巨匠マルケージのDNAを受け継ぐ者③「彼の言葉すべてがヒントに」〜アンドレア・ベルトン〜


Andrea Berton(アンドレア・ベルトン)
彼の言葉すべてがヒントに

Profile
1970年生まれ。マルケージの下でキャリアをスタートさせ、各国の名店で働いた後、2013年ミラノに「リストランテ・ベルトン」をオープンしてミシュランの星を獲得。

Ristorante Berton 
(リストランテ・ベルトン)
Via Mike Bongiorno, 13, 20124 Milano
+39 02 6707 5801
https://www.ristoranteberton.com
営業時間:月·土 19:30 ~ 22:30
火~金 12:30 ~ 14:30 19:30 ~ 22:30
休:日

レストランの閉店後、連日連夜、師は何時間も、まるでレッスンのように熱く語った。旬の食材から始まり、芸術、そして文学まで

マルケージチルドレンたちが受け継いだもの
ダヴィデ・オルダーニはマルケージを 「勇敢なライオンのような第二の父」と称している。彼はマルケージに後押しされ、国外での経験を通じて伝統を見つめ直す大切さを学んだと語る。
オルダーニと同期でマルケージの厨房に入ったカルロ・クラッコは、20歳の時、ミラノのボンベジン通りに素晴らしい店があると噂を聞いて姉と食事に行った。当時すでに料理人を目指していた彼は、「魚介のスープ」と「オープンラヴィオロ」を食べて感動し、「給料はいらないから働かせくれ」と頼み込んで働くことになった。技術と伝統が基本であり、料理には偶然などないことを学んだ。

もっとも長くマルケージの元で働いたシェフのひとりアンドレア・ベルトンは、ミシュラン星返上騒動(編集部 注:1985年にイタリア料理界ではじめてミシュランの3ツ星を獲得。その後の2008年に返上した)の時もそばにいた。マルケージはミシュランの星を拒否したのではなく、フランス人がイタリア料理を評価する本を世界中に販売するのであれば、その評価システムも公表すべきだとメディアに語り、他国の料理には点数をつけるのではなくコメントだけを公表すべきだと発言した。ミシュランを恐れぬこの言葉は注目を浴び、フランスメディアからは多くの批判も受けた。

しかしベルトンの記憶にもっとも残っているエピソードは「アルベレータ」に勤めている頃、連夜何時間にも渡って共に熱く語ったこと。旬の食材から芸術、音楽そして文学まで、マルケージの造詣は深く広い。実際マルケージ以降シェフのイメージは大きく変わり、ひとつの専門職として見直され、多くの志望者も集めることになった。


トマトとナスのソース、パルミジャーノ・チップスのせフジッリ
シンプルな組合わせにベルトンらしい美しさが光る。トマトを練り込んだフジッリをアルデンテにゆで、E.V.オリーブ油をからめる。ナスで作ったソースを皿の中央に敷き、その上にフジッリをのせる。事前にホイルの上にパルミジャーノを細かく削り広げ、オーブンで8~10分間ほど焼いてパルミジャーノチップスを作っておく。ソテーしたチェリートマトとパルミジャーノチップスを飾る。

text 山田美知世(Michiyo Yamada)
ミラノ在住38年。ファッションや料理に関する情報を発信し続ける。 マルケージとの交流も深い。

本記事は雑誌料理王国2020年8・9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2020年8・9月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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