食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

【コラム】羊と日本人#3 羊毛から食肉へ。ジンギスカンはどこから来たのか?


第一回:羊はどこから来たのか?
https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep1/
第二回:明治維新富国強兵と羊
https://cuisine-kingdom.com/colum-sheep2/

前回は、戦略物資としての羊毛のお話でした。料理王国の記事で羊肉切り口のはずなのですがずっと羊毛の話題でした。おまたせしました。ここから戦後に入り羊毛から羊肉へ・・・と変わっていく過程を平成までまとめているのですが、ここでも、輸入自由化など翻弄される日本の羊達が居ます。いつまでも羊は政治や国際情勢に思い切り左右されるのですが、この伝統は今でも続いています。その話はもうすこし先で。まずは、前回の続き緬羊百万頭計画のその後から3回目スタートです。

緬羊百万頭計画を伝える当時の新聞。助成金がやはり大きく取り上げています。
神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 羊毛(3-110)より。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/

戦後の日本を支えた羊。過去最大の飼育数を記録

軍備のための「緬羊百万頭計画」はうまくいかなかったものの、戦後の食料難と衣類不足により羊の国内飼育熱が高まり、状況は一変します。毛肉兼用種であるコリデール種を中心に頭数を増やし続け、1957年(昭和32年)に農林水産省調べで94万頭、実数では100万頭を超える数まで増えたといわれています。地域ごとの内訳は、北海道25万7千頭、東北29万4千頭、関東19万頭、北陸3万5千頭、 東海1万6千頭、 近畿1万5千頭、中四国8万頭、九州沖縄5万4千頭。飼養戸数が64万件との記録がありますから1戸あたり1.4頭となり、大規模飼育というよりは、日本全国いたるところで小さく飼育を行っていたのがわかります。主に、農家で飼われていた羊は毛を衣類に(羊毛を持っていくと毛糸と交換してくれる工場などがあったそうです。)、肉は食用とされていたようです。大正7年に始まった「緬羊百万頭計画」は戦後の日本を支えるという意外な形で達成されました。

輸入自由化と化学繊維の登場、激減する羊飼育頭数

しかし、その後日本の羊は急転直下減少します。100万頭を突破した2年後の1959年(昭和34年)に羊肉の輸入が自由化! 昭和37年には羊毛も輸入自由化となり、日本の羊飼育に大打撃を与えます。また、化学繊維などの発展などもあり日本での羊飼育は一気に減速しました。

昭和30年代後半は国民の肉の消費量の高まりとともに、羊は加工肉用にどんどん屠畜されていきました。このあたりで「羊=羊毛」から「羊=食肉」と傾向が変わってきたのではと考えています。世界的な流れも、化学繊維などの発展で羊毛需要はどんどん減っていき、羊毛から肉へとシフトが始まっています。「儲からない家畜」となってしまった羊の飼育数はどんどん減り、昭和51年には全国で1万190頭まで激減してしまっています。

この急激な減少は輸入自由化だけが理由ではなく、構造的な物も原因となっています。緬羊の飼育形態が小規模で産業適基盤が確立されておらず競争力がなかったこと。高度成長期に入り、農村部の人口が減少し副業的に行っていた飼育に人手が割けなくなってきたことなど、輸入自由化が原因!というよりは、ビジネスとして成立していなかった事がすべての原因ではなかろうかと思われます。儲かる業種でしたら、しっかりと今でも羊の飼育がビジネスとして残っているはずです。

その後、これらの流れを受けて日本での緬羊飼育は完全に「食肉」への流れに変わりました。畜種もサフォーク種が中心に変わりある程度増加に転じるも平成末で1万8千頭前後の頭数となっています。その後も大きな増減はなく1万8千頭前後で推移しています。この増減は令和に入ってもそこまで変わっておりません。

平成末以降にうまれた、新しい羊需要

最近の新しい流れとして注目すべきは、羊の飼育が地域振興や中山間部の新しい畜種として注目されはじめていることです。もともと牛など他の畜種を飼っていたけれど老齢化や過疎化で手が回らなくなり、設備と牧畜の経験はあるので比較的取り回しの楽な(羊は大体40kgぐらい)羊を飼うパターンが出てきました。見た目が愛らしく肉も国産は希少なので観光コンテンツになるのでは?と飼育に力を入れる市町村が増えてきています。

羊は、肉だけではなく破棄されている毛や皮そして見た目など、羊のすべてを商品やコンテンツにしようとする動きへと変わってきています。新たに羊を飼い始めようとする方たちも多く、国策からはじまった羊の飼育でしたが、いまでは地域や個人の想いからの飼育へと大きく変化してきています。また、頭数が多い牧場(日本としては)も増えてきており、

国や政治の意図から離れた羊はやっと自分たちの意思での飼育の時代に入ったと言えます。

●一寸脱線ジンギスカンはどこから来たのか??

この業界で必ず出てくる話題が「ジンギスカンって何?」です。

ジンギスカンは日本独自の羊料理で、北海道文化遺産にも登録されています。北海道文化遺産にも関わらず、海外の英雄の名前を冠し、多くは海外産の羊肉を使うにも関わらず(日本の羊肉の99%は輸入肉であるから)文化遺産というグローバルだけれども、良い意味でローカリゼーションされた珍しい料理ではないかと思います。日本人の食に対するおおらかさと大陸や草原への憧れが込められた素敵な名前ですよね。

このジンギスカンの歴史は、すごい研究されている方もいらっしゃるぐらい深い話題ですが、ざっくりと要約し、北京に4年住んでいた経験なども入れてまとめますと、その元は、北京の伝統的な羊肉の焼き肉「烤羊肉(カオヤンロウ)」だと考えられます。

平らな鍋(鉄板系の場合もあるし、隙間がある鉄板と網の中間のような鍋もある、日本のジンギスカン鍋のスリット付きとなしを連想してしまう)に醤油ベースで味付けした羊肉のスライスに玉ねぎやパクチーを入れた物を焼く料理で、日本の味付けジンギスカンを思わせます。こちら、北京ではモンゴル式と呼んだりするので、日本で「ジンギスカン」と呼ぶのも、間違いではありません。

中国大陸との行き来が多かった戦前に、餃子や拉麺(ラーメン)などの料理とともに、日本に入り込んだようです。北杜夫の小説楡家の人びとに昭和初期の描写として「中華料理屋でジンギスカン料理を食べた」と言う描写がありました(異様な臭気が鼻を突き・・・とか書かれていた)し、小説や文章で見かけることも多いので、「大陸の香りがする珍しい料理」との扱いでした。

一部、羊の串焼き(羊肉串)がジンギスカンのベースと書いている場合もありますが、北京に4年住んでいた私としては「烤羊肉」というと鉄板の上で味付きの羊スライスと野菜などを焼く料理という認識があり、こちらのほうがジンギスカンになったという方が自然かなと考えます。この「烤羊肉」の有名店は「烤肉季(カオロウジ)」。紫禁城の裏辺りに店舗があり、清朝の道光28年(1848年)の創業の老舗です。正陽楼という店も戦前の日本人の記録の中で見かけますがすでに無いとのこと(こちらは網焼きだったようです)。

これが「烤羊肉」 七輪にかけた鋳鉄の上で、タレに漬けこまれ野菜が混ざっている肉を焼く。鍋は平らですが、味付けジンギスカンを連想しませんか??

ジンギスカンという料理の日本での発祥は諸説が入り乱れており、東京高円寺に昭和11年にあった「成吉思荘(ジンギスそう)」である説と、札幌の横綱というおでん屋だったという説があったりとなかなか面白いです。もし、高円寺が発祥だったとしたら「ジンギスカンの発祥は杉並区」となってしまいます。これ以外に、岩手県遠野市や千葉県の三里塚などジンギスカンの発祥を名乗る地域は結構あります。ここでは何処が発祥!論は不毛なのでこのぐらいにしておきます。

また、この「ジンギスカン」という名前ですが、満州鉄道株式会社の調査部長であった駒井徳三という人であるという説。北京の邦人向け雑誌が発祥説など、こちらもいろいろな説があるそうです。しかし共通することは、すべてが大正期から始まっており、他の料理と比べるとやはり新しい料理であるという事がわかります。

ジンギスカンの発祥と、名前について簡単にまとめてみました。誰が名前をつけたか? どこで生まれたか? はっきりとした事はわかりませんが、手軽さとみんなで鍋を囲んでワイワイと食べるこの「ジンギスカン」という料理が今後も日本を代表する羊肉料理であることは間違いありません。

▲1955年(昭和30年)にローカル(名寄)新聞に掲載されたジンギスカン。
提供:東洋肉店

■次回は・・・・

次回は、緬羊百万頭計画のその後と、昭和30年代の輸入自由化についての予定です。いつの時代も、羊は政治や国際情勢の影響を受け続けている家畜でそれは令和の今でも変りません。次回の昭和から、平成、令和と、時代順にそのあたりも追っていきます。

■巻末付録 近代の羊肉の動き 年表

  • 1868 明治維新以降 明治政府は「綿羊飼養奨励」政策
  • 1894-95 日清戦争
  • 1904-05 日露戦
  • 1908 月寒種牧場に於いて綿羊の飼養を始める 政府「綿羊100万頭計画」:熊本・北条・友部・月寒・滝川の5ヶ所に種羊牧場開設
  • 1914-18 第一次大戦
  • 1922 政府が羊肉商に補助金交付
  • 1924 東京・福岡・熊本・札幌の4食肉商を「指定食肉商」に
  • 1929 世界恐慌勃発により計画中止
  • 1928~29 農林省が全国で羊肉料理講習会を開催
  • 1930 満州事変
  • 1936 日豪紛争*により豪州からの輸入停止 政府は満州での羊毛増産図る
  • 1939 羊毛供出割り当開始
  • 1941-45 第2次世界大戦
  • 1950 朝鮮戦争による羊毛需要の綿羊飼養熱低下
  • 1957 食肉加工品の原料として使用 需要は10万頭/年に増加
  • 1960 ジンギスカンとしての需要が始まる 国産羊肉生産量が過去最高の2,712トンを記録
  • 1962 羊毛の輸入自由化により 綿羊の飼養頭数は減少
  • 1977 この頃から使用目的が羊毛生産から羊肉生産に転化

提供:東洋肉店(URL:http://www.29notoyo.co.jp/

※参考資料など※

国立歴史民俗博物館研究部民族研究系の川村清志先生の公演時の小冊子、畜産技術協会のHP(http://jlta.lin.gr.jp/)また、魚柄仁之助さんの「刺し身とジンギスカン: 捏造と熱望の日本食」、MLA豪州食肉家畜生産者事業団(http://aussielamb.jp/)、ジンギスカン応援隊(http://hokkaido-jingisukan.com/)綿羊会館が以前に出し、担当者さんから頂いたた資料、Wikipediの羊の項目、探検コム(https://tanken.com/)さん、を参考にしています。その他、各輸入商社さんや大使館などが出しているパンフレット情報などが参考になっています。古典解釈は小笠原強(専修大学文学部助教)先生にご協力いただきました。また、東洋肉店(http://www.29notoyo.co.jp/)さん初め多くの方に内容を確認いただきました。その他、羊飼いさんから聞いた話、羊仲間たちからの知識、どっかで読んだ知識などがまとまっています。羊に関わる皆様の知識を素人まとめさせてもらいました。皆さまありがとうございました!


文:菊池 一弘

株式会社場創総合研究所代表取締役。羊好きの消費者団体羊齧協会主席。羊を常食とする地域で育ち、中国留学時にイスラム系民族の居住区に住んでいたことなどから、20代前半まで羊は世界の常識と思ってそだつ。本業は「人を集める事」企画から集客、交渉や紹介など。公的団体の仕事から、個人までできる事なら何でもやるスタンス。最近は四川フェスの運営団体麻辣連盟の幹事長も兼務。監修書籍に「東京ラムストーリー(実業之日本社)」「家庭で作るおいしい羊肉料理(講談社)」がある。

校正とイラスト 金城 勇樹


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