「実家は大工をしているのですが、その仕事は継ぎたくない。でも、手に職をつけたいというのが、最初にパン職人を選んだ理由だったんです。でも、自分が作ったパンを選んでもらえることがうれしくなってきて……」。小田急鵠沼海岸駅から線路沿いに江ノ島方面へ5分ほど歩くと、ブルーの扉が印象的なブーランジェリーが現われる。店主・豊永博さんが継ぎたくなかった大工を生業とするお父さま、そして地元の友人の協力を得て完成された手作りのお店だ。高校卒業後就職したドンクでは約10年を過ごした。ただおいしいパンを作るということだけでなく、欧米人に比べて日本人は硬いパンを消化しにくい体になっているなど、大きなチェーンならではのパンにまつわるさまざまなことを学んだ。最終的には製造責任者も務めたが、その頃意識し始めた、将来の独立のためには何かが足りないと感じた。そんな時、埼玉県春日部市にあるポンデザールという店から声がかかった。ここでは、それまで経験していなかった惣菜パンの作り方から店頭での販売の仕事までを経験できた。店を開店するにあたって必要な、どんな人が何を買いに来るのか、どういう陳列が好まれるかなど、店作りのキーになる部分はここで培われた経験が大きい。そして、3年弱の期間を経て、地元に凱旋することになる。
大手ではできないことを手間暇かけて
どこに店を開くかリサーチをする中でこの鵠沼に決めた理由は「鵠沼周辺は比較的裕福で、年齢を問わず海外生活を経験されていて、自分がやりたかったハード系のパンを理解してくれる人が多いとわかったからです」。パンをごはんの代わりとする生活が根付いていて、お年寄りでも硬いものやライ麦を使ったもの、プレーンなものを好まれる方が多いのだという。にもかかわらず、それまでハード系の種類を多く取り揃えている店がなかったということが、この地で勝負に出る決心をした理由だ。また「大手ではできないこと」という信念のもと、添加物はいっさい使わず、フィリングもすべて手作り。どういう素材を使っているのか自らが説明できるから、客も安心して買い求め、リピーターとなった。これまでにはなかったタイプの店だと地元のメディアにも取り上げられるなどしてすぐに軌道に乗り、当初180万円に設定していた売上目標は、オープン半年も経たないうちに200〜220万円にまでになった。自分の店を持つという目標が叶い、商売も軌道に乗った。次なる展開はカフェを併設した、鵠沼らしい西海岸の香り漂う店を作りたいそうだ。
松尾大 = 文、岡本寿 = 写真
本記事は雑誌料理王国2012年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2012年6月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。