パリを独立の地に選んだのはなぜかーー? フランスの失業率は10%前後と高止まり。不況は長引いているし、社会保障費も給料の49%。就労ビザの取得も、どの国より厳しいのに……。パリに店を開いた日本人シェフの独立開業の物語。
セーヌ南岸、ソルボンヌ大学のあるパリ・5区に「レストランAT」は、2014年4月にオープンした。店内は、ラバーとメタルでできたテーブルに、無機質な椅子、黒を基調にしたオブジェが配され、まるで芸術家のアトリエのようだ。
オーナーシェフの田中淳さんは、28歳で渡欧。パリ、スペイン・デニア、ベルギーで研鑽を積んだ。コペンハーゲン、ストックホルム、オスロなどにも、研修で何度も訪れた。「パリなのに、パリらしくない」と評判のレストランATの皿は、田中さんの料理人人生を映し出す鏡のようだった。フランス料理を源流にしながら、スペイン、北欧や和のテイストも。シェフの記憶と体験が皿の中で美しく躍動している。
「多くの国で仕事をし、自分のアイデンティティは何なのかを、考え続けてきた証しかもしれませんね」
好きなファッションブランドは「キャロルクリスチャンポエル」。音楽なら、シカゴ・ハウスの先駆者ラリー・ハード。ベルギーのアーティストのアルネ・ケーンズから大いに刺激を受けるーー。田中さんとの会話には、さまざまな話題が入り込む。「たとえばモダンアートの展覧会で〝白紙の絵〟を見て、『なんだこれは』と面白がる人と、そうでない人がいます。面白がる人にとってその絵は、存在価値があるんです。
レストランではスペインの店「ムガリッツ」が好きで、「面白い、すごく楽しい」と感じるという。レストランの価値基準がもっと広くあってほしいと考える田中さんの、挑戦の舞台がATなのだ。音楽もファッションもアートもミックスして、レストランの作り方を変えていきたい。「料理だけでは面白くないから」
田中さんは、自分の挑戦を世界に発信するためには、「パリの発信力とブランド力が必要だった」と言う。世界中から人が集まるパリで成功すれば、その先が開ける。田中さんの「その先」とは、ニューヨーク。ATのオープンはその第一歩なのだ。
パリで独立するために最も必要なことは、「面倒臭いことに耐える力」と田中さん。ATを開店する準備には1年半かかった。その間、日本とパリを行き来しながら、経営の勉強をし、銀行で借金し、融資もとりつけた。店舗物件を手に入れたオープン2カ月前に、まだ就労ビザが降りず、不安に苛まれた。工事も遅れ、地下の事務所は未完成だった。綱渡りの日々を田中さんは、「あきらめずにやること。僕は能天気なくらいポジティブです」と、笑い飛ばす。
ATは、昼夜ともおまかせコース(デギュスタシオン)1本だ。「表現したいことが伝わりやすい」と、今パリで人気のmenu uniqueスタイルである。これだと食材や人件費などのロスも抑えられ、ビジネスとしてもいい方法だと田中さんは考える。「夜は座席数を超える予約をいただきますが、昼の入りに波がある」と田中さん。35ユーロのクイックランチを導入するなど、2年目を迎えたATの挑戦は始まったばかりだ。
「面白いもの、存在価値があるものが好きですが、それだけで良いとは思いません」と田中さん。フランス料理を根本にしながらおいしさ、テイストのバランスを考えたいという。
レストランA.T
Restaurant A.T
4, Rue du Cardinal Lemoine, 75005 Paris
+33 (0)1 56 81 94 08
● 12:15~14:00、20:00~21:30
● 日休
● 20席
www.atsushitanaka.com
1€=138.75円(2015年6月24日現在)
江六前一郎=取材、文 村川荘兵衛=撮影
本記事は雑誌料理王国第239号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第239号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。