食の未来が見えるウェブマガジン「料理王国」

名匠のスペシャリテ「ラ・ロシェル」坂井 宏行さん


時代を超えて愛され続ける名匠のスペシャリテがある。
「フレンチの鉄人」として名を馳せた「ラ・ロシェル」のオーナー
坂井宏行ムッシュと、「ラングスティーヌのクルージェット包みコキアージュソースで…」。

料理はファッション。目で楽しみ、舌に至福を

 クルージェット(ズッキーニ)の緑と白を生かしてリボンを作り、それで市松模様を編みこむようにしてラングスティーヌを包み込む――。

 僕の代名詞ともいえるこの料理には、手先の器用さが求められます。この点は、和裁が得意だった母ゆずり。もし料理人になってなかったら、釘を一本も使わずに建物を完成させる宮大工になっていたかも……。

 このひと皿には、僕の人生の師匠に対する深い想いが込められているんです。その人の名は金谷鮮治氏。「日光金谷ホテル」の創始者の孫で、60歳を過ぎた金谷氏が29歳の僕に、日本人の感覚にあう懐石料理をイメージした新しいフランス料理の店を作りたい、自分と一緒に考えてくれ、とおっしゃった。正直言って、技術的にも年齢的にも僕には自信がなかった。ともあれ、金谷氏の勧めで大阪の『味吉兆』で懐石料理の勉強を始めた。当時のフランス料理といえば、バターやクリームを使った重たいソース。日本人はこれに馴染めないので、フランス料理が普及しない、と考えた金谷氏は、僕に茶懐石の勉強をさせ、日本人の目と舌と胃袋を満足させるフランス料理を考えさせたのです。

 金谷氏は僕をフランスへ連れて行き、料理も陶器も絵画も、すべて本物に触れさせた。

 こうして1971年、「西洋膳所ジョン・カナヤ麻布」がオープンしました。この頃に創作したのが『ラングスティーヌのクルージェット包み コキアージュソースで…』です。店が順風満帆の頃、金谷氏は社長職を息子さんに譲りました。ある時、息子の輝雄さんがそっと打ち明けてくれました。父は6年前から肝臓を患っていて、良い状態ではなかったと。自分の最後の夢を「ジョン・カナヤ」にかけて、未熟な僕を育て、僕にすべてを託す覚悟をしていたと。金谷氏の懐の深さと事業家としての情熱に打たれました。

 そしてまた、この料理は、僕の最大の窮地を救ってくれました。オーナーシェフとして独立したのは、80年、38歳のときでした。その南青山の小さな店「ラ・ロシェル」は、89年に渋谷に移転。230坪、席数80の〝大きな城〞になりました。ところが3年後の12月。クリスマスだというのにお客さまは一組も入らない。バブル崩壊でした。億の借金とスタッフを抱え、どうすればいいのか。根っから明るい性格の僕ですが、あのときはまいりましたね。

 閃いたのが、当時、ショーケン(萩原健一)といしだあゆみが、僕の知人のフレンチ・レストランで結婚式を挙げたこと。その知人に頭を下げ、レストラン・ブライダルのノウハウを教えてもらいました。設備ではホテルなど既存の結婚式場には勝てないけれど、僕には絶対負けないものがある。それは料理だ。そう確信して、「ラ・ロシェル」でブライダル事業をスタートさせました。渋谷駅前で宣伝のビラ配りもしましたよ。

 今なお、ブライダルでは、厨房で〝リボン包み〞を600本作ります。現在、「ラ・ロシェル」はここ山王と、南青山、福岡の3店舗。スタッフは130人。71歳の僕は金谷氏を偲びつつ、「坂井のスペシャリテ」を大切にしています。

リボンのように薄くスライスし、さっと塩茹したクルージェット(ズッキーニ)で網目状に交互に編みこんでいく。ムッシュならではの繊細な技だ。

坂井宏行 Hiroyuki SAKAI
1942年、鹿児島県に生まれ。17歳でフランス料理の修業を始め、19歳で単身オーストラリアへ。帰国後、銀座「四季」など有名店で修業。80年、38歳で「ラ・ロシェル」をオープン。以来、日本のフランス料理の第一人者として活躍し続け、フランス共和国より農事功労章「シュヴァリエ」受勲。「現代の名工」受賞。「料理の鉄人」の「フレンチの鉄人」としても有名。現在は都内に2店、福岡に1店の「ラ・ロシェル」を構える。

ラ・ロシェル山王
東京都千代田区永田町2-10-3 東急キャピトルタワー1F
03-3500-1031
● 11:30~14:00LO、18:00~21:00LO
● 月、第1火休(祝日を除く)
● 60席 www.la-rochelle.co.jp


長瀬広子=取材、文 阿部吉泰=撮影

本記事は雑誌料理王国第257号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は第257号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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