「アル・ケッチァーノ」奥田政行シェフと巡る鶴岡 22年10月号


日本各地の美味しい食材について知りたければ、その土地で活躍するシェフに聞くのが一番。地元シェフが案内人となり、そんな地元の逸品をナビゲート頂くこの連載。今回は、日本で初めて“ユネスコ食文化創造都市”に選ばれた山形県鶴岡市をご紹介します。

新潟駅から日本海に沿って北上する羽越本線の車窓には、青々と波打つ稲穂の海が広がっている。やがて村上を過ぎると、今度は目が覚めるほど深く澄んだ海が列車に寄り添う。そして月山の美しい山容が見えてくる頃、列車は鶴岡に到着。駅舎には“食の都 庄内”の幟が風に揺れていた。

日本有数の穀倉地帯・庄内平野のほぼ中心に位置する鶴岡市。西を日本海に接し、北は鳥海山、東は出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)、南を朝日連峰に囲まれた広大な平野に、最上川とその支流併せて4つの川が流れている。2000m級の山から海抜0mの平野まで、標高差と気温差に富んだ地勢と5つのタイプのある海は、豊かな食材の宝庫として知られている。そう、今でこそ「知られている」のだが、かつては誰も知らなかった庄内食材の魅力を初めて世に知らしめた人こそ、2000年から同地にレストラン「アル・ケッチァーノ」を構える奥田政行シェフだ。
「山形は食糧自給率130%。特に庄内産食材のバラエティーは世界一です。江戸時代から作り継がれてきた在来作物が60種、果物は50種、淡水魚は40種、食べられる魚介は139種。ほかに、畜産もありますから」

山の幸のほか海と川の幸も豊富。奥田シェフは度々ゲストを加茂水族館に連れてゆき、庄内の魚とその目利きについて説明。その後、市内の鮮魚店に行き実際に魚を選んでみせる。

この夏、以前と同じ鶴岡市内で、月山と田圃を望む別の場所に移転した新店舗で迎えてくれた奥田シェフは、開口一番その豊かさを話してくれた。開業当初から庄内食材の素晴らしさを伝えたい、という思いは一貫して変わらない。

鶴岡市には生きた文化財ともいえる在来作物が多数残っているほか、山岳信仰の聖地・出羽三山と共に育まれてきた精進料理や多様な行事食・郷土料理も残っている。これらが背景となり、鶴岡市は2014年に日本で初となる「ユネスコ食文化創造都市」にも認定された。2004年に創設されたユネスコ創造都市ネットワークとは、地域独自の文化と産業を結びつけ、新たな価値を生み出すと共に、国内外の認定都市との交流を通じて更なる経済・文化の振興を図るもの。食文化、工芸、デザイン、映画、文学、音楽、メディアアートの7分野が設定されており、現在世界で49の都市が食文化創造都市に認定されている。この認定登録に奔走したのも奥田シェフだ。実は駅で見かけた“食の都 庄内”という言葉を生み出したのもまた、奥田シェフ。走り続ける力の原点は「生産農家を助けたい」という思いだと、言葉を続ける。

8月下旬から9月にかけての7日間、羽黒派古修験道の道場・出羽三山神社で毎年行われる秋の峰入。日本古来の神仏習合の姿が伝わっている。
© Kenichi Ito
冠雪の月山と聖地の結界を示す鳥居。
© Kenichi Ito
1400年以上続く山岳信仰の聖地・出羽三山に継承されてきた精進料理は、羽黒山伏の修験道文化と共に発展してきたもの。一帯の宿坊で味わうことができる。

早速シェフが運転する車に乗り込み、食材巡りへ。道中、日本には他にも海・山・川に恵まれた地域はあるのに、なぜ庄内にそれほど多様な食材があるのか訊ねると「篤農家が多いの」とハンドルをきりつつ答えてくださる。「在来作物が残ったのも、代々育ててきた作物を自分の代で絶やせねぇと、細々とでも自家採種してくれた農家があったからこそ。冬、雪に閉じ込められるからか、みんなが農業をね、自分なりに、深く探求するんです」

400年前から、杉を伐採した焼畑で作られてきた在来作物・温海かぶ。急傾斜の畑、這うような姿勢で行う農作業の苦労に負けず残ってきたのも、生産者の思いがあったからこそ。果肉がしまった民田なすや濃厚な甘みのだだちゃ豆、火を通すととろりと甘みが増す平田赤ねぎなど、一帯には60種もの在来作物が残る。
写真/佐藤稔

今でこそ在来作物という言葉が一般化しているが、奥田シェフが店を開いた20年前、そこに目を向ける人はいなかった。量も採れず不揃いな在来作物はたとえ美味しくても販路はなく、多くの品種が人知れず消えていった。そんな現状を知った奥田シェフは盟友・山形大学農学部の江頭宏昌教授と共に生産農家を巡り、仕入れ、その魅力を最大限に引き出す料理を考え、提供し続けた。その他の野菜や畜産物も同様で、奥田シェフは生産者を回り、農協以外には売れないという農家から物々交換で食材を集め、料理した。それが少しずつ評判を呼び、マスコミに紹介されようになると都内のデパートに庄内食材のコーナーができた。国内外からも、たくさんの人が訪れるようになった。

奥田シェフが作ったのは、塩とオリーブオイルだけを使ったシンプルなトマトの冷製パスタ。トマト自体の力強い味わいが生きた美味しさに、ハッとするひと皿。
土壌改良を重ね、有機肥料だけで育てられたトマトは、甘みと酸味のバランスが秀逸。

濃厚なうま味が自慢 井上さんの樹熟トマト
30年前から発酵鶏糞と焼酎粕を主体とする有機質堆肥、光合成を活発にする海藻エキスや糖蜜、殺虫効果のある椿油といった活性剤で米を作り、育苗用ハウスで夏はトマト、冬は小松菜を育てている。奥田シェフの料理に欠かせないトマトは枝先で完熟させたものだ。

「奥田さんは、食材が生まれる場所の空気や匂い、それに農家の汗や涙まで伝えてくれる」

そう話すのは、井上農場の井上馨さん。52haの田圃で特別栽培米を育てるほか、育苗用ハウスで夏はトマト、冬は小松菜も育てる。採れたてのトマトを齧かじると、濃厚なうま味が口中に広がった。井上さんは「味と生産方法を大事にする奥田さんが、農家に自信と勇気、作った物が出てゆく道をくれたんです。離農する人を減らしたいからって」と言う。きっかけは、2002年に起きた無登録農薬問題だったと、奥田シェフ。
「山形の食材が全く売れなくなったんです。これは、自分で販路を作るしかないと」

以降、奥田シェフは各地に直営店を増やす傍ら加工品の考案・発売も行い、今では「100tの人参が持ち込まれても、すぐ消費できる」体制を作り上げた。次に訪れた月山高原花沢ファームも、奥田さんが夜行バスに肉を詰めて東京の飲食店に売り込みに行ったことをきっかけに世に知られるようになったラムの生産者だ。
「20年前、常連さんが持ってきてくれたここのラムを食べて衝撃を受けた。すぐに丸山さんを訪ねたら、もう農場をやめようとしていて」

サフォーク種の母羊80頭と出荷用の100頭あまりが暮らす牧舎。
奥田シェフのスペシャリテ「羽黒の丸山さんの羊のロースト」は、香草パン粉を纏わせシンプルにローストした逸品だ。臭みを全く感じないジューシーなラムを初めて口にすると、ほぼ全員が「これがラム?」と驚くそうだ。

奥田シェフが衝撃を受けた羽黒のラム
元々和牛の肥育に携わっていた丸山光平さんが50年前から緬羊の肥育に着手。奥田シェフが驚いたという臭みなくうま味の濃い羊肉は、産業廃棄物として放置されていた在来作物・だだちゃ豆のサヤ、生籾などを発酵させた飼料、そして春から秋にかけて行われる月山高原での放牧が産んだもの。現在約180頭の母羊・仔羊を肥育している。

素晴らしい肉なのにその生産を諦めようとしていた丸山さんのため、奥田シェフは前述の通り首都圏の料理店に売り込む一方、自身の店でもスペシャリテとして紹介。結果、メディアからの注目を集め、生産は継続。現在は後を継ぐ息子さんも共に働いているそうだ。

最後に訪ねたわんぱく農場は、養鶏農家。蠅一匹おらず匂いもしない養鶏場は、いい餌で健康に育てられている証だと、奥田シェフ。農場の卵は奥田シェフの料理やスイーツで大活躍している逸品だという。20年前に農場を立ち上げた松浦眞紀子さんは当時、専業主婦。
「家事で出る生ごみを見て、何かに役立てられないかなと思ったのがきっかけです。生ごみ処理機を買って使ってみたらちゃんと分解されていた。鶏ならなんでも食べるというので10羽買ってきたのが最初なんです」

代表・松浦眞紀子さんと農場長の長谷川司さん。
わんぱく農場の様子。風が吹き抜ける鶏舎には草地が付随していて、鶏達が自由に闊歩している。

その後、松浦さんは生ごみ処理機を改良し、近隣の食品加工所の残渣をリサイクルして餌にする養鶏をスタートしたと言う。
「鶴岡の生産農家の人たちは、本当に勉強熱心。僕が死んだ後も(笑)安心して作り続けてもらえるように、環境と人を残していきたいです」

「イワナの卵とホイップクリーム」。魚卵の中でも特別旨い、と奥田シェフが太鼓判を押すイワナ。ふんわりとしたクリームの下には、ほっくりとしたわんぱく農場の卵の黄身が

発酵飼料で育つ平飼い養鶏の卵
羽黒山麓の風通しのよい広々とした鶏舎で、3000羽のボリスブラウンを飼育。鶏舎からは自由に屋外の草地に出入りできるようになっており、おからや焼き麩の屑などの食品残渣を発酵させた自家製の飼料で大切に育てられている。1日に約2400個ほどを出荷。楊枝を刺しても崩れないしっかりとした黄身と歯応えすら感じる白身が秀逸。

奥田シェフの言葉を聞いていると、料理の始まりとは、食材が生まれる土地と人そのものにあるのだと思う。20年をかけ、40軒の協力農家全てに後継者ができたと嬉しそうに話すシェフが作る料理。鶴岡でこそ、味わって欲しい。

奥田 政行
1969年、山形県鶴岡生まれ。高校卒業後、東京でイタリア・フランス料理を修業し、帰郷後、ホテル・レストランの料理長を務める。2000年に「アル・ケッチァーノ」をオープン。庄内食材の魅力発信に尽力し、2004年から「食の都庄内」親善大使として国内外で活動を続ける傍ら生産農家支援を継続。2010年に第一回料理マスターズブロンズ賞、第一回辻静雄食文化賞を、2020年に文化庁長官表彰を受賞。2017年に著者『食べ物時鑑』、2022年には『ゆで論』がグルマン世界料理本大賞でグランプリ受賞。

アル・ケッチァーノ
山形県鶴岡市遠賀原字稲荷43
Tel: 0235-26-0609
ランチ 11:30~15:00(13:30LO)
ディナー 18:00~22:00(20:30LO)

■鶴岡の食材に関する問い合わせ先
鶴岡市企画部 食文化創造都市推進課
TEL: 0235-35-1185

写真/三浦一喜

text: Kie Oku, photo: Yuta Fukitsuka 鶴岡市

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