1971年にカリフォルニア州・バークレーにて自店「シェ・パニース」をオープンして以来、「オーガニック料理の母」、「“おいしい革命”の実践者」と称される活躍をしてきたアリス・ウォータースさん。そんな彼女の集大成的な書籍『スローフード宣言〜食べることは生きること』の刊行を記念して、トークイベントが行われました(主催:SPBS TORANOMON、協力:海士の風、英治出版)。ゲストは、シェ・パニースの厨房に入った経験のある二人の料理人、野村友里さん(eatrip主宰)と原川慎一郎さん(レストランBEARDオーナーシェフ。リモートにて参加)。モデレーターは、『スローフード宣言』の翻訳を担当した小野寺愛さんです。
地産地消、オーガニック、実践的な食育。アリス・ウォータースさんは50年にもわたってこれらの活動に取り組み、先駆者として道を拓き、大きな社会的なうねりを作り出す活躍をしてきました。料理人にして活動家。それがアリスさんです。
そしてこれらの数々の活動の起点となっているのが、アリスさんがオーナーを務めるシェ・パニースです。
今回のトークイベントでは、シェ・パニースで経験を積み、この店に身を置いたことのある二人の料理人、野村友里さんと原川慎一郎さんがゲストに登場しました。
野村友里さんはeatrip(イートリップ)を主宰し、レストラン「restaurant eatrip」や食材屋「eatrip soil1」をオープン。料理人であるほか、映画やイベントをはじめとするさまざまな活動で食の可能性を伝えます。
野村さんはシェ・パニースでは2010年前後に研修を経験。その後もシェ・パニースの料理人たちとの交流を続け、東京で彼らと協力し、「生産者」「料理人」「アーティスト」「消費者」をつなぐイベントを開催しました。2012年にはrestaurant eatrip(原宿)を開き、生産者、旬、野生の力を尊重した料理を提供しています。
一方の原川慎一郎さんは、長崎県の雲仙市のレストラン「BEARD(ビアード)」のオーナーシェフ。加えて、このレストランを拠点に国内の生産者のもとを巡りイベントを行うなど、食を通したサステナブルな社会づくりの普及をめざしています。
原川さんは、もともとは都内でレストラン「BEARD」(目黒)を営んでいた経歴の持ち主で、同店をオープンした2012年から4〜5年間、夏の休業期にシェ・パニースで研修を重ねました。その後2017年に、シェ・パニースの元総料理長のジェローム・ワーグさんとともに「the Blind Donkey」(神田)をオープンし、日本のレストランにおけるオーガニックやサステナビリティの重要性を発信。注目を集めます。
そして2020年12月、長崎県の雲仙にて種とりをしながら有機農法で在来種の野菜を栽培する農家・岩崎政利さんに感銘を受け、同地に拠点を移転。新たに構えたBEARDで料理人をしつつ、岩崎さんをはじめとする雲仙の生産者たちとともに、在来種の大切さを伝える活動にも力を注いでいます。
モデレーターを務めた小野寺愛さんもまた、アリスさんとの絆を育んできた人です。小野寺さんは、アリスさんがバークレーで立ち上げ、今や全米や米国外にも広がった学校菜園とキッチンでの実践的食育活動「エディブル・スクールヤード」を日本で広げてきました。アリスさんの来日時には通訳を担当し、エディブル・スクールヤード・ジャパンのアンバサダーを務めます。
また普段は、地元の神奈川県逗子市にて、海と森を園庭とする保育施設「うみのこ」を運営。「子どもと食」をテーマにした活動に取り組んでいます。その日々の営みを続けつつ、今回、『スローフード宣言』を翻訳しました。
イベントではまず、野村さんがシェ・パニースでの研修体験について話しました。
実は野村さん、この研修の前、映画「eatrip」の監督をするという大仕事を終え、少し放心状態に陥ったそう。改めて「地に足をつけて生きているだろうか」と自分に問い直す時期にあったといいます。そこで、一度料理に没頭するために、かつて訪れたことのある「シェ・パニース」での研修を思いつき、行動に移しました。
「一人で行きました。誰も知り合いのいない中、リュックを背負ってモーテルに泊まって。『30半ば過ぎて何をやっているんだろう?』なんて気持ちになったりもしましたが(笑)、シェ・パニースの厨房に入るとすごく元気になったのです。
最初に渡されたのが、バケツいっぱいのアーティチョーク。その皮むきをしました。むいているうちに『皮むきでもこんなに楽しい、自分は料理が好き』ということを思い出したのです」
また、きちんと「会話」があるのが、シェ・パニースの特徴です。
「夜のディナーは2回に分かれていますが、1回目と2回目の間の休憩に、スタッフのみんなでテーブルを囲んで話しながら、その日のコースを食べ、意見を言い合います。20分間くらいなのですが、その時に『サラダの味付けがこう』とか、『休みの日はどこに行っていたの?』など会話して、まるで擬似家族のよう。
世界中からインターンの人が来ていて、私も初日に『なぜ来たか』を話さなくてはいけませんでした。みんな、そうです。私は孤独でいこうと思っていたのに(笑)、いきなり大家族の中に入った感覚です。その心温まる時間で、『食べるってこういうことだな』と、忘れていた感覚が蘇りました。それが、とても印象的ですね。
こんなこともありました。その当時はまだスーシェフだったジェロームが、私が入って2日目くらいの夜に突然、仕込み中に『外に出よう!』と言うのです。何があったんだ?と思って出たら、『満月が綺麗だ』と(笑)。
そんな、いろいろな人たちの個性があるのがシェ・パニース。当時レストランの現場の長で、レストラン開業当時のメンバーのジャンピエールは『うちのキッチンはオーケストラ』だと言っていました。みんなの個性をどれだけ引き立てて、奏でられるか。そこが他とは違うと思います」
野村さんの話の後には、原川さんの体験談が続きます。
「僕がシェ・パニースを知ったのは、野村さんが開催したイベントがきっかけでした。ジェロームをはじめとするシェ・パニースのメンバーと野村さんによる、食の大きなイベントに誘われて参加したのです。
その時、彼らが仲良く穏やかに料理をしていた。それを見て自分は『こんなに緊張感がなく料理をしていて間に合うのか?』なんて思ったんです。勝手な心配ですね(笑)。でも、一緒に働いてみると、みるみるおいしい料理が出来上がっていく。
私は修業時代、軍隊のルールの仕組みを取り入れた、いわゆる一般的なフランス料理の厨房で一定期間を過ごしたので、シェ・パニースのみんなのあり方に衝撃を受けました。『レストランで働いて料理をするって、ストレスがなくてもおいしいものができるんだな』と。
それで、ぜひ実際にシェ・パニースの厨房を体験したく、料理長になったジェロームに連絡をとって研修に入るようになったのです」
研修は、4〜5年にわたり毎年夏に行ったといいます。期間は、長い時は3週間、短い時だと1週間ほど。
「研修中は、厨房で皆でリラックスして料理に取り組む空気、そして生産者を仲間とするシェ・パニースのあり方に深く共感しましたね。
帰国後、日本に拠点を移したジェロームとthe Blind Donkeyを開業し、食材調達を兼ねて国内の志のある生産者のもとを訪ねるようになりました。また、多くの生産者の方々が、『第一次産業の担い手に寄り添い、健やかな環境に敬意を表する』というthe Blind Donkeyのモットーに共感し、店を訪れてくれるように。そんな中で、雲仙の岩崎さんに出会ったのです。この出会いが、僕が雲仙に移る決意につながりました」
シェ・パニースでは常に、世界中からの多くの研修生が働いています。そんな彼らの多くは、このレストランで、野村さんや原川さんのように、人生を変えるほどの圧倒的な体験をするのです。
厨房には楽しい会話があり、スタッフが皆、人間らしい働き方をしている。生産者や自然環境に心を配る。そうしたシンプルなあり方が、現代の社会では忘れ去られているのかもしれません。野村さんと原川さんの話からは、平和でありながら革命的であるアリスさんのパワーを、ひしひしを感じることができました。
今回のイベントでは、『スローフード宣言』を読んだ参加者からの質問も受け付けました。その中の一つを紹介します。普段、ファストフードの製造に関わる仕事をしている方からの質問です。
Q 自分は仕事でファストフード、大量生産に携わる人間です。しかしこのままではいけないという空気は社内でも醸成されつつあり、個人的にも、これからはファストフードもスローフードに寄せていかなくてはならないと思っています。
そこで質問です。ファストフードがスローフードに近づくためには、どのようなアプローチが考えられるのか、意見を聞かせていただけますか。
A まずは、小野寺さんの意見から。
「どんなことでも、移行期はあると思うんです。
60年代以降、集約型の農業で安く、多くの作物が収穫できるようになったことで、地球上の飢餓が減った面もあるかもしれません。また、ファストフード側に社会が揺れたことで、誰もが手軽に外食ができるようになった。良い面もあったかもしれませんが、ファストの側への振れ幅が大きすぎて、未来に向けて修正する必要があるのが、今なのではないでしょうか。
そんな移行期の今、ファストからスローに向けて揺り戻すための最初の一歩で、どんな動きや考え方が可能か。こうした視点でお二人にお話を聞きたいと思います」
原川さんからの意見です。
「僕は、自分が『おいしさ』に対して非常に貪欲な人間であるという自信がありまして、雲仙に移ったのもそれを突き詰めた結果だと思っています。
そして僕にとってのおいしさとは、刺激的なおいしさではありません。じゃあなんだろう、と自分で考えた結果、要は、自然を感じている時が僕にとっての『おいしい』なのです。
野菜や畜産の場合だったら、人が自然の一部として、媒介となって作り上げられたものにおいしいと感じます。人為的に味を濃くした作物にはそれがありません。『人間も地球の一部』という考えで作られたものに魅力を感じるのです。
そうした考えをベースに、驕らずに、虫も含め、植物や動物と共に生き、生かされているということを忘れないのが大事なのでは。
つまり、ファストフードだろうがスローだろうが、人間として活動していく上で『生かされているんだな』ということを、どこかで踏まえていればいいんじゃないかな、と思っています。
ファストフードを作っていても、その時、『自分たちは地球の上に生かされているんだな』ということを頭に置きながら、いろいろなアイデアを出していくのはどうでしょう。そうするとおもしろいことが起きるのでは、と思います」
続いて野村さんからの意見です。
「さっき小野寺さんが言ったように、移行期というのは何事にもあると思います。そこをよりしなやかに変化できるよう、勇気を持つこと。そうすれば、その勇気はチャンスになるのでは。
大量生産は、日本の場合、戦後にはじまったものです。だけれど、100年前はどうだったんだろう? なんて考えると見えてくるものがあります。
少し話が変わりますが、私は自分の店が明治神宮前にあり、大家さんもこの神宮に関わりのある方なので、明治神宮に関して折に触れて考えたりします。それで、明治神宮には森がありますが、これは明治に植えられた木々が育ったもの。森を見ると、『人工的にはじめたものがきちんと森になっている。なりたかったものを、結構人間は作れる事実があるんだな』と思ったのです。
今必要な勇気は大きいかもしれないけれど、もしも理想が見えるのならば、なんでもできる力は持ち合わせている。そのように今は考えています。
と同時に、ファストとスローがどんな共存の仕方があるのか。そこの想像力が、一人一人に、強く問われるとも思います」
アリスさんの著書『スローフード宣言』では、前半では「ファストフード文化」の思想とそれがもたらす食の問題点について書かれ、後半では「スローフード文化」の思想と実践方法について書かれています。
ただし、この2つを断絶させるのが目的ではありません。まさにファストフード社会からスローに向かうべく転換期にどう生きるか、どんな選択をするのが望ましいか、多く記されています。
ぜひこの本を読み、イベントで語られたシェ・パニースのあり方もヒントにして、より健全な食の選択を考えてみてはいかがでしょうか。
『スローフード宣言――食べることは生きること』
アリス・ウォータース、ボブ・キャロウ、クリスティーナ・ミューラー 著 小野寺愛 翻訳
海士の風刊(2022/10/29)
text・photo:柴田泉