのあいだに料理を作ったと思うんです。いまの日本料理は最後にご飯ものを出しますが、それだともう一度薪をくべなければならず、資源の無駄です。なのでうちでは最初に煮えばなを味わってもらって、最後はその御飯をおこげにして餡掛けを味わってもらうんです」
ご飯を丸く成型したあと、オーブンで乾かしてから網に乗せてじっくりと焼く。この日の餡の具はセリとホタルイカ。ホタルイカの茹で汁と昆布だし、米粉で調味した餡をおこげに掛ける。かき混ぜるとリゾットの食感になる。新鮮なホタルイカの香りが素晴らしく、吉岡さんが京丹後に戻ってまで作りたかったのは、こういう料理なのかと私は感じた。
京丹後産の米と水を、同地産の薪を熾して炊いたご飯は、京丹後の食に取り組む縄屋を象徴する存在。コースの冒頭に煮えばなで提供する。その後、薪はじきに熾火に変化し、魚を焼くのに最適な状態に。香ばしく焼き上げた魚の料理の出番だ。締めは冒頭のご飯をおこげに仕立てた一品とするのが定番。
吉岡さんは自分の料理を日本料理ともイノベーティブだとも思っていない。言ってみれば京丹後の食材を使った縄屋の料理だが、その着想は、京丹後の仲間との繋がりで得られることも多いという。
吉岡さんは「深夜ラボ」という名前の持ち寄りの交流会を、縄屋で年に数回開催する。飯尾醸造の飯尾彰浩さんとの出会いで、丹後地方の料理人たちとのつながりが出来たのがきっかけだ。当初は5人で「のびるの会」と名づけ、地方に食べに行ったり、夜に共同研究をし始めたが、評判を呼んで「深夜ラボ」となった。
縄屋 深夜ラボ
地域の食をテーマに深夜に議論。
情報、情熱、問題意識を共有
「縄屋」では年に数回、京丹後を中心とする地域で、食に携わる仕事に就く人たちが集まっての勉強会が行なわれている。テーマは食材や料理、「京丹後の未来」などで、集まるのは料理人、生産者、バーテンダー、卸業者など多彩。この日は、隣の宮津市で京都北部地域の食の活性化に取り組む「飯尾醸造」飯尾彰浩氏も参加。
この日の夜、吉岡さんが深夜ラボを開催してくれた。集まったのは20人ほど。飯尾さんのほか、農園経営者、旅館料理長、寿司やピザ、焼鳥、バー、ラーメンの職人、杜氏、ソムリエ、フレンチシェフなどバラエティに富んでいるが、共通するのは丹後を愛し、食や料理が好きなこと。酒を飲みながら、持ち寄った食材を使い、おたがいに得意な料理を教えあう。私が印象に残ったのはポルトガル人の寿司職人、リカルドさんに間人ガニのさばき方を熱心に教えていた、万助楼料理長の大町英継さんの姿だった。
横のつながりを大事にしたいという思いは行政も同じ。京丹後市の高橋尚義商工観光部長によると、市が食をテーマに町おこしを考えたのは2016年、市議会が決議した『京丹後「食の王国」まちづくり宣言』がきっかけだった。
2019年には5人の料理人と市職員が世界随一の美食都市であるスペインのサンセバスチャンを訪れ、三ツ星レストラン「アケラレ」のシェフたちと交流した。そして同年、「京丹後ガストロノミカ」を開催。料理人と生産者のネットワークを作ることを目的とし、サンセバスチャン名物であるピンチョスならぬ「たんちょすバル」まで登場した。コロナで一時休止したが、今年秋も開催予定だ。
京丹後ガストロノミカ、たんちょすバル
自治体と民間が共同で開催する食の学会とバル形式イベント
「京丹後市は2016年から宿泊業、農業、漁業、食品流通業者によるワークショップを行うなど、 “旬でもてなす食の観光”に官民一体で取り組んできました」と、同市商工観光部の高橋尚義部長(写真下中)。2019年に初回が開催された食の学会「京丹後ガストロノミカ」と、地元食材の料理をバル形式で楽しむイベント「たんちょす」はその成果の一つ。
問合せ
京丹後市役所商工観光部観光振興課
TEL 0772-69-0450
このように見ていくと、京丹後では官民ともに人と人との連携を大事にすることで「美食」が盛り上がってきたことがわかる。
もっと個別に見ていこう。吉岡さんの料理に重要な魚介類を卸しているのは「平七水産」。間人で生まれ育った取締役の吉田雅さんと吉岡さんの付き合いは十数年前から。丹後地方の市場をめぐり、いい魚があると吉岡さんに連絡を取る。やりとりはほぼ毎日。
「長い付き合いだから、吉岡さんの好きな魚は肌感覚でわかる。マナガツオやサクラマスのようにあまり揚がらない魚や、グラ(ゲンゲ)みたいに高級魚じゃなくても好きそうな魚があるとすぐに電話します」
平七水産
京丹後の豊かな海産物を的確に扱い、価値を高める
冬の「間人(たいざ)ガニ」で知られる間人の卸売市場を拠点とする水産物の卸会社、平七(へいしち)水産。取締役の吉田雅氏は地元のほか、関西や東京の高級料理店の顧客も持ち、選りすぐった間人の魚介類を卸す。市場ほど近くの事務所併設の売店、ECサイトでも販売。漁師た
ちとの連携で魚の処理方法を改善するなど、地域の漁業の底上げにも取り組む。
京都府京丹後市丹後町間人1789-1
TEL 0772-75-0025
https://www.hei7.com
魚の良し悪しは処理の仕方だから、神経締めして放血するなど最新のテクニックを漁師に学んでもらうのも吉田さんの仕事だ。これからの季節はタイやヒラメ、オコゼなどの白身が旨くなるという。
魚ときたら野菜。有機野菜だけで農業経営をしているのは「SORA農園」。大場亮太さんと稲鍵佐代子さん夫妻は神奈川県葉山市で音楽プロデュース会社を経営していたが、東日本大震災をきっかけに直接、人の役に立てる仕事をしたいと思い、農業を志した。場所を探しているうちに佐代子さんの祖父の故郷・京丹後に出会い、2014年に移住を決めた。
SORA農園、キコリ谷テラス
地元レストランを支える、風味に芯のある有機野菜を栽培
2014年開園のSORA農園は、神奈川県より移住した大場亮太氏、稲鍵佐代子氏夫妻が営む有機農業の農園。土づくりからはじまる農作業は大場氏が担当し、欧米野菜、小麦などを多彩に栽培する。一方稲鍵氏は、直売所兼カフェである「キコリ谷テラス」を運営。大場氏や近隣の有機生産者が作る野菜、地元の上質な加工食を販売し、京丹後で食やモノづくりに携わる人たちの輪を育む。
キコリ谷テラス
京都府京丹後市弥栄町船木407 TEL 0772-66-3210
金(11:00〜16:00)、土日(10:00〜17:00) 月〜木休
Instagram/ sorafarm Facebook/ キコリ谷テラス
しかし、このあたりの土は花崗岩が風化した真砂土で栄養がなかったため、落ち葉や刈り草などを混ぜ込み、2年間かけて改良。米ぬかやカキ殻などを肥料として使うが、すべて京丹後由来のものばかり、循環型有機農法だ。
いまは6カ所の畑、計17000㎡ほどで70種類の野菜を亮太さんが作り、彼の作った小麦粉を使って佐代子さんが作るお菓子は隣接する「キコリ谷テラス」のカフェで食べられる。ほとんど地縁のなかった京丹後だが、いまや夫婦ともに離れる気はまったくない。
「京丹後はいいものがまだまだ隠れていて飽きません。毎年2回、収穫祭をするんですが、毎回800人以上集まり、そこから横のつながりが生まれる。移住してくる人は変人が多いですが(笑)、楽しい交流が生まれるんです」
と、佐代子さんは嬉しそうに話すが、変人は移住者だけではない。
日本酒中心の京丹後でワインと料理の旨さを知ってほしいと昨年、レストラン「raw」を開いた坪倉史明さんは、生まれも育ちも京丹後。18歳で京都に料理修業に出かけ、20年ほどフレンチやステーキ店で働き、帰郷した。
raw
薪焼きステーキと地元野菜、窓の外は海と空の絶景
海岸の絶壁に面したレストラン。京丹後市出身の坪倉史明氏と妻の直子氏が営む。厨房には自在に肉を焼ける手作りの焼き台を設け、坪倉氏が京都でシェフとして長年取り組んできた薪焼きの牛ステーキに引き続き向き合う。昼はシャルキュトリー、SORA農園の野菜のサラダ、ステーキを、夜は坪倉氏のセンスで地元素材をシンプルに仕立てたコース料理を提供。
京都府京丹後市網野町三津292
TEL 080-9128-4129
12:00〜、日没する30分前〜 不定休
店は中心部から外れた、日本海を見下ろす高台。カウンターの大きな窓から日本海の絶景が見える。坪倉さんはカウンターと半個室をワンオペで回す。熱源は薪を中心に使い、昼は4000円弱、夜は1万円からだ。
「地方は車移動が中心なので、町のはずれでワインを売るのがむずかしいことはわかっていましたが、ここから見る夕陽があまりにもきれいなので即決しました。最近はわざわざいらして下さる方が徐々に増えてきています」
客がいないときに作っているというシャルキュトリーが抜群に旨く、ワインに合う。ランチではSORA農園の野菜を使ったサラダのあとに薪焼きステーキが登場する。付け合わせの焼き野菜もたっぷりで、あらためて京丹後の食材の素晴らしさを実感した。
rawで扱うすべてのワインを卸しているのが、京丹後唯一のワインショップ「YOiNE」(ヨイン)の由良拓馬さん。前職は関西のミシュラン星付きフランス料理店で12年間ソムリエを務め、ハーフで2万円近いペアリングコースを作ってきた。退職後、ニューヨーク修業も考えたというが、子供をのびのびと育てたいと考え、夫婦の出身地である京丹後で開業した。
「まだワインが一般的でないことへの覚悟はできています。自然派中心ですが、伝統的なものも揃えています。丹後で唯一のワインショップなので偏った品ぞろえにしたくなかったからです。手頃なものを中心にして、ここにワイン文化を根付かせたいですね」
Wine & Coffee YOiNE
ワインを、京丹後の食文化に落とし込む
地元出身の由良拓馬氏は2021年に「YOiNE(ヨイン)」を開業。自然派ワインに意欲的でありつつ、多くの人に親しまれるバランスのよい品揃えを誇る。4月4日にリニューアルオープンし、グラスワインやコーヒーも提供している。大阪の高級店でのソムリエ経験を生かし、京丹後の旅館やホテルにて、ワインリスト作りやサービス教育を担うことも。京丹後でのワイン文化定着と、海外客を含めたより多くの観光客の食の満足度アップをめざす。
京都府京丹後市大宮町善王寺1162-2
TEL 080-9128-4129
12:00〜18:00 月休
https://wineshopyoine.com
日本酒にも変人はいる。
竹野酒造の杜氏、行待佳樹さんも京丹後生まれ。東京農業大学を卒業してから酒造会社で学んで2007年、24歳で父が社長を務める竹野酒造に戻った。東京では日本酒鑑定のプロと互角に話せるようになったほどで、入社して2年後、父親に「杜氏をやれ」といわれてからは自分の好きな酒だけを造っている。
「それまでのうちの酒は凡庸なものでした。でもこの先は海外に勝たなければ生き残れない。だから、自分が納得する酒を作ろうと思ったのです」
竹野酒造
三兄弟で取り組むイノベーティブな日本酒
杜氏の行待佳樹氏(写真左)は、この蔵の6代目。15年前、25歳で杜氏を継いだ時から前例にとらわれない思考で個性の際立つ酒造りに取り組み、国内外の多彩なジャンルのトップレストランと取引を広げてきた。長男の佳樹氏、繊細な技術で酒造りを支える次男の達朗氏(中)、発信や戦略実行を担う三男の皓平氏(右)の三兄弟で蔵を担う。
京都府京丹後市弥栄町溝谷3622-1
TEL 0772-65-2021
https://yasakaturu.co.jp
一本千円台から7万円台のキレッキレの酒まで、自分がこれなら勝てると思えるものを作るのが行待さんの使命。ふたりの弟も会社に入り、兄弟3人で将来の展望を考える。現在、海外輸出が全体の30%、これをもっと上げていかなくてならないと行待さんは考えている。
ピッツェリア「uRashiMa」の藤原英雄さんは、ピッツァの本場ナポリや赤穂の名店「さくらぐみ」で腕を磨き、世界大会で準優勝もした経歴の持ち主。帰郷し、京丹後で鮮魚店を営んでいた実家をカウンター5席のピッツェリアに変えた。「イタリア人は自らの故郷に絶対的な誇りを持っている。自分もそうありたい。私はピッツァで丹後愛を表現します(笑)」。ナポリピッツァに地元の魚介や野菜を取り入れるスタイルで、地元のみならず全国から訪れるお客を楽しませている。
uRashiMa
故郷の素材を取り入れた本格ナポリピッツァ
ナポリでのピッツァ修業の経験もある店主の藤原英雄氏。ピッツァ世界大会の創作部門で準優勝するなど、本格的ピッツァ技術と柔軟な感覚
を兼ね備える料理人だ。ナポリから取り寄せたタイルを貼るピッツァ窯を筆頭に、店内には現地の空気を伝えるアイテムが並ぶ。定番ピッツァに加え、地元食材を使った創作ピッツァ、ナポリの伝統的前菜の盛合せも人気。
京都府京丹後市網野町浅茂川328-5
TEL 0772-72-3798
11:30〜19:00 木休
Facebook/ 藤原鮮魚・urashima
京丹後の人のつながりは、食材だけではない。「日本玄承社」は、30代の鍛冶職人3人が興した日本刀工房。東京で修業後、独立場所を探しているときにメンバーの血縁で京丹後と出会い、2011年に移住した。玉鋼を使って古式製鉄法で日本刀を打ち出すのが本業だが、その技術を応用したオーダーメードの包丁も作っている。すでに万助楼の大町さんに納入し、吉岡さんとは一緒に作ろうと話している。大町さんに見せてもらったが、50cmほどの刃渡りの重厚な包丁だった。
日本玄承社
「たたら製鉄」の地で刀鍛冶の文化を伝承する
古来、日本の伝統的製鉄「たたら製鉄」が行われてきた京丹後。東京での刀鍛冶修業で同門だった黒本知輝氏、山副公輔氏、宮城朋幸氏は2011年にこの地に工房を構えた。昔ながらの「玉鋼」を使い、伝統製法で刀造りに取り組む。包丁も同手法で造っており、5月23日〜6月19日には東京「日本橋木屋本店」で、刀の展示とともに包丁の展示販売を行う予定。
京都府京丹後市丹後町三宅314 TEL 0772-66-3606
https://gensho.jpn.com/index.html
京丹後をアートの場として盛り上げようとしているのは「あしたの畑」のメンバー達。食とアートを活用して次世代に日本の美しい景色を継承していくことを使命とし、吉岡夫妻もコラボレーターとして参加する。2020年から活動をはじめ、間人にあった古民家を「間人スタジオ」に改装。そこを拠点に作品展示や食のやイベントなどを企画している。
あしたの畑
食とアートの視点から京丹後の風土と宝を照らす
キュレーターの徳田佳世が設立した「あしたの畑」(NPO法人TOMORROW)は、京丹後でこの地の食、工芸、建築に関わるイベントを開催する団体。2022年に1ヶ月、23年に約1ヶ月半の会期で開催された「ECHO あしたの畑」では、アート作品の展示とともに「縄屋」の吉岡氏、京都「チェンチ」の坂本健氏が道の駅でオリジナル料理を提供した。
食の分野では、京都のイタリアン「チェンチ」の坂本健シェフも参加、縄屋で吉岡さんとコラボディナーを開催したり、地域のソウルフードの開発をしている。
このように吉岡さんと仲間たちの活動を聞けば聞くほど、京丹後がアグレッシブな背景には、人と人との輪が存在することがわかる。今回の「深夜ラボ」のテーマは「ネクスト蟹」だった。間人ガニに続く新しい名物料理を作ろうという意味だが、さんざん議論した結論は「京丹後の財産は人。人と人とのつながりこそがネクスト蟹だ」だったという。
私はいつも「東京にはなんでもあるが、面白味が少ない。地方はものは少ないかもしれないが、尖がった圧倒的なものがある」と考えている。京丹後には魚、野菜、レストラン、包丁、アートなど、ここでしか味わえないものがある。そこに人の輪が加わった現在、美食都市としてのあらゆる可能性を備えているといっていい。最初は遠かっただけの京丹後が、なんだか身近に感じられてきた。
海の幸、畑の幸に恵まれた京丹後。とりわけ「間人(たいざ)ガニ」は高級ズワイガニのブランドとして知られ、全国の高級料亭からも人気だ。冬になると蟹を食べに京丹後に訪れる観光客も多い。一方、伝統的な発酵・保存食品である「へしこ」はサバの糠漬け。味わいの深さに加え“健康によい”食品としても注目されている。
近年、価値が再発見そして発信されるようになった名物もある。サバを甘辛味のそぼろに仕立て、押し寿司の上に敷いた「丹後ばらずし」はその代表例。売り物ではない、家庭の“あたりまえの料理”だったが、店舗販売をはじめたら観光客の人気を集め、新名物となった。
「活(かつ)イカ」は、京丹後に足を運んでこそ味わえる料理。生きたまま水揚げした白イカをごく新鮮な状態で提供するもので、透明な姿、コリッとした食感、噛むと口中に広がる甘味が醍醐味。夏の名物だ。
そのほか、京丹後では果樹栽培も盛ん。昨年は果樹園が集まる北部で「京丹後フルーツトレイル」が開催された。直売所や道の駅にてフルーツのオリジナルドリンクやスムージーを期間限定(7〜10月)で販売するもので、次々と収穫時期を迎える桃、スイカ、メロン、ぶどう、梨が登場。女性や家族連れを中心に、多くの観光客を集めた。
美食都市アワードは「美食都市研究会」と『料理王国』が共同で2024年3月に設立。「地域の食と、観光の好循環」――地域の食の担い手と自治体などの連携により、地域固有の食を盛り立て、新しい文化や産業を生み出し、結果として国内外から観光客を惹きつけ地域の価値を上げるとともに、地域の人々の食に対する意識と誇りを高める――という事例を、地方都市単位で表彰する。2024年3月発表の第1回目の受賞都市は、帯広市、鶴岡市、金沢市、京丹後市、雲仙市の5都市。2回目以降は公募(募集開始 今年秋)にて実施する。
https://cuisine-kingdom.com/gastronomy/
取材・文 柏原光太郎 photo: Katsuo Takashima