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銀座にこだわり続けるということ。「銀座 小十」奥田透さん


外食産業きっての晴れ舞台・銀座に生きる料理人、「銀座 小十」奥田透さん。外食不況といわれるこの時代、逆風の煽りをもっとも受けがちな日本一の高級繁華街・銀座にあえて飲食店を出店し、 店を営むとはどういうことなのか。銀座にかける想いを聞いた。

1999年に故郷・静岡市で独立開業。飲んで食べて5000円のカジュアル店は、ほどなく大繁盛するように。しかし、自分の人生このままでいいのだろうか。やはり本格的な日本料理をやりたい。次第にそんな思いが募っていった奥田さんは、定休の日曜ごとに上京し、銀座を隅々まで歩き回って物件を探した。「なぜ銀座をめざしたかというと、場所が悪いからお客さまが来ないという言い訳をしたくなかったから。よく〝いつかは銀座〞っていうけれど、当時30代前半の自分でもやってできないことはないのではないか。足りない経験と風格は、やる気と根性で補ってみせると。地方出身者だからこそ、銀座への憧れも強かったのでしょうね」

静岡からいきなり頂点の街、銀座へ

奥田さんのイメージする〝銀座の中の銀座〞とは、外堀通りと中央通りに挟まれた、6〜8丁目のほんの100メートル四方のこと。クラブが林立し、フレンチや寿司店も点在する、日本屈指の高級繁華街である。まさにその一角、ソニー通りの雑居ビル1階に、奥田さんが20坪の小さな日本料理店「銀座 小十」を開いたのは、2003年7月のこと。「両親の住む実家まで担保に入れて、5000万の借金をしました。僕は甲子園だと思って銀座に来たんです。どんな強いチームでも、本番で負けたら、泣いて砂持って帰らなくちゃいけない。まさに背水の陣でした。で、人通りの多い銀座に路面店を出せば、すぐに人が来てくれると思っていたら、数カ月経っても閑古鳥が鳴いたまま。銀座は飛び込みでお客が入るような場所ではなかったんです」自ら通りに出てショップカード配りまでやった。にわかに資金繰りに窮し、何度もトラックに飛び込もうと思った。「もはや絶体絶命というとき、雑誌社に10通の手紙を出したら、そのうちの1社が取材に来てくれ、その記事を見たお客さまや雑誌社が次々に来てくれるようになって……。首の皮一枚でつながりました」

ついには『ミシュラン』まで来て、 開店わずか4年目にして三つ星を獲得。その後の活躍は周知の通りだ。来年には現在の店のすぐそばに移転予定。倍の広さになるという。「今後もこのエリアにこだわり続けます。僕は銀座って〝パワースポット〞だと思うんですよ。最高の酒と食事を楽しむ場所として、力のある人たちを磁場のように引き寄せてきた歴史をひしひしと感じます。一方、僕らもつねに最高の仕事をし、その人たちを満足させなければ、この街から淘汰されてしまう。銀座で商売するには、並々ならぬパワーが必要。これからもずっと勝負です!」

銀座 小十
東京都中央区銀座8-5-25 第2三有ビル1F
03-6215-9544

text 松田亜希子  photo杉田学

本記事は雑誌料理王国2011年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2011年3月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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