追悼、ピエール・トロワグロ ”Visionnaire(未来を見る人)”シェフ・ピエールがフランス料理と日本に残したもの。


フランス料理界の巨星、墜つ―。 フランス「メゾン・トロワグロ」の二代目オーナーであり、フランス料理の進化に誰もが認める足跡を残したピエール・トロワグロ。息子のミッシェル・トロワグロと、トロワグロの薫陶を受けた銀座「ESqUISSE」のエグゼクティブシェフ、リオネル・ベカの二人から話を聞き、その功績や日本との関係性を振り返る。

2020年9月23日、ポール・ボキューズやアラン・シャペルらと共にヌーベル・キュイジーヌの旗印のもとフランス料理を革新させ、キュイジーヌ・モデルヌ(現代フランス料理)の基礎を築いた20世紀を象徴する偉大な料理人ピエール・トロワグロが、 92年の人生に幕を下ろした。

「トロワグロ」が長く店を構えてきたロアンヌ市のサンテティエンヌ教会で執り行なわれた追悼ミサでは、ミッシェル・ゲラール、オリビエ・ロランジェ、ギー・サヴォアが弔辞を述べ、ミッシェル・ブラス、ピエール・ガニェール、アラン・パッサール、ナディア・サンティーニ、ファン=マリー・アルザック、フレディ・ジラルデ、ジョルジュ・ブランなど錚々たるシェフやボキューズファミリーがお別れに参列した。

ミサの様子は教会前の広場でスクリーンに映し出され、ピエール・トロワグロを愛してやまない多くのロアンヌ市民に加えて、かつてトロワグロで働いた料理人100人以上が世代を超えて集まっていた。「トロワグロ」三代目オーナーで息子のミッシェル・トロワグロは改めて驚いた。「ピエールは半世紀もの間、料理人を育てて来たのだ」と。

ピエール・トロワグロの料理人人生を振り返ることは現代フランス料理の歴史をたどることでもあり、そこには今の時代にも通じる「料理人のあるべき姿」が見えるかもしれない。今回、その軌跡を紐解くにあたり、重要な人物二人を取材した。ひとりは前述のミッシェル・トロワグロ。父と叔父が1968年に獲得したミシュラン三つ星を受け継ぎ、今も獲得し続けている。もうひとりは東京・銀座「ESqUISSE」のエグゼクティブシェフ、リオネル・ベカ。2002年から2006年、ロアンヌの「メゾン・トロワグロ」のキッチンで、ほぼ毎朝、摘み取った野菜を届けに来るピエールと会っていたという。

「父はクリエイターであり、優れた指導者であり、そして旅人だった」

ミッシェル・トロワグロ

現代フランス料理の胎動

「ʼ60 ~ʼ80年代、ヌーヴェル・キュイジーヌという動きにおいて父は中心的な人物でした」と振り返るのはミッシェル・トロワグロだ。「叔父のジャンとともに大胆さと勇気をもってフランス料理に必要不可欠である“進化”に貢献しました。彼らはエスコフィエ、カーレムという偉大なフランス料理の巨匠たちが築いた特別な遺産があるにもかかわらず、フランス料理から表面的な飾りを取り除き、軽やかに刷新。それまで縛られてきた常識から開放したのです」。

リオネル・ベカも、「古典的なフランス料理のソースから小麦粉を除くことでとろみから開放し、ソースの代わりに “ジュ・ミヌット”( jus minute ) “ジュ・クール”( jus court )を多用したのもトロワグロ兄弟です」と、その革新性を称えている。

今ではすっかり浸透している“ア・ラ・ミヌット”の手法、つまり料理の即興性は、ピエールが修業した「ピラミッド」で巨匠フェルナン・ポワンから受け継いだものかもしれない。しかし、持って生まれたピエールの直感的な創造性は、実は、偉大なレストラン経営者でメートル・ドテルだった父ジャン=バティスト・トロワグロの影響によるところが大きい。

ヌーヴェル・キュイジーヌと日本との出合い

1966年、ピエールは初めて日本の地へ。銀座にオープンするマキシム・ド・パリ 東京のオープニングシェフに抜擢されたのだ。「責任は重大でしたが、日本での滞在は父にとって格別にすばらしい経験となりました。料理における洗練、サービスにおけるおもてなし、伝統に対するリスペクト、日本で学んだこれらの価値は父の中に深く刻まれ、それをきっかけに、父がロアンヌに戻ると、トロワグロの料理に大変革が起こったのです。飛躍的にシンプルになり、すべてがより精密に、より美しく進化しました」。ピエールが東京とロアンヌを行き来していた時期のことをミッシェルはよく覚えている。「日本への旅は成長と創作の源になっていたようです。魚を生で食すことや、魚の薄切り、漬物など発酵の手法、フワッと柔らかいものからカリッとしたものまで、その食感のコントラスト、梅干しのような鋭い酸味、これら日本的な要素が当時のトロワグロの料理に現れていました」。こうして進化を遂げたトロワグロは、1968年2月、ピエールが幾度目かの日本の旅からロアンヌに戻った朝、ミシュランガイドの三つ星を獲得した。「当時のフランス料理は和食に学ぶべきことが多かった」とリオネル・ベカもいう。「一人前ずつ皿に盛られた料理、無駄を排した控えめな盛り付け、器に込められたメッセージ、季節感と詩的な記号…。シェフ・ピエールには大きな衝撃だったに違いありません。そのころフランス料理は、レストランのスターがメートル・ドテルからシェフに代わる歴史的転換点の真っただ中にありました。「メゾン・トロワグロ」はその魁となったレストランであり、70年代のヌーヴェル・キュイジーヌ、素材が前に出て、素材が語りかける料理の台頭は日本との出合いなくして生まれなかったでしょう」。たとえば、トロワグロでガルニチュールとして多用されるシャキシャキとした食感の野菜のマリネ“レギューム・クロカン”(légumes croquants)も、ピエールがその後に長らく通うこととなる、日本の漬物からインスピレーションを得たものだという。

Troisgros

「料理が喜びにあふれるには、料理人自身が喜びにあふれてなくてはならない」

ピエール・トロワグロ

料理人に光をあてる開かれたキッチン

ピエール・トロワグロの革新性は、料理に限った話ではない。「生涯を通して私の父は未来を予見する人であり、クリエイターでした」とミッシェルが語り出したのは、ピエールが1976年に完成させた200㎡のキッチンのこと。「メゾン・トロワグロ」を訪れたことがある人ならば、庭に面した窓から燦々と陽の光が差し込む広々とした美しいキッチンに圧倒されただろう。「ここまで明るく、心地よく、効率的なキッチンはこれ以前には存在しませんでした。特に父の修業時代にはキッチンはまだ地下にあり、料理人の姿がゲストに見られることもなかったことを考えれば、ロアンヌのキッチンは革新的。以後、多くのシェフたちがこの流れに乗ってキッチンを改装したのです。40年後の2017年にウーシュ(ロアンヌ市郊外)に移転し、新たに造った『トロワグロ』のキッチンはその進化系です」。ミッシェルは父の遺産を新たな形で受け継ぎ、長男のセザールとともにそこに立っている。

リオネル・ベカもまた、ロアンヌのキッチンには深い思い入れがある。「あの開放的な空間で四季のうつろいを感じながら、日々気持ちよく料理と向き合えたことは幸運でした。そして僕の大切な心象風景にもなっています。このキッチンを設計した時点で、すでにシェフ・ピエールは30年、40年先のフランス料理の未来を見ていたのです。美しいだけでなく、人間工学に基づいた機能的な設計と、動線を考えた器具の配置。さらに、彼は何よりも料理人が健康で安全に、気持ちよく仕事ができることを考えていたと思います」。振り返ってみればピエールが手がける料理には「喜び」(joie)があふれていた。それを支えていた要因のひとつは、間違いなく料理人本位のキッチンだといえるだろう。リオネルは続ける。「料理が喜びにあふれるには料理人自身が喜びにあふれてなくてはならない、それがピエールの考えでした」。

Troisgros

「“人生は笑劇” シェフ・ピエールのまわりは いつも笑いで満ちていた」

リオネル・ベカ

料理に受け継がれるレガシー

ピエール・トロワグロからトロワグロの料理が引き継いだもの、「それは料理における酸味の存在です」とミッシェルは答える。「酸味は私たちトロワグロファミリーの血に流れています。私は子供のころからレモンやヴィネガーなど、いつもどこかに酸味のアクセントがある料理を日々与えられて育ちました。私の息子たち、セザールとレオに酸味のある料理が引き継がれたのも自然な流れなのです」。

10年ほど前、あまりにも有名なトロワグロの料理「サーモン・オゼイユ」のソース誕生の背景について、ピエール本人に尋ねたことがある。「ある日自宅の庭を見たら、妻が植えたオゼイユが増えすぎて大変なことになっていたんだ」ピエールはいたずらっ子のように目をくりくりさせながら答えた。酸っぱいハーブが庭に植わっていることからして確信犯である。ちょうど白ワインソースをもっと軽く、食べやすいものにしたいと思っていたところ、身近にあり余るほどのオゼイユがあったというわけだ。

リオネル・ベカも振り返る。「急逝したジャン・トロワグロがロックスターのように伝説化されて語られがちですが、シェフ・ピエールの味覚が今現在のトロワグロの料理の基礎になっていると僕は確信しています。フレッシュで酸味のアクセントが効いた立体的な味と即興性、つまり“ひらめき”を大切にしたトロワグロの料理の基礎を築いたのはシェフ・ピエールなのです」。

ピエール・トロワグロが静かに息を引き取ったのは自宅のキッチンだった。

ミッシェルは明かす。「父は料理することを生涯楽しみました。その最後の日まで、サーモン・オゼイユをさらに改良したいと願っていたのです」。

今も色褪せることのない不朽の名作「サーモン・オゼイユ」、シンプルに素材の性質を提示する料理。

取材・文/勅使河原加奈子
東京生まれ。Food design & Event planning CREMA 代表。食イベントのプロデュースやPR、生産者とレストランを繋ぐコーディネートの他、料理に特化したフランス語通訳・翻訳を行なう。翻訳本「ジョエル・ロブションのすべて」。トロワグロファミリーとの付き合いは2005年から。



本記事は雑誌料理王国2021年2月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2021年2月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする