店舗が多ければスタッフも多い。そんななかで、多忙なオーナーシェフとしてスタッフのために大切にしていることは何か?
南青山にあるフレンチレストラン「ラ・ロシェル」。チャペルに併設され、週末には披露宴も行われる大型店だ。スタッフの数も当然、多い。これだけ人数がいると、コミュニケーションもスタッフの管理も、難しくなってくるのが常だろう。
この南青山店をはじめ、すべての「ラ・ロシェル」のオーナーシェフを務め、大所帯を束ねる坂井宏行さんが大切にしているのは、スタッフの「余裕」なのだという。
「僕が思っている基本は、楽しく仕事をすること。義務で仕事をするなら辞めたほうがいい。楽しく仕事をするために必要なのが余裕です。休みはしっかり休んで、プライベートの時間を守ってほしい。まず健康であること、そして自分や家族をケアすること。そこをないがしろにすると、職場は辛くなるし、いい仕事ができなくなってしまうんです」
飲食店は、休日が少なく労働時間も長い状況が定着していた。しかし「ラ・ロシェル」は、完全週休2日、1日8時間労働だ。
「それを守るのはもちろん大変です。だからその分、現場は売上をよくして、食材を大切にし無駄を出さないようにがんばる。働いた分だけきちんと会社がサポートする代わりに、何をがんばってもらうのかは、しつこいぐらい言いますよ」
昔から続いていた長時間労働、休日の少ない状況を変えるのは、難しくなかったのだろうか。
「僕たちが若い頃は丁稚奉公。住み込みで朝から晩まで働く時代でした。でも、時代が違うのに、僕たちの昔の話をスタッフに押しつけても意味がない。それより、自分が若かった頃の立場で考えると、少しでも余裕を持ってほしいんです。余裕がないなかで働いていても、いい考えは浮かばない。それを避けるためには、トップがきちんとスタッフを管理していかなければと思っています」
その多忙さゆえ、店にいる時間が少なくなってしまう坂井さんだが、スタッフとのやりとりは、実にスムーズで和やかだ。それは、スタッフとの意見の交わし方に秘訣がある。「スタッフから出た意見に、頭ごなしに『ノー』を言うことは絶対しません。自分の希望がかなわないというのは、一番モチベーションが下がると思うんですよ。それに、何でも『ノー』と言うと、みんなから意見が何も出てこなくなります」
そうはいってもこの大所帯、充分にコミュニケーションをとるのは、相当な苦労ではないだろうか。
「僕は、壁をつくるのが嫌なんです。やっぱり『チーム・ロシェル』だから。いろいろなコミュニケーションの場をつくって、お互いの立場を尊重して話を聞くようにして、そうやっていくと壁はなくなります。うちはキッチンとサービスも仲がいい」
また、長く働いてもらうために重要なのは、現場のスタッフはもちろん、意外にも「家族」なのだという。「うちは内定が決まったら『親子面談』をします。親御さんたちに、お店やスタッフを見てもらって、僕と話をして食事もしてもらう。そうすると、何かあった時でも、知らない店だと何のアドバイスもしないまま『帰ってきなさい』と言うところを、店を知っているから『もうちょっとがんばったら』と、背中を押してもらえるんです。これで、ずいぶんスタッフの定着率が上がりました」
しかし、恵まれた環境でも去るスタッフはいる。それはやはり避けられないことだ。
「辞めてしまったスタッフのことを考えると、先輩スタッフがその子の力量を把握できなくて、過剰な指導をしてプレッシャーになったことが多かったんだと思います。人間は必ずよいところを持っているから、1個でもそこをたくさん褒める。それが大事だと思っています」
店は基本、週に1日定休日があるが、スタッフは週休2日。1日の労働時間は8時間で、労働が8時間を超えればもちろん残業代がつく。ただで長く働く、という意識をスタッフが持たないようにしているのだという。休みはきちんと休めて、働いた分だけ給料が出る。そうすれば、家族や自分のケアもできる。
坂井さんは各店舗に行くと、来た時と帰る時に、必ずスタッフ全員と握手をするという。坂井さんが来られない時には、シェフや支配人が代わりにスタッフと握手をする。ひとりひとりと握手をすると、顔色のよしあしや元気のあるなしがダイレクトに分かるので、スタッフのコンディションチェックにも一役買っている。
キッチンのフロアには、人工芝のようなマットが敷かれている。レストランでキッチンのフロアは、水を流して洗えるタイルがほとんどだが、このマットを敷いておけば、定期的にクリーニングに出すだけでいいので掃除が楽になり、足腰への負担も少ない。滑りにくく、皿などを落としても割れにくいという。
店の営業以外でも多忙な坂井さんは、ひとつの店舗になかなか長くとどまれない。そこで活躍するのがEメールだ。各店舗の支配人やシェフなどから、翌週の課題や予約状況の報告がメールで届く。また、坂井さんのスケジュールも各店舗で共有。忙しいなかで時間を見つけては、メールや電話をしているという。
なんでも「ノー(NO)」と言われる状況では、上がってくるはずの意見も上がってこなくなる。たとえばシェフから、新メニューを考えるために経費がほしいと言われたら、精査して検討するのだという。そういったスタッフの要望をかなえることは、スタッフにモチベーションを保ってもらうための方法でもある。
キッチンのフロアにマットが敷かれていたのは、この店が初めてでした。滑らないし疲れにくいし、お皿を落としても割れにくいので助かります。今はシェフになるため日々努力をしているのですが、メニューを組む時には意見もいろいろと入れられる。そういう意見が言えるのは、とてもいい環境だと思います。
(渡辺誠治さん/調理場/勤続 14 年目)
スタッフのみなさんがしっかりコミュニケーションをとりながら働いていて、その雰囲気にひかれて入社しました。握手の習慣は、あいさつ以上にその日の状態がわかる。ほかにも普段からコミュニケーションをとっているのでみんな仲がよく、忙しい日でも、目が合えばなんとなく意思疎通ができています。
(緑川 峻さん/サービス/勤続 3 年目)
フロントという仕事は、立場的にいろいろなことを報告するのが重要になるのですが、メールや電話を利用して、この大人数でもコミュニケーションはすごくとれています。あいさつのひとつとして、一日の始まりに坂井シェフに「元気か!」と握手してもらうと、シュンとしていてもテンションが上がりますね。
(吉村直子さん/フロント/勤続15年目)
Hiroyuki Sakai
1942年、鹿児島県生まれ。17歳で料理の世界に入り、数々の名店で修業を積んだのち38歳で独立。南青山に「ラ・ロシェル」をオープンさせる。 1990年代に放映された「料理の鉄人」では、フレンチの鉄人として活躍。以後も、全国各地の「ラ・ロシェル」オーナーシェフとしてはもちろん、テレビやイベントなど多方面で活躍し、著書も多数出版。2005年、フランス共和国より農事功労章「シュヴァリエ」を受勲した。
澤由香=取材、文 宇都木章=撮影
本記事は雑誌料理王国276号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は276号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。