【瓢亭】「ラーメン」に込めた、未来の食の希望


伝統の延長線上に誕生した「鯛ラーメン」で
クラウドファンディングにも挑戦。

400年受け継がれてきた「普通」を守り続ける

「庭にある灯籠をはじめ、名木や名石も全くない、ごく普通のもんです」。「瓢亭」14代、髙橋英一さん(81)が庭を案内してくれながら言う。手をかけてきちんと整えられつつも、華美にならず、そっと心に寄り添うようなさりげなさが、茶の湯の精神を体現している。店の正面玄関や、茅葺の「くずや」は創業以来、400年以上の歴史を刻む。本館は4棟7室全部が、日本の職人技が生きた茶室。天然素材で作られた日本の伝統建築は、定期的な手入れが欠かせず、技を受け継ぐ人が少なくなった今、その「普通」を保つのが、とても難しくなっている。
僭越ながら修繕費を尋ねると「屋根の葺き替えで数百万。傾いた座敷を直したりするとものすごく費用が掛かります」と15代の義弘さん(46)。くずやは文化財としての価値も高いが、認定を受けてしまうと修繕費の補助が受けられる反面、その部屋で料理が提供できなくなるので、「用の美」を優先すると決めた。おかげで、谷崎潤一郎の名作「細雪」で、主人公が楽しんだ景色を、今も変わらず、食事と共に楽しめるわけだ。

コロナ禍の影響を受けて、京都・南禅寺の本館と、すぐ隣にある別館、さらに東京・ミッドタウン日比谷の支店は緊急事態宣言中に休業。茶道の各流派の家元とも縁の深い店だけに、特に京都では、茶会での利用や、茶席での出張料理も多かったが、それがなくなり、厳しい状況に立たされた。「これまでも、修繕の度に借金して、それを返すために働いて来たようなもの」と英一さんが苦笑するように、余裕のある状況ではない。戦中・戦後以来という危機に、後を任された義弘さんは、「コロナがなければあり得なかった」新しい戦略を打ち出した。
これまで、来店しての購入のみだったお土産を、5月にはネットショップを開設して全国発送を開始。テイクアウトの弁当も含め、季節に合わせた新商品を次々に生み出すことで、リピーターの獲得にもつなげていった。これまでになかったインスタグラムのアカウントも開設し、未来の顧客層を開拓。「戦後の食糧難の時代、店が営業できず、祖父は工場に働きに行った時期もあったと聞きました」(義弘さん)。続いてきた「普通」は、代々汗を流して守ってきたものでもあった。

守り続けてきた財産とは、と尋ねると「この建物と、人です」と英一さん。厨房には、数十年働く3人を筆頭に、合計14人。以前修業していたスタッフの息子世代も多く預かり、家族的な雰囲気だ。店のそばに寮があり、通勤の必要がない京都では、休業期間中も毎日昼夜と賄いを作り、テイクアウトや全国発送の商品のアイデアを皆で練った。そんな中で生まれたのが、8月にクラウドファンディング形式で販売をスタートした「ラーメン」で、若手スタッフから出たアイデアを取り入れた形だ。「変わらない」を守り続けて来た老舗の高懐石店がなぜラーメンなのか。

見た目は変わらずとも、時代に合わせた進化を続けること

しかし、瓢亭の料理に目を向けると、それは、決して意外な選択ではない。茶の湯の精神に基づいた料理は、ケレン味のない、シンプルな盛り付けだ。「植物であっても命は命。無駄に飾りに使うのではなしに、皿が返ってきたときに、何も残ってないのが理想なんです。髙橋さんの料理は、昔の写真をみても、今となんにも変わらへんなあ、と言われますけど」と英一さんは笑うが、「変わらない見た目」に反して、その味わいは革新を繰り返してきた。英一さんは若い頃から、大好きなフランス料理や中国料理などを食べ歩いては、これぞという味に出合えば、シェフに調理法を尋ね、日本料理の枠の中でどう活かすかの試作を重ねた。
例えば、アコウ(キジハタ)のお椀は、中国料理の技法を応用して、皮目を油通しして香りを立て、味に奥行きを加える。出汁には「素材をより素材らしく」楽しめるよう、アコウの骨から取った出汁も加えるが、これは「命を無駄なく、大切にいただく」という茶の湯の精神にもつながっている。デザートの桃やメロンなどの季節のフルーツには、キルシュとマラスキーノのジュレで複合的な香りを添える。また、日本料理の核である出汁に関しては、30年ほど前から、優しく上品なうま味のあるマグロ節を使い、それは義弘さんにも受け継がれている。「昔から受け継がれているものを、ほんの少し良くして、次に伝えて行ければええ。リレーのランナーのようなもんです」と英一さんは言う。だからこそ、義弘さんは、定番の鯛のお造りにトマト醤油を添えたり、乳製品不使用の豆乳のアイスクリーム、またコロナ禍の持ち帰りでは、豆乳バターを使った新玉ねぎごはんにローストビーフ弁当など、今の時代に合った味わいを考えて提供してきた。

「ラーメン」に込めた、未来の食への希望

前出のアコウのお椀には素麺が入っていたが、今回、懐石の文脈の中にある素麺ではなく、同じ麺ではあるものの、あえて「ラーメン」を選んだことで、気軽さが増し、普段懐石を食べない層にも響く効果もあるだろう。「ずっと売っていくかはまだ決めてませんけど」と言いつつも、400年の歴史のバトンを受け取る義弘さんの視線は、はるか未来を見ている。

「うちは、一回出したもんは長いこと続けていくつもりで作ってます。記憶に残って、世代を超えて愛される味になるように。何十年かして、このラーメン、あの時に初めてできたんだよね、と言ってもらえるような」。出汁はお造りに使った明石鯛の骨を干したもの、塩麹に漬けた鯛の切り身、さらには150年以上前から、京都御所にも麩を献上してきた老舗「麩嘉」に依頼して作ってもらった、自家製鯛味噌の入った可愛らしい鯛焼き麩がつき、「インスタ映え」も抜群のラーメンだが、そこには義弘さんの、未来の食に対する希望が込められている。

京料理は「始末の料理」。
その矜持は、コロナ禍における食の在り方のヒント

「手軽に作れるイメージのラーメンではありますけど、これは、家でネギは刻まないといけないし、鯛は焼かないといけない。あえてひと手間かけるトッピングを増やすことで、うちで料理をする豊かさを感じて欲しいですし、ステイホームの時期を通して、食を大切にする生活を取り戻して欲しいのです」(義弘さん)そしてそれは同時に、英一さんの思いでもある。

「京都は『始末の料理』、と言われるように、食材を無駄にしない文化が受け継がれてきました。また、懐石料理も、元を辿れば、最後のお茶を美味しくいただくための程よい料理です。ですから、最近の、『過ぎた』食のあり様には疑問を感じて来ました。大盛りや大食いがブームで、食べきれないほど出して食べ残す、というのは命ある食材に対しての敬意がないですし、何より品がありません。新型コロナウイルスは私たちに、大切な教訓を投げかけて来ているような気がしています。

明石鯛のお造りは、英一さんの土佐醤油、義弘さん考案のトマト醤油と、二通りの味で楽しめる。京料理は始末の料理、頭はあら煮に、骨は鯛ラーメンの出汁に。

text 仲山今日子

本記事は雑誌料理王国2020年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 2020年10月号 発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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