師匠と弟子の物語 (5) アクアパッツァ出身 樫村仁尊さん(ファロ)


名店にはさまざまな特徴があるが、「優秀な弟子を輩出している」もその一つ。この連載では「ある店」から卒業後に活躍しているシェフたちに毎回インタビューする。今回から4回にわたり、「アクアパッツァ」出身の4名のシェフが登場。まずは東京・代官山「ファロ」のシェフ、樫村仁尊さんに話を聞いた。

〜アクアパッツァについて〜
日髙良実氏がオーナーシェフを務める、現在東京・青山にあるイタリア料理店。1990年に西麻布で誕生。日髙氏が南イタリアで心酔した素朴な魚料理「アクアパッツァ」を店名に掲げ、ごく上質な素材をシンプルに仕立てた品々で時代を築く。今に至るイタリア料理の新しい流れを作った。

こんなに僕たちを勇気づけてくれる人はいない

樫村シェフは何年間ほど「アクアパッツァ」で働きましたか。

調理師学校を卒業してすぐに就職したのがアクアパッツァでした。入社からまず5年間ほど働き、その後一度退職して4年間ほどはイタリアや別の店へ。また戻ってから11〜12年間ほどいました。合計で16〜17年間になります。

面接の時のことはよく覚えています。一言しかシェフとは話しませんでした。「お前、やる気あるのか」と。こちらは「はい」って。そう答えるしかないじゃないですか(笑)。

当時のアクアパッツァは、その後一気に有名になる直前。「これから行くぞ!」というエネルギーに満ちた時でした。

アクアパッツァが西麻布にオープンしたのが1990年。青山の支店が1995年、そして姉妹店のマンジャペッシェが1996年の開業です。

そう、僕が入ったのは青山店ができた頃ですね。最初僕は青山の店で5〜6ヶ月キッチンに入り、その後西麻布の本店でサービスを担当しました。

あと、それとは別に、シェフの料理講習会の助手も担当していました。店の勢いが増すにつれて、シェフへのそうした依頼も多くなってきたのです。

僕が参加したごく初期に、服部栄養専門学校でプロ向けの講習会があったんですが、その時、まだ入社して1年も経っていない僕が助手に指名されたことがありました。調理経験のほとんどない人間を指名するなんて、シェフもチャレンジャーです(笑)。僕が服部出身だから、表に出る役割をくれたのかもしれません。

ただ、僕も要領がよかったので、最初からシェフの行動の先を読み、必要な場所でボウルやレードルなどの道具をサッと渡す、ということができました。それで認めてくれたというか、ウマがあったのか……。「こいつは使える」と思って下さったのでしょうかね(笑)。

以降、片っ端から講習やメディアの取材撮影、テレビの収録などの仕事に連れて行ってもらいました。

ファロの料理は素材の魅力をストレートに引き出し、迫力いっぱいに仕立てるのが特徴。鮎を、ひときわ力強い味に塩焼きにする。
ファロの料理は素材の魅力をストレートに引き出し、迫力いっぱいに仕立てるのが特徴。鮎を、ひときわ力強い味に塩焼きにする。

「自分の名前」で仕事した広島時代

樫村さんは一度アクアパッツァを退社し、その後戻ってきてきます。戻ってからはどのような仕事をしていましたか。

帰ってきたのはマンジャペッシェが広島に店を出す頃。最初はそこのスタッフとして参加しましたが、ほどなくしてシェフをやることに。シェフは5年間務めました。

日髙シェフは、いい意味でノータッチ。「よろしくな」とまかせてくれる。なので広島では全部のメニューを自分で考えていました。また、広島の地元のシェフたちとつながったり、「自分の名前を売る」じゃないですが、催事など外に向けて自分の名前で仕事をしたり。そういうのも自由にやってよかったのです。今でも、広島時代のお客さまは店に来てくださいます。

広島の後は、広尾に移転していた本店に戻りシェフとなります。

そうですね。本店のシェフをやり、一時期は横須賀の「アクアマーレ」でも指揮を執るなど、柔軟に必要な場所に行くという役割でした。そうしたポジションで、今の店「ファロ」を開く2016年まで、6年間ほどシェフとして働きました。

ファロの名物「カツオの藁焼き」。藁を燃やし、立ち上る炎でカツオの塊を炙る。これを分厚く切り、フレッシュトマトのソースをかけて。
ファロの名物「カツオの藁焼き」。藁を燃やし、立ち上る炎でカツオの塊を炙る。これを分厚く切り、フレッシュトマトのソースをかけて。

Facebookで店を紹介してくれた

アクアパッツァからは、どのように卒業したのですか。

宮木(自由が丘「モンド」オーナシェフの宮木康彦氏。「ファロ」はモンドの姉妹店)とファロのオープンの時期は決めていたので、その準備に集中する期間を見込みつつ、辞める1年前にシェフに話しました。

辞めるにあたって、心から感謝していることが一つあります。辞める一ヶ月ほど前に、「アクアパッツァで長くシェフを務めた樫村が、新しくオープンする店のシェフになる」ということを日髙シェフがご自分のFacebookに上げてくれたんです。

シェフはとてつもなく影響力の強い人なので、その投稿でファロを多くの人に知っていただけました。日髙シェフの紹介ということで注目も信頼も最初から得られ、おかげでファロはスタートダッシュがきれたんです。取材も、オープンから多くの媒体が来てくださいました。

それは嬉しいですね。最大の花向けでは。

はい、本当に。こんなにありがたいことはありません。

感謝といえば、コロナ禍の最中、ファロで料理のテイクアウトや通販にすぐに取り組み、しっかりと売ることができたのも日髙シェフのおかげなんです。

アクアパッツァでは、僕が最初に入社した1995年頃からおせち料理に取り組んでいました。西洋料理のジャンルではまさに先駆けだったと思います。その長い経験のおかげで、通販商品を作るノウハウが身についていた。それがコロナ禍でのスピーディーな動きにつながりました。

こうした経緯があるから、ファロはコロナ禍を経ても消えずにいられている。実際におせちをやっているときは「厨房の他に仕事があると忙しいなあ!」なんて思っていたのですが。アクアパッツァで過ごしたすべての日々が、今、僕を助けてくれているのです。

毎日焼く、ファロの代名詞となっているポルケッタ。大きな塊で作り、焼き上がったら店のお客に同時にふるまう。ジューシーな仕上がりはこの店ならでは。
毎日焼く、ファロの代名詞となっているポルケッタ。大きな塊で作り、焼き上がったら店のお客に同時にふるまう。ジューシーな仕上がりはこの店ならでは。

シェフの人柄があって成せること

アクアパッツァで学び、今、ファロで影響を受けていることはどのようなことでしょう。

やはり素材にしっかりと向き合い、シンプルにその魅力を表現するということです。ファロは店の中心に炭火台を置き、そこで焼いた食材を提供する店です。何の素材を食べているか、はっきりと感じる料理を心がけています。こうしたシンプルな料理、勢いのある料理が好きなのはシェフの影響だと思います。

あと、自分がシェフになってわかったのは、アクアパッツァ時代は本当にいい素材を使わせてもらっていたんだな、ということ。素材を見る目は、アクアパッツァ出身者は頭抜けているんじゃないでしょうかね。

ちなみに、アクアパッツァはレシピのない店でした。僕は日髙シェフは感性の人だと思っているのですが、その感性を最大に生かして料理をする。レシピがあればそれをなぞることもできますが、そうではないので、こちらは感覚を研ぎ澄ませ、素材に合わせて調理を調整することになります。そうした習慣が身についたのは貴重な財産です。

また、アクアパッツァという料理は店の看板料理ですが、その作り方は僕が入った頃と出た頃では随分と変わりました。頭が柔らかく、どんどん料理を変えていくシェフはやはり感性の人。簡単に真似できるものではありませんが、そんなところも尊敬しています。

樫村さんにとって日髙シェフはどのような人ですか。

もう、シェフに対しては感謝しかないです。さっきも言ったように、自分の料理の根幹ができあがったのも、コロナ禍を生き延びることができたのもシェフのおかげ。

また、アクアパッツァ出身のスタッフは仲間意識が強く、リスペクトしあっています。そんなみんなの良好な関係性が生まれているのは、日髙シェフの力によるもの。やはりお人柄のよさがあって成せることだと思います。

コロナ禍の間にYouTubeに取り組み、人気ユーチューバーになったのもシェフのすごいところですよね。普通、年齢とともに人は活動がトーンダウンするものですが、日髙シェフはそんなことがまったくないようです。

そうした大きな背中を見せられてしまったら、こちらは小さなことで愚痴なんて言っていられません(笑)。僕たちをこんなに勇気づけてくれる人は他にいないんじゃないでしょうか? 僕にとって日髙シェフは、追う背中。今も、これからも大きな存在です。

樫村 仁尊 かしむら のりたか
1974年東京都生まれ。調理師専門学校を卒業後、アクアパッツァに入る。その後一度退社し、イタリアや他店で経験を重ねたのち、アクアパッツァグループに戻る。マンジャペッシェの広島店のシェフを5年間務めたのち、広尾の本店へ。11年間シェフとして働きつつ、日髙シェフの右腕として幅広く活動。2016年に退社し、同年、ファロのシェフとなる。

falòファロ

falò ファロ
東京都渋谷区代官山町14-10 LUZ代官山 B1
TEL 03-6455-0206
月〜金 17:00〜21:30LO
土日祝 15:00〜21:00LO
木休

text:柴田 泉
神奈川県出身。食の専門出版社「柴田書店」にて、プロの料理人向けの専門誌『月刊専門料理』編集長を務める。独立後は食やレストランのジャンルを中心とするフリーライター・編集者として活動。

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