なぜ、料理人は【岩永歩】に惹かれるのか?


フランスを背負う

フランスで学んだことを通じてしか表現することはできない。しかし、どんな表現方法であっても、それは自分から生まれてくるものでしかない、と岩永さんは言う。
「フランスでの修業期間はわずか7カ月でした。技術的なことはもちろんですが、それよりも、そこで暮らさなければ感じられなかった文化や歴史、パン屋の役割や存在意義などを得られたことが大きかったと思います。ようやくフランスで、『自分の職業はブーランジェです』と答えられるようになった。そこで、フランスを伝えたいという思いが生まれたわけですが、どこかでフランスに依存していたようにも思います」

「ル シュクレクール」の厨房でパンを調理するスタッフさん。

フランスへの依存は、「自分らしさ」を見つけ出せずにいた自分にとっての〝隠れ蓑〟だった。一方で、日本で圧倒的に深くフランスを表現する料理人やパティシエの存在を前に、中途半端に自分らしさを表現することは、フランスに対する冒瀆なのではないか、と苦悩するようにもなる。「窒息しそうなほど」依存と冒瀆の間で葛藤する日々。そこから抜け出すことができたのが、2014年のアメリカ・サンフランシスコの「タルティーン・ベーカリー」での研修、「レフェルヴェソンス」の生江史伸さんからの誘いだった。「フランスで得た燃料。それを必死に燃やしていたけれど、それも燃やし尽くして、半ば諦めの時期。生江さんに仕組まれて(笑)行くことになったんです」

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