「デリシャス・ソリューション(おいしい解決策)」とは? アリス・ウォータース氏と田中愛子氏が語る、食の課題へのシンプルな切り口


カリフォルニア・バークレー「シェ・パニース」のオーナーシェフにして、食の活動家でもあるアリス・ウォータース氏が2023年10月に来日。その機会に、大阪を起点に「フードスタディーズ」に取り組む田中愛子氏と対話を行った。話題は、食を通したよりよい未来について。当日の模様をお伝えする。

アリス・ウォータース氏
1971年、カリフォルニア・バークレーに「シェ・パニース」をオープン。地元産のオーガニック食材を使用したシンプルな料理と、地域の生産者とつながるレストランのあり方を世に提示し、多くの料理人や食シーンに影響を与える。また、学校に菜園とキッチンを設け、教科学習と全人教育を融合させる教育モデル「エディブル・スクールヤード」の設立者としても知られる。

田中愛子氏
NYで世界の家庭料理と食文化を学び、1990年代後半より料理研究家に。大阪を拠点とし、テレビ、雑誌、新聞などで活躍する。食を、健康、環境、文化などの視点から横断的に研究する「フードスタディーズ」に2002年より取り組む。2023年「日本フードスタディーズカレッジ」をスタート。理事長を務める。

「おいしい」というボジティブなインパクトが、変革を推進する

シェフであり、食の活動家でもあるアリス・ウォータースさん。1971年に「シェ・パニース」(カリフォルニア州バークレー)をオープンし、シンプルで生き生きとしたオーガニック料理を提供しはじめると、たちまち世界中から注目と高い評価を集めるようになりました。

アリスさんの興味と活動は、レストランの外にも拡大します。オーガニック農家や彼らが携わる地産地消の動きを応援し、スローフードの活動も牽引。アリスさんは50年以上にわたり、食を介して、世界の人々をよりよい方向へ導き続けてきたといえるでしょう。

そのアリスさんが2023年10月9日から、10日間にわたって来日。島根県海士町、石見銀山、京都府亀岡市、徳島県神山町など、日本において、スローフードの精神に基づく独自の活動を行う土地を厳選して訪ねました。

今回紹介するアリスさんと、料理研究家の田中愛子さんの対話が設けられたのは、その旅の中でのひととき、京都のGOOD NATURE HOTELにて。

田中さんは1990年代後半から、テレビをはじめとする各種メディアにて料理の仕事で活躍していたなか、2002年にカリフォルニアにレストラン取材に訪れました。そこでアリスさんに出会い、多大な影響を受けたと言います。

「私は学生運動世代。社会変革や世界平和をめざした“ラブ・アンド・ピース世代”なのです(笑)。2002年に『シェ・パニース』に伺いお話をお聞きして、アリスさんがよりよい社会や子供たちの未来について、食を通してずっと考えてこられたことに衝撃を受けました。そして、私の中で消えていた、社会や未来への思いに再び火が灯ったのです」。

2023年4月にスタートさせた、食と環境を考える教育機関「日本フードスタディーズカレッジ」も、その時の思いの延長線上にあります。

そんな田中さんが、改めてアリスさんからご自身の哲学を聞き、未来へのメッセージを会場の皆で共有した今回のイベント。その内容をお伝えいたします。

人生を賭けた2つのプロジェクト

「私には、人生をかけて取り組んできたプロジェクトが2つあります」とアリスさんは話します。「一つは、52年目になるシェ・パニース。もう一つは28年間続けてきたエディブル・スクールヤードです。この2つのモデルを作ったことで、“食は世界を変えることができる”と実感しました」。

“プロジェクト”としてアリスさんが一つ目に挙げたシェ・パニースは、オープン間もない頃から、地元のオーガニック野菜を、その栽培農家から直接購入してきました。

「“正しいから” ではなく、ひたすらにおいしさを求めた結果、行き着いたのが地元のオーガニック農家でした。“本物の食べ物に正当な対価を支払う”という行動を続けたら、その時畑にある最高の”旬”が農家さんから届くようになり、おいしさが手に入りました。オーガニックの農家は、私たちの代わりに大地の守り手をしてくれています。感謝してもしきれません」。このようにしてシェ・パニースは、オーガニック農家を支え続け、地域の農と食をめぐる経済を変えていきました。

もう一つの「エディブル・スクールヤード」は、食を取り入れた教育プログラムのこと。1995年にアリスさんが中心となって、地元の公立中学校に作ったのが出発点です。今では全米、そして全世界の6200もの学校で実践されています。

その内容は、学校に菜園とキッチンを作り、生徒たちが専門の指導者のもとで野菜を育て、料理を作ることがベース。そこにさまざまな教科を結びつけながら学ぶというものです――たとえば菜園の広さを割り出し、植える苗の間隔を決める計算は算数と関連づけられます。じゃがいもを栽培するにあたり、原産地の南米から世界に伝播した経緯を調べるのは、歴史と地理の学習です。料理における、加熱による素材の変性は科学の学びにつながります。

「エディブル・スクールヤードは偶然にはじまりました」と、アリスさん。「私が家からシェ・パニースに毎日通う道の途中に公立中学校があったのですが、そこの校長先生から『この学校を美しくしてみませんか』という電話をいただいたのです」。

電話があった1995年は、いじめや人種差別などによる学校の荒廃、生徒たちの肥満や糖尿病がアメリカで社会問題になっていた時期にあたります。アリスさんはこれら諸問題の根には食環境の悪化があり、その改善が問題解決につながるのでは、と考えていました。

アリスさんが最初に手がけた地元のその中学校は、500人の生徒が通うマンモス校。敷地内にあった約1エーカー(約4000㎡)もの広さの教員用駐車場のコンクリートを剥がし、畑にするところからはじめました。

「この時、私は大学を卒業してすぐの頃に資格を取得したモンテッソーリ教育から、2つのアイデアを得ました。一つは”learning by doing”。教科書から教わるのではなく、手を動かすことで自ら学習すること。体験的な学習と自己選択により学習効果が高まります。

もう一つは『五感で学ぶ』こと。五感が開かれることで脳が刺激され、能動的な動きにつながります。菜園とキッチンでじっくりと食材を触り、味わい、見て、聞いて……それが感覚の通路となり、本当の学びにつながるのです」。

アリスさんの精神を継ぐ、田中さんの食の教育活動

田中さんも、アリスさんのエディブル・スクールヤードを参考にして、2009年に「食育ハーブガーデン」を日本で立ち上げました。「自分で植えたものを、自分で食べる。その教育の効果はとても大きいものです。ただしカリキュラムの制約などから、私はハーブに特化したガーデンを作ることに。ハーブを用いたピザ作りなどはとても楽しい、そして強い印象を子供たちに与えたようです」と話します。

「私が今でも一番よく覚えているのは、知的障害のある子どもたちの学校での授業。ハーブの香りに非常に喜んでもらえて、そのせいかいつもより格段に長く集中力が続いたようです。無事料理の全工程を終えて、『途中までしかできない可能性が高い』と思っていた先生方も驚いていました。ある子のお母さんからは、『この子は一生、誰かに料理を作ってもらわないと食べることができないと思っていました。でも自分で作れるのだとわかり、とても安心しています』と感謝の手紙もいただいたのです」。

手を動かすこと、五感を刺激することで、学びの力は格段に高まる。食の教育面での可能性を、田中さんが実感した瞬間でした。

このように田中さんは「食育ハーブガーデン」を実践する一方で、それも含み込む形で、食を健康面、環境面、文化面などから多面的に研究する学問「フードスタディーズ」を精力的に学び続けます。特に日本の学校でのフードスタディーズコースの設置に尽力し、2011年には大阪樟蔭高校、2015年には大阪樟蔭女子大学でそれを実現。同大では教授に就任します。さらには世界15カ国の国際フードスタディーズ学会に参加し、日本の食について発表してきました。

そして2020年に大阪樟蔭女子大学を退職した直後、世の中はコロナ禍に突入。田中さんは「食は社会に対し何ができるか?」「今、食を取り巻く状況に何が必要か?」「自分に何ができるか?」を深く考え抜くことに。結果、もっと広く、多くの人たちにフードスタディーズを学んでもらう「日本フードスタディーズカレッジ」の設立を決意。2023年4月に、立ち上げに至りました。

自分の手で作物を育てた経験は、一生の資質になる

田中さんには、アリスさんに会ったら是非聞きたいと思っていた質問があったそうです。

「20年前、日本では食を環境問題と関連付けて考える動きはほとんどありませんでしたが、アリスさんは違った。今、時代がアリスさんに追いついたと感じています。なので、今こそ、私たちが気候変動を乗り越えるにはどうしたらいいか、何にフォーカスしたらいいか、アリスさんの考えをお聞きしたいと思っています」とリクエスト。

それに対してアリスさんは、「食べ物と教育です」と即答。普段からフードスタディーズに取り組む田中さんも、「食と教育は、これからの時代を切り開く大切な学びだと信じています」と完全に同意します。

アリスさんは、食べものと教育についてこう語ります。

「私たちは毎日食べ物を食べますし、子どもたちは毎日学校に行きます――もちろんそれが叶わない状況にいる人たち、子どもたちもいるので、幸運なら、ということではあるのですが――。誰もが毎日関わる事柄を変えると、大きな変化が生まれるのです。これは気候変動への“おいしい解決策”とも呼べるかもしれません」。

また、「短い時間でよいので、身近にある自然の中で農作業を行い、自らの手で食べ物作りに関わると、それが、その人の一生の資質になります」とも。

「私にも原体験があります。第二次世界大戦中、物資不足のアメリカでは“ビクトリーガーデン”と呼ばれる家庭菜園が推奨され、どの家庭でも野菜を育てていました。戦後もその名残があり、私もビクトリーガーデンで野菜を作っていました。自然と触れ合える農作業は、とても楽しい。目の前で実っている作物を、その場で食べた時のおいしさはひとしお。いずれも忘れられない感覚として自分の中に残っています。

なので、今の子供たちも学校の菜園で野菜を育てて食べ、おいしさに感動することが大事。一生にわたる“おいしい解決策”の原動力を得られるはずです」。

さらに一歩進め、アリスさんは「公教育のシステムを有効に使うことが大事。つまり給食の活用です」と話します。

「給食で使う食材を、地元のオーガニックの農家さん、持続可能性に配慮する漁師さんから直接買う。そうすると地域の農漁業の風景が変わっていきます」。これは、アリスさんがシェ・パニースで実践してきた事柄と同じ。正しいだけでなく、おいしさが核にあります。「だから喜びが得られ、それが解決の推進力になるのです」。

公教育と給食で、おいしい解決策は加速する

アリスさんはシェ・パニース、そしてエディブル・スクールヤードの活動を続けてきた中で、常に意識してきたことがあると言います。それは「クリアな輪郭線で描くこと」です。

「人は、見たものを信じます。私がやったのは2つのモデルを作ること。『これならできるかもしれない』というアイデアを、クリアに見ていただける場所を作ったのです」。

前述した通り、エディブル・スクールヤードは、現在世界の6200校で実践されています。はじまりは1校ですが、それは、非常に明快な事例となる1校でした。

「本当に美しいものを見せればいい。おいしいものを口にしてもらえればいい。それができれば、人の関心を集めるのは難しいことではありません。

そして、その美しさを作るのもまた難しくはありません。食事にお招きしたお客さまのテーブルにキャンドルを一つ灯してみる。それだけで十分に動き出すものはあると思います。旬の完熟の食材を食べてもらうのも、“おいしい解決策”に火をつけてくれます。シンプルなことです」。

その一方で、気候変動への対策を、私たちは急がなくてはいけないということも忘れてはなりません。

「加速が必要です。なのでやはり、公教育と学校給食ですべての子供たちとともに取り組むことが大切だと思うのです。1人のできることは小さいかもしれませんが、皆さんのお住まいの地域それぞれが実践すれば社会を変える大きな力になります。

これは、民主主義をきちんと取り戻していくことにもつながります。食べ物からはじめましょう。食べ物にはそうした力があるのですから」。

私たちは皆、食べたものでできています。そして食べることは、栄養価だけでなく、その食べ物の持つ背景全てを自分に取り込むこと。

「食べることは選択であり、決断です。そのことを忘れずにいてください」

『スローフード宣言――食べることは生きること』
アリス・ウォータース、ボブ・キャロウ、クリスティーナ・ミューラー 著 小野寺愛 翻訳
海士の風刊(2022/10/29)

日本フードスタディーズカレッジ(田中愛子氏理事)
https://foodstudiescollege.jp
学長に湯本貴和氏(京都大学名誉教授。生態系、生物多様性の分野で日本を代表する研究者)、副学長に足立直樹氏(生物多様性の保全と企業を結ぶ、民間におけるSDGs活動の第一人者)を迎える。生徒は学生のみならず社会人も。食を多面的に教える。

※アリス・ウォータース氏の2023年10月の日本の旅は、ドキュメンタリー映画にまとめられ、2024年2月より全国各地で自主上映会が開催される予定。上映会情報は、順次、以下のリンクにて紹介。
https://note.com/amanokaze/n/n085abedfbdc1

text:柴田泉

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