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「自分がやるなら人と違うことをやろうと考えていました」米田肇さんのまかないの思い出


修業時代の思い出から、「HAJIME」での教えまで。「米田肇の料理」の世界を培ってきた過程には、確実にまかないがあった。明解にしてロジカルな思考と強い信念、強いフィジカル。料理人のみならず、誰しも膝を打つような哲学がまかないから見えてきた。


初めのまかない

 米田さんが初めてまかないを意識したのは、2店めの修業先でのこと。1店めのまかないは、市販の弁当を立ち食い。それすら食べられない日もあった。次の店でも同じように厨房の隅で立ち食いをしていたら、シェフに「座れ」と怒られた。「食事を作るのだから自分の食事も大切にしろ」というのがその理由だった。「すごい、と思いました。気付かなかったけど、その通りだったから」

 やがて米田さんもまかないを任されるようになった。とはいっても食材には制限がある。それでもシェフを喜ばせたい一心で、毎日違うメニューを工夫した。前日からパスタ生地を仕込んだり、当時の最先端だった低温調理にチャレンジしたり。古典料理を出して「よくこんな料理を知ってたな」と驚かれた。

 渡仏先でも、自分からまかない作りを申し出て、フランスの定番料理や古典料理を中心にどんどん腕を磨いていった。まかないは、料理の基礎体力を作る絶好の機会だったのだ。

肇のまかない

 こうして培ってきた技術が花開いたのは、独立前の職場「ミシェル・ブラス トーヤ・ジャポン」。ここでは、一般のスタッフはホテルの社食を使っていたが、フランス人のシェフと支配人は、キッチンスタッフたちが交代で作るまかないを食べることになっていた。このまかないでは、使う食材や献立内容に一切制約がなかった。それまで、さまざまなシェフの元で働いてきた米田さんにとって、イチから自分で考えて料理を作るチャンスが初めて訪れたわけだ。「ちょうど自分の技術力がわかってきた時期でした。おいしい料理が作れるようになっているのは間違いない。じゃあ自分の表現力はどうだろう。もう、制約を言い訳にはできない。人と違う発想で『僕ならこうする』と、考えていたことを試せるから、毎回が挑戦と研究の場でした」

 料理人が多いため、まかない当番は2〜3週間に1度しか回ってこない。限られた時間を効率よく使うために、何日も前から構想を練り、準備を重ねて当日に挑んだ。

「変わったことばかりするので、僕が料理を始めると、みんなに囲まれました(笑)。今日は何をする気だろう、と興味津々だったんでしょう」

 たとえばアロゼ。熱したバターを回しかける火入れは、バターの中に沈めて熱するのとはどう違うのか。トンカツは豚にあらかじめ火を入れておき、パン粉だけを高温で揚げてみたらもっとおいしくならないか。そういった疑問を解決する場を、まかないに見出していたのだ。

 こうして写真のような、まかないとは思えないクオリティの料理を作り上げつつ、米田さん本人は極めて冷静に分析していたという。「わかったのは『自分はまだここまでしかできないのか』ということ。もっと勉強しなきゃいけない。あの時代に得た知識と経験は、確実に今の自分のベースとなっています」

「ミシェル・ブラス トーヤ・ジャポン」時代米田さんが作っていたまかない

写真提供/米田 肇

HAJIMEのまかない

 そして今――「HAJIME」では、8人のキッチンスタッフが順番にまかないを作る。まかないは毎日2度。11時30分はメイン担当とサラダ担当の2人で、16時はひとりで作り、できるだけ全員で食卓に着く。店の料理は余剰食材が出ないように管理しているうえ、「経理上は仕入れ品を店内で消費すべきでない」との考えから、まかない用の食材は別に予算を組んで仕入れる。担当者は、1人あたり1食300〜350円で献立を決め、使う食材を申請する。バランス感覚やコスト感覚も磨かれるシステムといえるだろう。

まかないは遅番のアルバイトスタッフ用にも取り分けておく。ラップフィルムに一言メッセージを書く気遣いには、「すごい発想。優しいなあ」と米田さんも感激したそう。

 米田さんはまた、スタッフにいくつかのルールを課している。〝量がしっかりあること〟〝健康的であること〟〝おいしいこと〟〝すでに名前のあるメニュー〟を作ること。

 理由は二つ。「基本的な家庭料理が作れない段階での創作は無駄」だから。もうひとつは「自分の味覚と世の中の味覚の差を知り、分析力が磨ける」から。定番の料理にはいくつもの正解があり、何軒も食べ歩けば異なる発見がある。自分の味覚と評判にギャップがあれば、分析してみる。料理人として大切な能力を磨くために、基本を知る過程は不可欠だと米田さんは考えているのだ。

 こうしたルールは、まかないだけに留まらない。精神安定物質であるセロトニンを分泌させるために〝朝食をとる〟ことも課している。「あとは日光を浴び、運動をして、ビタミンB1をとる。これだけで自分の性能が上がります。僕は独立した当初ずっとイライラしていたのですが、朝を抜いていたことが原因だとわかったんです。これらを実行したらピタッと止まった。あがり症まで治ったんですよ」

 実は、米田さんは40歳頃まで自分の食事には無頓着だった。人間ドックで「このままでは危険」と告げられたことで、生活スタイルを見直した。週に4􀀂5回のジム通いをスタートしたのもこの時期だ。

「年を取るとどうしてもスピードが落ちるので、必要な速度を維持するために運動は必要。スタッフでも何人かジムに行き出して好調ですよ」

 食事が人を作る。まかないにも肇さんならではの論理があった。

この日の献立はデミグラスソースのハンバーグ、焼野菜のシーザーサラダ、ポテトサラダ、十六穀米、ミネストローネ。メイン担当の田村英登さんがハンバーグ、サラダ担当の大迫克成さんがそれに合わせてサラダとスープを作った。盛りつけはセルフで行うが、ご飯の量は基本的に120gと決まっており、必ずスケールで量る。盛りつけ終わった人から席に着き、食べ終わったら自分の食器は自分で洗う。作業の関係上ずれる人もいるが、なるべく全員で食べるのがハウスルールだ。

Hajime Yoneda

1972年大阪府生まれ。大学卒業後IT業界のエンジニアを経て料理の道へ。大阪、神戸、フランスなど各地で経験を積み、2008年に「HAJIME」(旧Hajime RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPAN)開店。ミシュラン史上最短で三ツ星を獲得する。12年に店名を改めリニューアル。

藤田アキ=取材、文 村川荘兵衛=撮影

本記事は雑誌料理王国2019年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2019年5月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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