黒船来航を皮切りに長い鎖国の眠りから目覚めた日本には、文明開化の名のもとに、西洋各国の食文化が雪崩のようにどっと押し寄せた。といってもそれらはまだ、誰も口にしたことのない未知の味ばかり。
「天皇陛下が4つ足の肉料理を召し上がった」という事実が大ニュースになった時代、当時は作る方も食べる方も必死だったに違いない。
そんな西洋料理の黎明期に日本人が初めて出合ったイタリア料理は、“マカロニ”と呼ばれるパスタだった。これはその、“マカロニ”と人々のお話。
日本に伝わった初期イタリア料理の痕跡は、明治5(1872)年、資料や文献に“マカロニ”の文字で登場する。例えば、岩倉具視の前任の外務卿だった澤宣嘉が宮内庁に申請した、西洋料理店の開業願いを見ると「……スープを吸い物と訳し、マカロニーは素麺と訳すの類……」と出てくる。日本人に“マカロニー”をどう紹介すべきか考えた結果、素麺が近い、となったのだろう。でも、なぜ穴のあいていない素麺なのか。
答えは明快。この当時は、パスタ全般を “マカロニ”と呼んでいたのだ。ほかの訳を見ても、管通麺、管麺、管状そうめんなど穴あき系と、西洋そうめん、イタリアうどんといったスパゲッティーやヴァーミセリ系が混ざっている。“マカロニ”という言葉の意味合いは、今でいうパスタに近かったのかもしれない。
そもそも本国ではパスタはどう呼ばれていたのか。歴史学者・池上俊一の『パスタで辿るイタリア史』には、中世のイタリア南部では、長らく“マッケローニ”という言葉は、ロングもショートも、穴あきも穴なしも含めたパスタを意味していた、とある。北は軟質小麦で生パスタを作るのに対し、南部はデュラム(硬質)小麦で作る乾麺の文化圏。保存がきく乾麺は他国にも運ばれ、“マッケローニ”の名もあちこちに広まった。ドイツの作家ゲーテの『イタリア紀行』には、1787年5月の旅の記述に「……ナポリでは、マッケローニが安い値段でいたるところにある……」とあり、当時のドイツでも、マッケローニが知られていたことが読み取れる。旅行記に書くぐらいだから、ゲーテも好きだったのかもしれない。1861年、遂にイタリアは一つの国になるが、そのリーダーとなったガリヴァルディがナポリを解放した時も「諸君、マッケローニこそ、イタリアを統一するものになるであろう」と高らかに宣言した。言葉も、文化も、気候風土も個々に違う都市国家の集まりを結束させるには、皆が食べているマッケローニこそが国民のアイデンティティーになり得る、と考えたのだろう。
さらに、近代フランス料理の父・エスコフィエの1902年の著書『料理の手引き』の中にも“マカロニ”はある。ホテルメトロポリタンエドモントの統括名誉総料理長・中村勝宏さんに、お手持ちの原書をあたっていただいたところ、現在のマカロニグラタンの原型と思える「マカロニ・オー・グラタン」や、明治初期のレシピでよく見る、牛スープで煮る「マカロニ・オー・ジュ」、煮込み牛とチーズを加える「マカロニ・ア・ナポリテーヌ」など9つのレシピがあった。開国当時、日本が西欧に見下されてはならぬと必死になって習得しようとしたのは、王侯貴族の間で広まっていたフランス料理。明治初期にパスタ全般を“マカロニ”と呼んだきっかけは、もしやこのあたりにあるのかもしれない。
ところで、当初日本ではどんな食べ方をしていたのか。同じ明治5年、敬学堂主人が書いた『西洋料理指南』(左頁)には、筒状の穴あきパスタが描かれ説明がある。ざっと訳すと「竹管のように穴のあいた温飩(マカロニのこと)は機械で作っているが日本にはない、だからうどんを切って代用する」とあり、さらに食べ方は「牛肉、チーズと一緒に煮る」とある。あれ、これってエスコフィエのレシピにあったナポリテーヌに似てる気が……。もう一つ、同じ明治5年に書かれた仮名垣魯文の『西洋料理通』(左頁)には「マカロニスープ(索麺汁)」の紹介があり、こちらは「索麺1斤を四分にし長さ二寸程に切り、湯中に煮る事半時ボートル拇指の長さの大キサ程塩一撮み一同に煮調へる上、水汁を去、さうめんを其儘三等の白汁を沸騰その中へ入れて煮る事四時半程但シ六人前の食」とある。ボートルはバター、三等の白汁は牛や豚から取るスープ。こちらはあっさりしたスープ入りパスタ、パスタ・イン・ブロードのようだ。
文・料理/馬田草織 編集者・ポルトガル料理研究家。食文化の歴史を紐解く取材が得意。最新刊はポルトガルの現代食文化を訪ね歩いた『ムイトボン!ポルトガルを食べる旅』(産業編集センター)
参考文献
『小麦粉の食文化史』(岡田哲著・朝倉書店)、『長崎の西洋料理』(越中哲也著・第一法規)、『パスタでたどるイタリア史』(池上俊一著・岩波ジュニア文庫)、『ある明治の福祉像 ド・ロ神父の生涯』(片岡弥吉著・NHK ブックス)、『ド・ロ神父と出津の娘達』(岩崎京子著・女子パウロ会)、『本邦初の洋食屋 自由亭と草野丈吉』(永松実著・えぬ編集室)、『食道楽』(村井弦斎著・岩波文庫)
本記事は雑誌料理王国2020年8・9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年8・9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。