水族館の大水槽を前にしてゆっくりとディナー。と同時に海のサステナビリティを学ぶ。そんなイベント、「Bistroえのすい」が神奈川の新江ノ島水族館、通称「えのすい」にて去る10月15日に開催された。料理を担当したのは、海産物の持続可能性に取り組むシェフのグループ「シェフス フォー ザ ブルー」だ。
湘南エリアを擁する相模湾は、風光明媚なレジャーの地としてのイメージが強いかもしれません。しかし実は相模湾は、世界に誇る生物多様性、環境多様性を備える海でもあるのです。多彩な水産物を誇る漁業も、昔から盛んに行われてきました。
その相模湾をテーマに、新江ノ島水族館と、地元漁師のグループ「江ノ島・フィッシャーマンズ・プロジェクト」、料理人のグループ「シェフス フォー ザ ブルー」がタッグを組んで開催したのが「Bistroえのすい」。一夜限りのポップアップレストランです。
会場は、閉館後の新江ノ島水族館の「相模湾大水槽」の前。普段は水槽を鑑賞する人で賑わうスペースにテーブルと椅子を配し、即席のレストランをセッティング。限定50名のゲストが集い、料理とトークを楽しみました。
Bistroえのすいには、「多くの人に、楽しみながら、海の現状とサステナビリティの重要性を知ってほしい」という、開催した3者の共通の思いが込められています。
新江ノ島水族館は、相模湾の海の特徴や価値を伝えることに普段から力を入れています。多彩な海中環境を再現したさまざまな水槽を設けるほか、学習プログラムにも意欲的です。
一方「江ノ島・フィッシャーマンズ・プロジェクト」は、江ノ島を舞台に、海や漁業の大切さを伝える活動を行う、地元漁師たちのグループ。子供たちを対象にした海での体験学習、船釣り教室を開催するほか、幅広い人たちが参加する海底清掃などの環境保全活動にも取り組んでいます。
そして「シェフス フォー ザ ブルー」は、水産資源と海の環境のサステナビリティ推進に、料理人の立場から取り組むグループ。トップシェフらによるフードイベント、学びのプロジェクトや商品開発、コンサルティングなどを行なっています。Bistroえのすいではメンバーである「御料理ほりうち」の堀内さやかさん、「Mr. CHEESECAKE」の田村浩二さんが料理を担当しました。
二人ともこの日は江ノ島の漁港に揚がった魚で料理を作りましたが、あえて食用としてあまり流通にのらない魚種を使おうと意識したといいます。特にアイゴやシイラという、この地ではメジャーとはいえない魚に注目しました。
その理由は、相模湾の海中の変化を伝えるため。近年の温暖化に伴い、全国的に海中の生態系バランスが変化していますが、それは相模湾でも言えること。本来は南方の魚であるアイゴやシイラが相模湾で活動を活発化させているのは、その顕著な例です。
特にアイゴのエサは海藻なので、彼らの活発化によって相模湾の藻場(海藻が生える場所)は近年、急激に衰退しました。かつては海藻が生い茂っていた場所が、今はまるで砂漠化したかのように岩が剥き出しになっていることもめずらしくありません。今回、アイゴを食材としてセレクトした背景には、こうした相模湾の現状を伝えたい、という思いがあります。
また、食用としてあまり流通にのらない魚種にフォーカスしたもう一つの理由は、特定の魚種にのみ人気が集まるという、今の魚の流通に対する危機感です。限られた魚種への人気集中は、その魚の乱獲、ひいては激減につながります。海の生態系に大きなダメージを与えるのです。
その一方で、昨今「年々魚が獲れなくなってきている」という声を全国の漁港で聞きます。今のままでは、私たちが食べることができる魚の量は減り続けてしまうのです。そんな中、見過ごされてきた魚も含めた幅広い魚種の食への利用は「魚不足」への対応策にもなります。
多様な魚を食べることは、私たちにとっても、海の生態系にとっても大事なこと。なので、まずは多くの人に、多くの種類の魚を食用として知ってもらい、楽しんでほしい。これがBistroえのすいのベースにある考え方です。
そんなメッセージを込めたBistroえのすい。伝えたい内容をゲストに響かせるためには、料理の美味しさは何よりも強い武器になります。堀内さん、田村さんの腕の見せどころです。
堀内さんは八寸を担当。シイラの南蛮漬け、アイゴの西京焼き、クロサバフグの唐揚げ、サワラの炊き込みご飯のおにぎり、カマスの胡麻和えが並びます。硬くなりがちなシイラは南蛮漬けにして柔らかく、などひと手間かけて仕上げます。
魚は日本料理の華。堀内さんは、日本料理店の主人として日々魚に向き合っていますが、「私の修業時代に比べると、最近は本当に魚が減っていると実感しています。かつては、望む質の魚は注文すれば当然のように手に入っていましたが、今はそんなことはありません」。
だから、さまざまな魚種を柔軟に使うことがこれからは重要になってくると話します。「今回気づいたのですが、たとえば『鯖寿司を作りたい』となったら、今までは何の疑問もなく鯖寿司に向く脂ののり具合の鯖を注文し、仕入れ、使っていました」。それは、日本料理の料理人には当たり前のことです。
「でも『そういえば自分は今まで、鯖寿司の技術を他の魚で試したことはあっただろうか?』とふと思ったのです。日本料理では『この料理にはこの魚』という決まった組み合わせが引き継がれてきました。でも望む魚が手に入るとも限らなくなった今、技術を応用することが大事。常識を変えることが必要だと実感しています」。
田村さんの料理は、シイラとアイゴのラビオリ。どちらも穏やかながら深い味を持つ魚です。調理では、身はなめらかでうま味豊かな詰めものとし、ラビオリで包みます。一方、頭やアラはダシをとってグッと煮詰め、ラビオリを浮かべるスープに。燻製バターや実山椒の風味を効かせ、2つの魚のやさしいうま味を引き立てます。
実は田村さんは、相模湾の一角に位置する三浦市の出身。「小さい頃から父親に釣りに連れて行ってもらい、魚に親しんできました」。それゆえ、乱獲や気候変動による近年の魚の減少にはひときわ強い危機感を抱いています。
また「料理人がプロの技術を使えば、社会に対してできることはもっとたくさんある」というのも、田村さんが普段から発信している事柄です。
フランス料理の分野で修業し、シェフとして活躍した田村さん。「フランス料理には、素材の持ち味を引き出したり、凝縮したり、さまざまな風味を組み合わせることで強調したり……などたくさんの技術があります。メジャーでない魚にもこれらを生かせば、魅力的な料理を作ることができると思っています」。今回田村さんが作ったシイラとアイゴのラビオリにも、その技術は存分に生かされていました。
Bistroえのすいでは料理を提供する際に、新江ノ島水族館の八巻鮎太さんによる魚の説明がゲストたちになされました。特に、実物の魚を見せながらの説明がゲストの興味を強く惹いたたようです。
そして食後には八巻さん、江ノ島・フィッシャーマンズ・プロジェクトの北村治之さん、料理担当の堀内さんと田村さんらによる相模湾の魚や、魚の持続可能性に関するトークが繰り広げられました。漁師として日々海と魚に向き合う北村さんからは、やはり相模湾における漁獲量の減少についての話が。普段はなかなか意識することのない、魚のリアルな背景にゲストは聞き入っていました。
ちなみにBistroえのすいは今回初めての試みでしたが、新江ノ島水族館のウェブサイトで告知したところ、50名の定員が即日完売する人気だったとのこと。
おそらく水族館ファンがメインであった今回のゲストにとって、Bistroえのすいは、食べものとしての魚の背景を深く知る新鮮な機会になったはずです。「普段食べられていない種類の魚を知ることができ、おもしろかった」、そして「海のために少しでも何かできるか、考えて行動したい」という意見が聞かれました。この好評を追い風に、「来年以降も続けたいです。同様のイベントを全国の水族館に広げるのが夢(笑)」、とシェフス フォー ザ ブルーの佐々木さんは話します。
水族館、漁師、料理人。それぞれが自身の専門をつなげて実現したBistroえのすい。ゲストを巻き込みながら、水産資源の持続性につながるポジティブな力を生む。そんな可能性を強く感じるイベントでした。
新江ノ島水族館
神奈川県藤沢市片瀬海岸2-19-1
TEL 0466-29-9960
https://www.enosui.com
江ノ島・フィッシャーマンズ・プロジェクト
https://www.enoshima-fp.com
シェフス フォー ザ ブルー
https://chefsfortheblue.jp
取材・文:柴田泉 写真:宮本信義(一部柴田泉)