これからの美食都市 vol.2 鶴岡市 24年8月号


今、「その土地に根付いた食」「その土地でしか体験できない食」への関心が高まっている。この連載では料理人、生産者、自治体などが連携し、新しい「地域の食」が生まれる現場をローカルツーリズムに通じた柏原光太郎氏がレポート。訪れるのは、2024年度美食都市アワードの受賞5都市。今回は鶴岡市を訪ねた。

今年は山形県鶴岡市がユネスコから「食文化創造都市」と認定されて10年目になるが、鶴岡と聞いて私が最初に思い出すのは、時代小説作家の藤沢周平さんである。

藤沢さんは黄金村(現・鶴岡市高坂)に生まれ、『蝉しぐれ』『三屋清左衛門残日録』など、故郷の庄内地方を舞台にした時代小説をたくさん著したが、そこに登場するのは東北地方の小藩「海坂藩」で生活する人々。庄内藩をモデルにした架空の藩だった。

藤沢さんは美食といわれるものには関心がなかったといわれるが、たとえば『三屋清左衛門残日録』に登場する小料理屋「涌井」で出された郷土料理はどれも旨そうで、庄内の食の豊饒さを感じさせる。

1927年に生まれた藤沢さんは十代を戦争で過ごした世代であり、戦後の一時期も貧しさを体験している。だから、お腹いっぱい食べられるかどうかがだけが食の原点だと彼は言うのだが、その一方で、このようにも書いている。〈飢えない程度に何かあてがっておけばいいだろうと思うに違いないが、それがそういうものではなく、味のよし悪しはちゃんとわかるのである〉(エッセイ「日本海の魚」より)

その味覚の基礎を作ったのが、鶴岡のある庄内地方の郷土料理であることは間違いない。

彼の小説に登場する味は、たとえば口細カレイの塩焼であり、赤カブ漬であり、コゴミ味噌和え、タケノコと厚揚げ味噌汁、玉コンニャク、孟宗汁などである。鶴岡の人々にとっては当たり前の料理かもしれないが、海と山の新鮮な食材を使った料理を日々食べられ、それが今でも鶴岡の人々の生活を支えているというのは、都会に育った私にとってはとても贅沢な暮らしに映る。

藤沢さんの生まれ故郷から十数km離れた鶴岡市の海岸部に由良(ゆら)漁港という小さな港がある。鶴岡には由良漁港ともう一つ、鼠ヶ関(ねずがせき)漁港があり、どちらも珍しい夕方のセリ。その日獲った魚を深夜に輸送し、翌朝には東京を含む広範囲に届けることができる。

由良漁港
寒流と暖流が沖で混じる天然の好漁場

由良漁港のある庄内浜の海域は、沖で寒流と暖流がぶつかるとともに、北方の鳥海山からのミネラル豊富な雪解け水が伏流水として入り海底で湧くため、極めて変化に富んだ天然の好漁場を作る。タイ、カレイ、イカ、マグロ、タラ、ハタハタなど年間130種類もの魚介類が豊富に獲れる。

山形県鶴岡市由良1-4-53 TEL 0235-73-3011

由良漁港には底引き網、延縄、刺し網、定置網などの船と磯見漁の漁師がある。この日は朝10時過ぎに港に戻った定置網船「第十八仁豊丸」の水揚げ作業を拝見した。

船が漁港に付くと十人ほどの船員がてきぱきと自分の配置に付き、魚をトロ函にいれ、ベルトコンベアを使ってセリ場に運んでいく。私の目の前を通っていく魚は、3kg超の見事なヒラメやマダイを筆頭にイシダイ、オコゼ、タコ、サバ、ウマヅラハギ、クロソイ、メバルなど。この日の水揚げは1.5tほどと聞いて、庄内の海の豊かさに感嘆したのだが、この日は少ないほうで、多い時には船底の水槽があふれ、12tを超えることもあるというから、さらに驚いた。

細かく観察すると、良い型の魚は船内で神経締め、放血の措置がなされているのがわかる。いっぽう、ウマヅラハギやホウボウは船上の水槽で活かされたままにされている。

案内してくれた日本料理「庄内ざっこ」の料理人、齋藤翔太さんはこう話す。
「うちの活魚用水槽にいれるために、一部の魚は活かしてもらっています。料理によって神経締めが旨い魚、活魚のほうが旨い魚を使い分けているのです」

「第十八仁豊丸」船頭で旅館「仁三郎」も経営する伊関敦さんによると、定置網をやっている漁船は県内でもここだけで、網は港から10分、500mほどの近場に置く。獲れた魚は魚種別、大きさ別に仕分けし、高く売れるものは神経締めにするが、この技法を習得したのはここ10年ほど。これからの季節はタイ、ヒラメ、アジ、ワラサ、フグなどが揚ってくるという。

数時間船を出して操業する漁港も多い中、近距離でこれだけの魚種が獲れることが由良漁港の豊かさだ。そして、その魚を使って生まれるのが鶴岡の郷土料理というわけである。

郷土料理を伝承する文化

その代表的なものを味わえるのが鶴岡市内のある農家民宿飲食店「知憩軒(ちけいけん)」だ。店主の長南光さんは鶴岡市内の農家の出身。2000年代初めに山形県内の一部の業者が無登録の農薬を売っていたことが発覚し、それをきっかけに県産作物のボイコットが起こったことがあった。そのときに農家を応援しようとまず民宿を、その後に飲食店を始めた。
「農家で育ち、親の介護もあったので、私から出かけられない。ならば向こうから来て下さる仕事をしようと民宿を考えたのです」

知憩軒
鶴岡の食材で丁寧に作る伝統的な日々の食事

知憩軒は庄内の農家レストラン兼民宿の先駆者であり代表。店主の長南光さんが作る郷土料理でもてなす。無農薬で自家栽培する野菜や米、海山の保存食を用いた料理には、鶴岡の日常の伝統的食文化が凝縮。ホロリと柔らかい身欠ニシンの煮物、伝統野菜の漬物などがお客を癒す。

山形県鶴岡市西荒屋宮の根91
TEL 0235-57-2130
11:30〜13:30 LO 火水休

知憩軒で提供されているご飯は、子供の頃から彼女が食べてきた郷土料理。この日は身欠きニシンとジャガイモの煮つけや、高野豆腐とニンジン、シメジの炊き合わせといった定番に、いまが旬のワラビやフキ、孟宗竹の料理を組み合わせた。
「この地方で採れるものだけを使って、子供のころから味わってきた料理を出しているだけですが、最近は20代の若い方々も食べに来てくれるし、県外や外国人のお客様が半分以上きてくださいます」

そうした郷土料理を地元で教えているのが、「gatagoto通信」で情報を発信しながら「おすそわけの会」を主宰する五十嵐のり子さん。この日はもち米を笹の葉で巻いて茹で、きなこや黒蜜をつけて食べる庄内地方の郷土料理「笹巻き」を作っていただいた。

おすそわけの会
伝統食品を家庭外で継承、草の根で地域共有財産に

鶴岡の伝統食品をインスタグラムやワークショップで発信、伝承する五十嵐のり子さん。今年、国の無形民俗文化財に登録された笹巻きの継承にも注力。「生活形態の変化で、家庭内での伝統食品の継承は途切れがち。時代に沿う伝え方をしていきたいです」。

Instagram: @gatagoto77

鶴岡では事前にもち米、木の灰を溶かした灰汁(アク)水に漬け込むことで、茹で上がったご飯が黄色くなる笹巻きを好む。普通よりもプルンとした独特の食感と風味を持つのである。
「農家に育ったので、なんでも手作り。私が食べているものは当たり前の料理だと思っていましたが、それが伝承されないのを残念に思い、おすそわけの会を作って、鶴岡の方々に郷土料理を教えるようになったのです」

一方、こうした古くから伝わる郷土料理を、プロの調理する日本料理に変えたのが羽黒山「斎館(さいかん)」である。もともとは、月山、羽黒山、湯殿山の「出羽三山」の一つ、羽黒山参道を登りきったところにある神社の僧侶や山伏などが心身を清めるためにこもる建物だったが、いまは一般客も宿泊可能で、付近でとれる天然の山菜やキノコを使った精進料理を食べることができる。

羽黒山神社参籠所 斎館
山岳信仰の聖地で、山菜の精進料理を体験

山岳信仰の地、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)は平安時代以来、神仏習合が習わしであったが、明治時代に分離。羽黒山にあった由緒ある
寺院の建物を、羽黒山神社の齋館(神職が身を清める建物)として継いだのが、現在の「齋館」の起源。料理長の伊藤新吉さんは「修験者や巡
礼者が古来食べてきた、この地の山の素材による精進」として山菜料理を提供する。

山形県鶴岡市羽黒町手向羽黒山33
TEL 0235-62-2357(予約) 宿泊・食事とも要予約
http://www.dewasanzan.jp

料理長の伊藤新吉さんは月山の山小屋で働いていたが、斎館に入ってからは30年ほど。最初の10年は季節ごとに採れる食材を覚えることから始まり、この20年でようやく自分なりの味つけができるようになったという。
「その時に山にある食材を、自宅では食べられない料理にするのが私の役割。本来は山伏が生きるためのものなので魚だしや鶏肉も使いますが、ヴィーガン仕様も出来ます」

この日の料理は、月山筍の煮物、イタドリと干し柿の甘酢、ワラビのお浸し、青ミズの海苔巻きなど、山菜のオンパレードだが、どれも伊藤さんのひと手間が加えられており、家庭の郷土料理を超えた「斎館料理」となっていた。

このように鶴岡の伝統料理は少しずつ変化していったが、そこにひとりの「ヘンタイ」が登場することで一気に変わる。2000年に開店したイタリア料理「アル・ケッチァーノ」のオーナーシェフ・奥田政行さんである。

アル・ケッチァーノ
四半世紀にわたり庄内の食を牽引

奥田政行さんは鶴岡を「食の街」として確立させた立役者の一人。2000年開業の自店「アル・ケッチァーノ」をハブに、地域の特徴ある素材を手がける生産者を盛り立て、庄内の食の独自性、伝統野菜や伝統食を国内外に発信。並行して観光、食、地域経済の循環モデルを独自理論で確立。2022年に移転リニューアルした鶴岡本店では人材育成や料理研究のラボも併設する。

山形県鶴岡市遠賀原字稲荷43
TEL 0235-26-0609
11:30~14:00 LO
18:00~21:00 LO 月休
https://alchecciano.com

奥田シェフとは20年以上の付合いという「井上農園」の井上馨社長によると、開店当初は順風満帆ではなかったが、料理雑誌「四季の味」で紹介されてから、評判になったという。
「地元の食材を使うことにこだわり、生産者と交わり、いい食材はどんどん宣伝してくれることから奥田ファンが増えていったのです」

井上農場
互いを応援し続けるシェフと生産者

米、トマト、コマツナなどを栽培。農薬は最小限、肥料は良質な有機のみとし味で勝負、高評価を得る。約25年前、直販(農協非所属)に。奥田さんとは20年以上前からの仲。「うちのコマツナを各所で褒め、知名度を上げてくれたおかげで、私の農業を理解してくれる人への販路が広がりました。奥田さんは、そういう人です」。

山形県鶴岡市渡山道東91
TEL 080-8216-7329 
https://inoue.farm

鶴岡出身の奥田シェフは若い頃、東京の修業中に鶴岡の食文化の高さに気づいて地元に戻り、地元食材を使うイタリアン、アル・ケッチァーノを開店した。まだ地産地消という言葉が認知されていなかった時代だ。
「鶴岡の食料自給率は138%、こんなに豊かな地方はなく、ここに食べるために鶴岡に来てくれる時代が必ず来ると思っていました。ユネスコ食文化創造都市に認定され、地元の人々も鶴岡の食に自信を持ってきました。インバウンドも増えていますし、ガストロノミーツーリズムを盛り上げ、鶴岡を観光客200万人が来る町にしたいと思っています」

そのための準備も万端。2022年には鶴岡本店を移転。レストランのほかのシェフズテーブル、ラボも付設した建物を造り、食で鶴岡に客を呼ぶ仕掛けは整った。
「厨房は料理長以外すべて女性でホールは男性。私の仕事に刺激を受けて料理に携わりたい、と思って入ってくれた若者ばかりです」

生産者から料理人まで一体に

事実、鶴岡には若い力がたくさん育っている。2020年に開校された「鶴岡農業経営者育成学校(SEADS)」第1期を卒業し農業を営んでいるのが、須藤明里さんと富樫英司さんだ。須藤さんは農業を中心にして飲食やイベントなどこれまで農家がやっていないことをやりたいと話し、冨樫さんは生家の伝統的な農業とは違う、有機農業を目指している。

その冨樫さんと同級生で鶴岡でベーカリーカフェ「EN/ME」を経営しているのが笹原悠治さん、凜さん夫妻。ランチの野菜プレートが人気で、「野菜の旨さを味わってほしいので、須藤さん、冨樫さんをはじめ、野菜は地元産のものだけを使っています」。

エンメ
同世代の生産者と対話し、共に成長する

笹原悠治さん、凜さん夫妻が営むベーカリーカフェ、エンメのランチプレート「ファーマーズ」はポルケッタに野菜や豆、ハーブをふんだんに盛り合わせた一皿。今年から鶴岡産素材のみで作る。写真は友人の農家の須藤明里さん(中左)、冨樫英司さん(左)と。

山形県鶴岡市上畑町8-50
TEL 0235-26-0034
8:00〜17:00 火休
Instagram: @enme_tsuruoka

この日は、ズッキーニ、スティックアスパラ、カブなどが添えられたポルケッタのプレートだったが、野菜の力強さが印象的だった。

野菜を作る傍ら、4人で山形大学農学部と一緒に小麦粉の栽培に挑戦しているのが「ワッツ・ワッツ・ファーム」の佐藤公一代表。
「私が作り始めたのは昨年から。これまで月山の麓でやっていたのですが、平場の砂地でも始めてみようと思ったのです。いろいろ予期せぬこともありますが、生育は順調です。昨年よりタンパク質が多い小麦粉になるといいと思っています」

ワッツ・ワッツ・ファーム
庄内で小麦の地産地消を

庄内砂丘でメロンやミニトマトの栽培を長年手がるワッツ・ワッツ・ファームの佐藤公一さんは、2年前から小麦の砂地栽培に着手。県産小麦栽培は山形大学がリードしており、「地元産小麦を使いたい」と望むラーメン店、料理店も多い。地元産小麦に興味のある農家、料理人仲間と畑に集まり、勉強会も。「庄内小麦」は注目と期待を集めている。

山形県鶴岡市茨新田千馬合50

この日は彼らの小麦粉を使って料理を作っている料理人達が集まり、生育状況を観察。
「粉としてはまだ完璧ではないけれど、成長していくところを一緒に楽しんでいます。日本の粉だけを使った日本のピザを作りたいので、この粉で認証を取りたい」(「穂波街道 緑のイスキア」庄司建人シェフ)
「今はフォカッチャや生パスタに使用し、7割を庄内の小麦粉にしています。彼らも最初は苦戦していましたが、生産者がチャレンジするなら、料理人も挑戦したいと思っています」(「ハレトケ」佐藤昌志シェフ)

鶴岡では生産者から料理人まで一体となって食を盛り上げていこうという動きが自然に出来ており、3年前からは市内の料理人や生産者達が共に食育や食農活動をする「サスティナ鶴岡」も生まれている。彼らが奥田シェフの鶴岡の食に掛ける熱量を確実に継承、発展させていると、私は感じる。

「ピノ・コッリーナ松ヶ岡」は20年より醸造を開始したワイナリー。ナチュール製法にて、西洋品種のほかに鶴岡甲州という古木で作る在来品種のワインも製造。21年には「Japan Women’s Wine Awards 2022」の最高賞を受賞した。

ピノ・コッリーナファームガーデン&ワイナリー松ケ岡
土地の物語を受け継ぐワイン造り

松ヶ岡は維新で失職した武士が桑畑を開墾し、絹産業が衰退した戦後は柿の果樹園となった地区。そこが近年ワイン用ブドウ畑に生まれ変わっている。2020年開業の同ワイナリーのマネージャー、川島旭さんは「土地を反映した世界基準のワインを狙います」と栽培から醸造まで監修。複数のワインがコンクールで優勝など評価を得ている。

山形県鶴岡市羽黒町松ケ岡156-2 
TEL 0235-26-7807
ランチ 11:00~14:30 LO
カフェ 14:30 ~16:00 LO
https://pinocollina.com

そのワイナリーを有する(株)エルサンでは、昨年の「次世代ガストロノミーコンペティション」で優勝した佐藤渚さんが活躍している。料理人の父に憧れ、この道に入った。
「奥田シェフに素材の味で勝負しろといわれ、山に入って食材を調達して、コンペの料理を作りました。鶴岡の食文化をもっと発展させたいと思っています」

ピノ・コッリーナのグループ会社、グランドエルサンに勤務する佐藤渚さんは昨年、鶴岡市主催「次世代ガストロノミーコンペティション」で優勝。

由良港を案内してくれた齋藤翔太さんはサスティナ鶴岡の代表も務め、鶴岡の食文化への愛は深い。日本料理「庄内ざっこ」は36年前に父親が始め、移転した17年前から料理修業していた兄弟3人が鶴岡に戻り、板場で父親を支える。移転をきっかけに水槽を作り、前出の「第十八仁豊丸」とタッグを組むことで漁師との繋がりも増したという。
「第一次産業は専門家にまかせ、私は料理を食べた消費者の反応を伝えることで、やりがいが生まれ、みんな一緒に豊かになれるといいと思っています」

庄内ざっこ
港で直に買う魚介をふんだんに

庄内浜で揚がった魚介類を使った料理を提供する日本料理店、庄内ざっこ。齋藤翔太さんは店主の父親が編み出した活魚用水槽をトラックの荷台に乗せて港に赴き、漁師と対話しながら仕入れを行う。スズキの油焼きと月山筍の一品料理や、春の庄内名物、孟宗汁などの郷土料理、サクラマス柚庵焼き、ホウボウ昆布締めなど海の幸を盛り込む御膳が人気。

山形県鶴岡市本町1-8-41
TEL 0235-24-1613
11:30〜13:30 LO
17:00〜21:30 LO
日休
http://s-zakko.com

この日のランチは「ざっこ御膳」。桶にはスズキの油焼き、サクラマスの幽庵焼き、ウマヅラハギの肝和えなど、前日に由良港で揚がった海の幸が勢ぞろいした。

サンセバスチャンとの類似性

実はこの日の朝、私達は山へ山菜採りに出かけた。案内してくれたのは、鶴岡市内のビストロ「ブラン・ブラン・ガストロパブ」の五十嵐督敬シェフ。若い時は海外にも憧れたが、そこで鶴岡の恵みに気づき、いまは地元の海や山の素材を採取し、料理する日々。

ブラン ブラン ガストロパブ
採れたて素材の勢いを皿に

オーストラリアでイノベーティブな料理を、地元でイタリア料理を学んだ五十嵐督敬さん。今、地元の素材に向き合い自由に料理を作る。積極的に畑に赴き野菜を収穫し、山に入って山菜やキノコを採る日々だ。今回はアイナメのソテーにウドや虎杖なの山菜、自家製コシアブラ味噌のクリームなどを合わせた料理を披露。

山形県鶴岡市末広町6-10 TEL 0235-77-5927
要予約 18:00〜21:30 LO 日休、不定休
Instagram: @blancblancgastropub

小雨模様の中、田代谷地地区へ出かけ、山道を歩き、ウド、コシアブラ、イタドリなどを採りながら、山菜を見つけるコツを教えてもらった。豊饒な食材がある鶴岡では、山道のすぐ脇に山菜があることに驚く。そして午後に店を訪れ、山菜を使った料理を考えていただいた。
「店は2020年オープンですが、どんどん地元の食材にシフトし、素材の味を楽しんでほしいのでバターや生クリームは極力使いません。ワンオペなので、その日の食材によってメニューも毎日変わります」

シェフの作った料理は、朝に採取したコシアブラ、イタドリ、ヒラタケを使い、アイナメのソテーに散らした、鶴岡の食材の豊かさが感じられる皿。魚や野菜のほかにジビエもあるのだから、鶴岡の食文化の高さは果てしない。

五十嵐さん達が、朝2時間山を歩いた成果。多彩な山菜がたっぷり。“採り時”の山菜のみ選び、採りきらないのが長く、多く収穫し続けるポイント。

鶴岡を旅して、私はあらためて世界一の美食都市といわれるスペイン・サンセバスチャンとの類似性を感じた。サンセバスチャンには三つ星レストランが3軒もあり、ファインダイニングの素晴らしさに目が行きがちだが、「山バスク海バスク」といわれる豊富な食材があり、旧市街のバル街が日常食の豊かさを伝え、バスク料理大学が食文化研究のエンジンとなっている。そして「ソシエダガストロノミカ」と呼ばれる美食倶楽部が120年以上前からあり、食文化の伝統を支える。

鶴岡も海や山のたくさんの食材に囲まれ、短距離で手に入ることでダイレクトに旨さを感じられる。出羽三山信仰などの歴史が食文化に結びつき、そこから郷土料理が生まれ、進化していった。そこに奥田政行シェフというヘンタイが生まれ、伝統と革新を融合させ、食文化研究の中心にいながら、奥田チルドレンともいえる第二世代が着実に育っている。サンセバスチャンと重なることが実に多い。

日本初のユネスコ食文化創造都市に選ばれた時には市民もその凄さをわかっていなっかったが、今では鶴岡に住む子供の8割が「ユネスコに選ばれ、鶴岡には食という強力なコンテンツがあること」を知っているという。しかも鶴岡は食単体ではなく、食文化分野で認定を受けた。つまり、料理人、生産者だけでなく、鶴岡の歴史や伝統が一体として評価されたのだ。鶴岡市企画食文化創造都市推進課課長補佐の鈴木泰行さんはこう語る。
「料理人と生産者、行政が近い距離で一体となって連携するシステムを作れたことが、鶴岡の食文化が成長した理由だと思っています」

今回、私達を案内してくれたのは、以前は鈴木さんと働き、今は地域のフードコネクターを務める小野愛美さんだったが、今回の取材旅行を通じ、小野さんが黒子として料理人と生産者の間を取り持つキーマンとして活躍したのが、鶴岡の財産になったのではないかと感じた。鈴木さんも「彼女がいなかったら、この距離感は作れなかった」と語る。

私は食文化が進化するには「ヘンタイ」が必要だという持論を持っているが、鶴岡には奥田さんとともに小野さんというヘンタイがいたことを理解した。そして、彼らを継承する次世代がきちんといる。ユネスコ食文化創造都市にはなるべくしてなったのである。

鶴岡の食

山海の幸に恵まれた鶴岡市。まず海では、好漁場の庄内浜を擁する。庄内浜は沖で寒流と暖流がぶつかり、さらに鳥海山からのミネラル豊かな伏流水が海中で湧くこともあり養分豊富、水温水質も多彩な海
だ。年間130種もの魚介類が獲れ、品質もよい。タイ、ヒラメ、ハタハタ、カレイ、エビ、イカ、マス、初夏にはマグロも揚がる。

そして陸としては、日本を代表する米どころである庄内平野の南部を占める鶴岡市。米はもちろん四季の野菜の栽培が盛んで、だだちゃ豆などのブランド化した産品もある。また、果樹王国山形県の一角を担う鶴岡市。名物のサクランボのほかモモやブドウ、砂地ではスイカやメロンなどが名産。畜産では庄内豚をはじめ、国内でも生産者の限られるバルバリー種の鴨を飼育する生産者や、羽黒めん羊の生産者もいて多彩だ。

そして市の東部にそびえる山のエリアでは天然の恵み、山菜やキノコも豊富。山といえば、平安時代から修験道の霊場として知られる出羽三山も、鶴岡市が誇る食の遺産。巡礼や修験道の修行で訪れる人達
を泊め、もてなす宿坊がかつて軒を連ねていた。そこで供された精進料理の歴史は今にも伝わる。伝統はまた、野菜にも息づく。「生きた文化財」とも呼ばれる在来作物が庄内・鶴岡では今60品目確認されている。

美食都市アワードとは

美食都市アワード贈賞式での鶴岡市の皆川治市長(右)と、橋爪紳也氏(同アワード実行委員長)。

美食都市アワードは「美食都市研究会」と『料理王国』が共同
で2024年3月に設立。「地域の食と、観光の好循環」――地
域の食の担い手と自治体などの連携により、地域固有の食を
盛り立て、新しい文化や産業を生み出し、結果として国内外か
ら観光客を惹きつけ地域の価値を上げると共に、地域の人々
の食に対する意識と誇りを高める――という事例を、地方都
市単位で表彰する。2024年3月発表の第1回目の受賞都市
は、帯広市、鶴岡市、金沢市、京丹後市、雲仙市の5都市。
https://cuisine-kingdom.com/gastronomy/

取材・文 柏原光太郎 photo: Haruko Amagata

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