食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

トップシェフが語る【牛肉の履歴書】ミッシェル・トロワグロさん


自分の名を冠する店を任せて10年 ボーダレスの味わいを求めて

ミッシェル・トロワグロさん キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ

穏やかな風が流れている。それは何も、自然光あふれる、ゆったりとした空間のせいばかりではないだろう。ラグジュアリーとリラックスが融け合う居心地のよさ、温かできめ細かなサービス。隅々まで行き届いたホスピタリティが、思い思いに料理を楽しむゲストたちの表情を豊かに彩っている。

今秋10周年を迎えた「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」はフランスで45年以上にわたってミシュラン三ツ星を保持する名店「メゾン・トロワグロ」三代目オーナーシェフ、ミッシェル・トロワグロさんがフランス国外で監修する唯一のレストランである。「メゾン・トロワグロ」の歴史と伝統を守りながらも革新を続け、フランス料理に新境地を開いているミッシェルさん。父、ピエールさんの時代から縁が深かったという東京で、グローバルな味の冒険を繰り広げ、軽やかに時を紡いできた。

「10年といえば、なかなかに長い時間です。オープン時にはフランスのスタイルをそのまま表現することに重きを置いていましたが、お客さまと接する日々のなかで、日本人の嗜好、喜ばれる味や演出などを少しずつ学び、今日まで進化を重ねてきたのです」柔和な笑みを湛えながら語る姿は、どこまでも自然体。自由、モダン、エモーショナルといった言葉で形容されるミッシェルさんの料理は、境界線のない想像力、旺盛な好奇心、飽くなき探究心に導かれて生まれ来るのだと納得させられる。

和牛もも肉 ソース・ディアーブル
2013 Guillaume Bracaval

日本とフランスでは牛肉における方向性が真逆

四季折々の素材の持ち味を最大限に活かし、ほかの誰にも似ていない、ひと目で“ミッシェル・トロワグロとわかる料理”で世界の人々を魅了し続ける。そんなミッシェルさんにとって、牛肉は「最高にノーブルな素材」という位置づけだ。

「フランス人も大の牛肉好きですが、日本のお客さまはそれ以上という印象です」。ゆえに「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」では、ア・ラ・カルトに必ず牛肉料理を用意しているという。

「ただし、工夫が必要なのです。なぜなら、フランスと日本では牛肉の方向性が真逆だから。フランスの牛肉は赤身であり、その力強い旨味や噛み応えのある食感を踏まえて、さまざまな料理が展開されてきた歴史があります。でも、日本で高級とされ、人気が高いのは、マーブル状に脂肪が入ったやわらかな牛肉ですよね」

そもそも飼育法がまったく異なる。フランスの肉牛といえば、シャロレーをはじめ、リムーザン、ブロンドダキテーヌなどが有名だが、いずれも広大な牧草地に放牧され、野草を食べて育つ。必然的に、でき上がるのは筋肉質で脂身が少ない赤身肉だ。一方、日本の肉牛は、牛舎で厳密に管理されながら飼育されるケースが大半。上質なサシを入れ、よりやわらかく、繊細な味質にするため、成長過程によって与えるエサの量や内容も変えていく。

「キュイジーヌ[s]ミッシェル・トロワグロ」では、日本で手に入らない特別な食材以外は国産の素材を調達しており、牛肉についても同様だ。よって正反対の牛肉文化に対峙すべく創意工夫には余念がない。「たとえばスペシャリテのひとつ『ラ・ソース・オ・フルーリー・ア・ラ・モワル』は、牛フィレにボジョレーのフルーリーを煮詰めたソースを合わせ、モワル(骨髄)を添えた一品ですが、日本でこの料理を作る際は、ソースに入れるバターの量を減らし、モワルの代わりにエシャロットのコンフィを添えます」和牛の脂分を考慮した調整はマスト。また赤身の硬さとは好相性のモワルだが、舌の上でとろけるような和牛には、みずみずしい食感のエシャロットがマッチするというわけだ。

宮崎から 尾崎牛のポトフ 二通りの楽しみ方:ラビオリ仕立て フォワグラとトリュフ 様々な野菜とコンディモンを添えて
2008 Lionel Beccat

和牛の味質を活かすための創意工夫

では、国産の牛肉だからこそ成立する料理もあるのでは?という質問には、エグゼクティブシェフのギヨームさんが答えてくれた。

「『飛騨牛のコンソメスープがけ』は、老若男女を問わず多くのお客さまに好評をいただいているひと皿です」和牛の中では比較的脂が少なめの飛騨牛は、曰く「フランス料理と相性がよく、頼りにしている食材」であるとか。それをローストして薄切りにし、季節の野菜とともに盛り付け、さっぱりとした風味のコンソメスープをかける。和食の料理人たちが脂を落としながら牛肉を調理しているのを見て、着想を得たメインディッシュだそうである。

「和牛の特長である繊細な旨味を引き出すためには、脂の存在感をいかにコントロールするかが極めて重要なのです。フレンチでは、厚切りの牛肉をバターでアロゼして脂分を染み込ませながら焼きますが、霜降り和牛でそんなことをしたら、どうなるかおわかりでしょう?」と笑う。そして「火入れはもちろん、ソースの風味や食材の組み合わせ方、ハーブやスパイス使いなど、開拓の余地はまだまだあります。フレンチにおける和牛の可能性を広げていきたいですね」と続けた。

季節や環境、手に入る素材、求められる味。その時々のさまざまな条件に真摯に向き合いながら、最高の味を追求する。それはプロの料理人として当然のことなのだとミッシェルさんは力説する。ゆえに、代々受け継がれてきたスペシャリテであっても、歴史的シグニチャーディッシュであっても、アレンジを加えることに躊躇はない。「レシピは石に刻み込まれたものではありません。いつだって自由に変えられるのです。いやむしろ、その時々で変わっていくのが自然ではないでしょうか」

また、強く意識するのは“時代”である。決して止めることのできない時代の変化は、食や料理の根本に多大な影響をもたらす。その潮流に乗らずして進化はない。そして、進化が止まれば取り残され、やがては忘れられてしまう可能性だってあるのだ。正統的なフレンチの歴史、伯父と父が確立したトロワグロスタイル、自らが切り拓いてきたモダンで斬新な料理。すべてが等しく大切であり、守り継いでいきたいからこその革新。その思いは、ミッシェルさんの料理哲学「フランス料理の概念はひとつではない」にも通じている。

去る9月15日~17日には、10周年を記念してのアニバーサリーフェアを開催。初代エグゼクティブシェフのリオネル・ベカさんやフランスの「メゾン・トロワグロ」でシェフパティシエも務めた後藤裕一さんをはじめトロワグロファミリーたちが一堂に集ったスペシャルフェアは大好評を博し、幸福な笑顔に包まれた3日間となった。「この10年には数えきれない出会いがあり、多くの人々に学び、関係性を深めることによって、今に至ることができました。日本の食材を知ることは大変興味深く、日々の出合い、発見の積み重ねが私たちの提供するフランス料理をよりいっそう豊かにしてくれたと思っています」

10年という節目を過ぎ、また新たな未来に向けての一歩を踏み出したばかり。世界を、次の時代を見据えながら、挑戦は続いていく。

牛フィレ肉 オレンジと緑胡椒 フォレ風グラタン
2016 Guillaume Bracaval

Michel Troisgros
1958年、フランス・ロアンヌ生まれ。ローザンヌ、パリ、ブリュッセル、ロンドン、ニューヨークなどの一流レストランで腕を磨き、 1996年「メゾン・トロワグロ」三代目オーナーシェフに就任。伯父と父が確立したスタイルを引き継ぎながら、新しい「トロワグロ」を創り上げる。2003年に「ゴー・ミヨ」誌の年間最優秀シェフ賞を、2004年にフランスの最高栄誉章「レジオン・ドヌール勲章」を受章。

乾麻理子=取材、文 宇都木章・小寺恵=撮影 

本記事は雑誌料理王国268号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は268号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする