今年のミシュランガイド・フランス版の発表のセレモニーは、昨年に引き続き、地方で開催された。去年は蒸留酒で知られるフランス西部のコニャック市だったが、今年はフランス東部アルザス地方の中心都市ストラスブールが舞台に。アルザス欧州・地域圏議会挙げてのイベントとなった。議会長であるフレデリック・ビエリ氏が、昨年のコニャック市に続き、開催地として立候補し、他候補を退けることができたことの栄誉を語り、競争相手が他にもいたということをほのめかした。
ところで発表の3月6日に先立つ前週に、降格店があらかじめ伝えられていた。その内容には批判の声もあった。3つ星から2つ星に降格したのは、アルゴリズムにより世界の優秀店を選ぶ「ラ・リスト」で初年度の2016年から1位の座を守り続けてきた「ギー・サヴォワ」と、2019年に小林圭シェフが3つ星を獲得したのと同年である2019年に3つ星を獲得した「クリストファー・クッタンソー」の2軒。また2つ星から1つ星に降格したのは3店舗あったが、特にトゥルーズの名店で知られる「ミッシェル・サラン」の名が挙がったのには、驚きを隠せないとの声も集まっていた。
決して穏便とは言えない空気の中始まったイベントではあったが、アルザス議会による参加者への歓迎ぶりは華やかで、大成功だった。訪問者の数は、前日からアルザス入りした人数も含め、最終的に、フランスとヨーロッパからの星付きシェフは500人以上、ジャーナリストおよび報道関係者は計200人ほどにも上った。
前回会場となったコニャックの昨年の観光客は、前年比8〜12%の増加だったこともあり、アルザス地方もミシュランガイドの恩恵に与るため、地方の魅力を伝える機会として総力戦に挑んだともいえる。発表セレモニーの前日は、アルザス地方20市町村へグループに別けて案内。ワインやビール、惣菜、パン・パティスリー、チーズ、農産物、陶器など、アルザスならではの生産者を訪れるというツアーも用意した。
当方は、地方を一望できるボージュ山脈の標高755mという山頂に建つオー・クニクスブール城を訪問したあと、地元のレストランの料理やワイン、パンなどのテイスティング会に参加。生産者と親交を結び、アルザスの豊かさに触れたまたとない機会になった。
星付きシェフたちも集った日曜日のガラディナーは、蒸留酒ブランドとして歴史のある「プルー・マスネ」社のイベント会場にて開催。名物シュークルートを大皿で振る舞うという印象的なひとときに。
アルザス地方全域6か所で、このシュークルートを一般市民向けに振る舞うというイベントも同時開催。売り上げは、料理に携わる若者の育成支援の資金に計上された。
ミシュランガイド発表のセレモニーがアルザス地方で歓迎を受けたことは始終伝わってきた。そして翌日の朝10時。セレモニー会場となったストラスブールのミュージックホールで、緊張が高まる中、発表が始まったのである。
今回の発表でのサプライズは、エマニュエル・マクロン大統領からの挨拶がビデオで伝えられたことだ。「1000つ以上の星がこの場所に一挙に集まった、前代未聞のイベントではないでしょうか。味覚こそは、フランスのアール・ド・ヴィーヴルで、あなたたちはそれに関わる一員なのです」という言葉を皮切りに、若者たちに贈るエールや、持続可能な仕事の大切さ、女性の存在に光を当てるなど、料理界において問われている問題を明らかにし、フランスは積極的に配慮していることを強調した。また、ミシュランガイドのインターナショナル・ディレクターであるグウェンダル・プレネック氏も、「このガイドが出来上がったのは、社のインスペクターの仕事があってこそ」と何度も強調しており、レストラン業に関わるセクターとして、SDGsを重視した企業であることを発表する機会ともなっただろう。
こうした期待に満ちたセレモニーではあったが、新しい3つ星は1店、2つ星は4店にとどまり、観光都市であるパリには1店舗も持たされなかったことを残念がる当事者も少なくなかった。また新1つ星店は39軒にのぼったものの、3つ星、2つ星店も含めて、お膝元であるアルザス地方で新たな星に輝いたのは 1つ星3軒、グリーンスター1軒。そして最高ソムリエ賞に輝いたソムリエのみ。そのうちストラスブール市内の「De:ja/デジャ」は1つ星とグリーンスターを同時に獲得。大盤振る舞いではなかったミシュランガイドの決定に、不満を隠せない声も多かったようだ。
ところで、今年3つ星に輝いたのは大西洋岸ヴァンデ県ノワールムチエ島にある「ラ・マリーヌ」のアレクサンドル・クイヨン氏だ(「マリーヌ・エ・ベジェタル」に改名)。1999年に両親から店を引き継ぎ、2007年に1つ星、2013年には2つ星に。2020年にはグリーンスターも獲得している。2017年のゴー・エ・ミヨガイドでは、今年の最高料理人賞にも輝いており、世界中から美食家がやってくるようになった。子供の頃から順風満帆とはいえない人生を歩み、近年は再起が心配されるほどの重傷を手に負うなどの壁も乗り越えた末の今回の栄誉は、何ものにも代えがたいものであろう。また、1999年23歳のときに両親から引き継いだ店を始められたのも、ノワールムチエの調理師学校で出会った妻のセシルとの二人三脚があった。サービスを取り仕切る彼女の支えなしには、今はなかったとも振り返る。
ミシュランのインスペクター曰く、「余計なものは一切皿に盛ることはなく、テロワールの素材は季節感にこだわり、毎日のように魚市場へ足を運んでいる」と、クイヨン氏の姿勢を買う。特に感銘を与えた皿は「鯖の煮込みとビーツ、パセリのムース」、「そば粉のクロッカン、キャラメルムース、柑橘のコンフィ、海藻のソルベ」だそうで、現代料理のモミュメントだと称えている。クイヨン氏は、パリにも店を持つ「小十」の奥田透氏との親交を深くし、日本で活け締めを学び、新鮮な魚のなんたるかを学んでいることも強みとする。海藻出汁やカブなど、日本の技術や素材も取り入れるなど造詣が深く、現代フレンチの中に生きる日本の存在を誇りにも思う。これは、昨年やっと移転開業を果たし、再オープンにこぎつけた「アストランス」のパスカル・バルボー氏にも見て取れることだ。3つ星奪還も期待されるが、今年は1つ星を獲得できた。
後編は4/22公開予定:新たな2つ星4店の動向と、日本人シェフたちの躍進について紹介します。
text・photo:伊藤 文