地球の健康と身体の健康。未来への思いをコラボレーションディナーに込める


レフェルヴェソンス」(東京・西麻布)の生江史伸氏と「シングルスレッド」(カリフォルニア・ヒールズバーグ)のカイル・コノートン氏。現在ミシュラン三ツ星に輝くレストランをそれぞれ率いる二人は、20年に近くにわたる堅い友情で結ばれた間柄にある。そんな彼らによるコラボレーションディナーが5月末に開催され、料理でゲストを魅了するとともに、食の未来に向けた二人の信念が発信された。ここでは全11品からなるディナーの一部を紹介するとともに、彼らの普段からの活動、未来に対して語った内容を紹介する。

ディナーの先に、料理人の責任と可能性を示す

生江氏とコノートン氏は20年来の友人であるとともに、「料理人は社会課題に対してもっと役に立つことができる」と考える同志だ。とりわけ二人は地球の健康と人々の身体の健康の改善に向けて、料理人は重要な役割を担えると信じている。そしてこの考えのもと、それぞれ独自の方法で普段から精力的に活動している。

レストランと農業、シェフと大学院

コノートン氏は自店シングルスレッドとともに、妻のカティーナ氏と一緒に24エーカーを有する広大な農園を運営している。この農園の特徴は、多品種の野菜、果物、花がリジェネラティブ農業(環境再生型農業)で栽培されている点。リジェネラティブ農業は「環境に負荷を与えない農業」「持続可能な農業」から一歩進み、「環境の再生に貢献できる農業」をめざすもの。たとえば土を耕さない不耕起栽培を実施することで、微生物の活動のバランスがとれた健全な土を作り、それにより大気中の二酸化炭素を土の中により多く留めおく――といった取り組みを行う。シングルスレッドの農園は地域の生物多様性に寄与するとともに、気候変動の抑制や、地域の土壌、そこから水が流れ込む河川、さらにはその河川の先にある海の環境の向上につながるものとなっている。

「この農園で作られる作物は味がすぐれているだけでなく、環境にもいい影響を与えます。私たちの農業ではその両方を見据えていますが、今という時代においては環境への視点の方が以前より大切だと考えています」と話す。「『ミシュラン三ツ星のレストランでおいしいものを作る』というだけではなく、周りの環境にどれだけインパクトを与えられるか。改善できるか。それが重要な課題です」。

カイル・コノートン氏。少年時代の一時期日本に住み、日本文化への造詣が深い。 Photo:Nathalie Cantacuzino
カイル・コノートン氏。少年時代の一時期日本に住み、日本文化への造詣が深い。
Photo:Nathalie Cantacuzino

一方、生江氏は何年も前から環境に配慮した農業や醸造を行う生産者を応援し、「料理人には彼らとお客さまをつなぐ役割がある」という考えで行動を続けてきた。そして近年はその考えを発展させ、「自然環境の危機に対し、料理人はどうすれば意味ある存在になれるか。説得力を持った発信ができるか」を真剣に模索するようになった。

その結果今、生江氏は東京大学大学院の農学生命科学科に籍を置き、研究に取り組んでいる。研究テーマは、農業など食をめぐる人間の活動が、地球環境と人々の健康に与えている影響について。「『食の世界で今起きていることに対して、自分はこんなにも知らなかったのか!』と驚く毎日を送っています。私たちは食のプロフェッショナルと自称しているけれど、何も知らないんです。しかも、食と環境、食と健康を対象とする研究者の間ではどんどん新しい発見がなされている。そこに飛び込んでいかないと、料理人は蚊帳の外のままだと強く感じています」。

生江氏は、将来的には、自らの研究を外食産業の社会的意味合いを提示することにつなげたいとも語る。「ひと口に外食産業と言っても、街の食堂、チェーン店、高級レストランもあり多彩。ゆくゆくは、それぞれの社会の中での位置付けを明らかにしたい。経済学や統計学の手法を使って提示したいと思っています」。

生江史伸氏。三ツ星シェフにして大学院に在学中という、異色の存在。 Photo:Nathalie Cantacuzino
生江史伸氏。三ツ星シェフにして大学院に在学中という、異色の存在。
Photo:Nathalie Cantacuzino

コースに環境・健康問題を忍ばせる

このように、普段から環境やレストラン業界の未来に関する行動を続けている二人だが、今回のディナーではこうした側面をあえて強くは出さなかったという。「まずは料理を楽しんでいただきたい。特にコロナ禍の間の長い不自由、分断から解放されつつある今、リアルな交流の喜びをいち早く表現したかった」生江氏は話す。

その一方で、コースの内容については彼らの環境問題、健康問題に対する意識を忍ばせた。具体的には、今回のディナーでは野菜をベースに、魚介類をふんだんに使用。そして肉は一切使っていない。ファインダイニングの場で、肉のないコースは一つの冒険だ。

生江氏はディナーの翌日行われた記者会見で、この「肉を使わない」ことに込めた思いを種明かしした――最新の研究資料を示しながら、肉を食べることがどれだけ自然環境や人間の健康に対してサステナブルでないかを説明。「肉を使わないのが今回のディナーのメッセージというわけではありません。自然環境や健康の向上と、お客さまに満足していただけるコースを作ることを両立させたい。これに関しては、一定の成功をおさめることができたと思っています」。

コノートン氏も、肉を食べることが環境と健康への負荷につながることを意識。その延長上で、ヴィーガンに本格的に取り組んだ施設「リトルセイント」をこの春、シングルスレッドの近所にオープンしたことを紹介した。

リトルセイントはカジュアルなレストラン、カフェ、テイクアウト、コミュニティースペースなどを併設する施設で、コノートン氏の農園産の作物を用いたヴィーガンの料理が提供される。「ヴィーガンは、どうしても支持派と不支持派の分断を生んでしまいがち」とコノートン氏。「そんな分断を超えた柔軟な形を作りたいと思っています。たとえば週に一回、気軽にヴィーガンの食事を選ぶ。あるいはヴィーガンだからと構えず、『おいしい食事をしたらヴィーガンだった』と感じる、という具合です」。また、「環境にも健康にも好影響をもたらす野菜や果物は、どうしても高価になる。しかしそれをハイエンドレストランだけのものにするのではなく、一般化したい」。リトルセイントにはそんな思いも込められている。

3人は仲間にして同志。生江氏はシングルスレッドでコノートン氏とコラボレーションを行った経験も。 Photo:Nathalie Cantacuzino
生江氏、コノートン氏と妻のカティーナ氏。カティーナ氏は農業の修業をおさめ、シングルスレッドでは農園の責任者を務める。同店のコンセプトの根幹を支える頼もしい相棒だ。
Photo:Nathalie Cantacuzino

次世代への責任をどれだけ担えるか?

コノートン氏は記者会見で、今の若い料理人に対する自分たち世代の責任について語った。「まず、今の時代においては、私たちの師匠たちが私たちを鍛えたのと同様に次世代を鍛えることはできません。私たちがキャリアを通過した時代とは全く異なる世界が待っているからです。今が変化の時です」。

シングルスレッドにはレストランと農園と合わせて125名のスタッフが在籍し、そのほとんどが20〜30代だという。「私と妻は彼らの未来に対して責任がある。料理の作り方だけではなく、地球や地域のために自分たちが何をできるかを教える必要があるのです。私たちはリジェネラティブな農園の営み方や作物の栽培方法をスタッフに伝えるためのプログラムを整備しています。それも、次世代に必要な技術や知識と考えているからです」。

「こうした教育は、たとえレストランのスタッフという小さなグループに対するものであっても、その中から次世代のリーダーが生まれれば食の世界に大きなインパクトを与えることができます」とコノートン氏。「自分のキャリアの中で成功するだけではなく、地球のよりよい未来のために活動する。そうした人材を育てるため、今私たちは活動しています」と言う。

ディナーイベントに意義を付加

食にはポジティブな気持ちで人を繋ぐ力がある。またレストランでの食事には、人々をワクワクさせる力がある。さらにコラボレーションディナーでは、ある種の祝祭感、特別感が加わる。

今回のコラボレーションディナーにおける二人の考えは、食事での特別感を実現しつつ、それだけで終わらせたくない、というもの。ディナーの翌日に記者会見が開かれ、生江氏とコノートン氏がこのイベントに込めた思いや、今考えていることがていねいに語られたのもその一環。また、記者会見はネットで多くの人に配信された。そこまで含めての、今回のイベントである。

料理人による社会課題に対する発信は、この20年で格段に増えた。その場は学会やイベント、レクチャーなどさまざまだ。そしてコラボレーションディナーでもそれは可能だと、今回示されたといえるだろう。

コノートン氏が話したように、今回のディナーは「小さなグループへのインパクト」かもしれない。しかしそこから発信が広がれば、徐々に大きなインパクトを生むことができる。そんな可能性を提示した新しいコラボレーションの形。料理人、レストラン関係者、普段レストランに積極的に通うお客たちにとって、大きな示唆になったに違いない。

イベントを支えた面々で記念撮影。今回シングルスレッドからはコノートン氏とカティーナ氏のほか、ヘッドシェフ、スーシェフ、パティスリシェフも来日。イベント後は日本文化を知るため、日本の料理店で研修したという。 Photo :Nathalie Cantacuzino
イベントを支えた面々で記念撮影。今回シングルスレッドからはコノートン氏とカティーナ氏のほか、ヘッドシェフ、スーシェフ、パティスリシェフも来日。イベント後は日本文化を知るため、日本の料理店で研修したという。
Photo :Nathalie Cantacuzino

ディナーコースは野菜と魚介で構成

全11品のコースから6品を紹介。日本のトーンを持つ料理が多く登場した。

Photo :Nathalie Cantacuzino

コノートン氏の料理。マコガレイの刺身と三杯酢風味のズッキーニ、オリーブオイルなどを合わせた。これにズッキーニの花とマコガレイのムースの天ぷらを添える。コノートン氏は日本食レストランからキャリアをスタートさせ、日本で働いた経験もあり日本料理への造詣が深い。そんな彼らしい品々が今回は披露された。

Photo :Nathalie Cantacuzino

二人の共作、ガルグイユ。二人が出会い、友情の出発点となったのが、洞爺にあった「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」の厨房。言わずと知れたブラス氏のスペシャリテを海バージョンにアレンジ。黒七味、しょっつるや海藻など和の風味を付加している。

Photo :Nathalie Cantacuzino

コノートン氏の料理。ハマグリを二種に仕立てた。一つは、ハマグリの身と豆腐を合わせた穏やかな味わい。もう一つは、ハマグリのヒモのピュレを柚子胡椒と合わせた刺激的かつ力強い味わい。いずれからもハマグリの旨みが豊かに感じられる、インパクトのある一品。

Photo :Nathalie Cantacuzino

生江氏の料理。マナガツオをホエーで軽くゆで、自家製の塩気を抑えたキャビアとソース・ブールブランを合わせた。やさしい味わいの中と、ソースの深い旨みが調和。モリーユとソラ豆で春を表現する。

Photo :Nathalie Cantacuzino

食後のチーズはソノマと日本それぞれの農園製のものを盛り合わせた。なお料理には時折花や葉があしらわれたが、その担当はコノートン氏の妻のカティーナ氏。ナチュラルかつセンスよく皿を引き立てる。

Photo :Nathalie Cantacuzino

コノートン氏担当のデザート。ニンジン、ほうじ茶のアイスクリームにスパイシーなデュカ、さわやかなセルフイユのクリームを合わせる。甘さを抑え、風味を鮮やかに出した仕立て。

生江史伸 なまえしのぶ
「レフェルヴェソンス」エグゼブティブシェフ。神奈川県出身。大学卒業後、アクアパッツァグループや「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」を経て渡英。「ファットダック」(ロンドン郊外)で働き、帰国後の2010年に「レフェルヴェソンス」(東京・西麻布)シェフに就任。レフェルヴェソンスは2020年12月にミシュランガイド東京にて三ツ星の評価を獲得。現在、東京大学大学院で農業・資源経済学を学ぶ。

L’Effervescence レフェルヴェソンス
http://www.leffervescence.jp

Kyle Connaughton カイル・コノートン 
「シングルスレッド」オーナーシェフ・カリフォルニア出身。少年時代の一時期日本に住む。米国ではロサンゼルス最古の日本食料理店でキャリアを開始。「スパゴ」「A.O.C.」などを経て北海道の「ミシェル・ブラス トーヤ ジャポン」で働く。その後「ファットダック」(ロンドン郊外)で研究開発ラボのヘッドシェフを6年間務め、米国に帰国後は料理科学学士号プログラムの共同開発などに携わる。2014年にカリフォルニア州のソノマに夫婦で農地を取得。準備期間を経て2016年にレストランをオープン。ミシュラン三ツ星をはじめとする多数のアワードを得ている。

Single Thread シングルスレッド
https://www.singlethreadfarms.com
Little Saint リトルセイント
https://www.littlesainthealdsburg.com

text:柴田泉 photo:Nathalie Cantacuzino

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