【リューズ】フレンチのロジックと柔軟な発想で旨さを表現する


飯塚隆太さん リューズ

キャリアと研究心が評価され、イベントやマスメディアでも活躍する飯塚隆太さん。経営するレストラン名「リューズ」は時計の竜頭から。束の間の非日常を、落ち着いた雰囲気の中で、時を気にせずに楽しんでほしいとの思いからこの名前を付けた。

修業時代はがむしゃらに走り続けた。ガストロノミー界のシェフに就任後は、その店を二ツ星に押し上げ、そして現在も注目のオーナーシェフとしてわが道を邁進する。つねに全力で疾走する飯塚さんだからこそ、時の重み、大切さがわかるのだ。

フランス料理だけに没頭した修業時代

「どうせ走るなら中途半端はダメ。確実な目標設定が必要」と飯塚さんは言う。専門学校時代は、ビアレストランで住み込みのアルバイトをした。昼間は学校で調理の勉強をし、夜は厨房で汗を流す暮らし。ラクではなかったが、将来への希望とコンクール入賞への夢があった。最初に目指したのは、20代前半の見習い料理人を対象とするコンクール。「課題は舌平目の白ワインソース、コクレのローストポム・リソレ添えなどで、就職して2年後に優勝しました」。

 だが、決勝で敗れた苦い経験もある。2年間のフランス修業を終えて帰国し、翌年、30歳で「SOPEXAフランス料理コンクール」に臨んだが、3分タイムオーバーして入賞を逃した。審査員に熱々の状態で料理をサーブしようと思うあまり、ギリギリまで粘ったのがアダとなった。「詰めの甘さを痛感させられ、よい経験になりました」と苦笑する。今ではこうしたコンクールに、審査員として呼ばれる立場になった。

「渡仏して本格的に修業したのは28歳からですが、23歳の時、どうしても本場の味に触れたくて、2カ月間だけフランスで暮らしたことがあるんです︒資金の150万円はスキー場のアルバイトで工面。1カ月間はレストランにただ働きで住み込んで、あとの1カ月間は星付きの店を食べ歩きました」。長距離バスや鉄道を利用し、1カ月で27軒毎日食べ歩くという無謀な旅だったが、「それほど無心にフランス料理を求める時期も必要ではないか」と当時を振り返る。

基本は大切にしながらも合理性を追求する

ロブションの系列店で腕を磨き、実力派となった今も、飯塚シェフは進化を続ける。「伝統抜きにフレンチは語れないが、理論的な誤解や、伝統の奥に潜む合理性に気づき、変化が訪れる場合もある」と言う。たとえば肉のロティールについては、大半の先輩から「肉の表面に壁を作って肉汁を閉じ込めるために、まずリソレしなさい」と教え込まれた。しかし、今では当たり前の認識になっているが、実際にはリソレしても肉汁は流れ出てしまう。強火で表面を焼くのではなく、肉にストレスを与えない焼き方として、じっくり火を通して最後に焼き色をつけるほうがよいという結論に達した。

また肉のジュをとる方法にしても、若い頃は、こまめにあくをとるように仕込まれた。しかし、飯塚さんの現在の調理法はそれとは異なり、あく抜きなしで透明に仕上げる。そのためには、焼き色をつけた骨や筋を1時間ほど煮込んで一度漉し、さらに強火で煮詰める。煮詰め終わったものを深い鍋に移しておくと、脂とジュに分離して、ここで脂を取り除けば、澄んだジュが完成する。省ける手間は省いて、合理性を重視しているのだ。

飯塚さんも、現代人の志向に合わせて「軽さ」を意識している。油脂を抑えたり、フランス料理以外の食材や調味料を使ったりもする。フレンチのロジックさえ外さなければ問題はないと考えているからだ。そのひとつが日本料理の手法。たとえば、アワビを調理する場合、昆布と酒をふって真空調理で蒸す。この時に出た汁を煮詰めて、漉した肝、グリーンペッパー、グリーンマスタードなどとともにモンテして、蒸しアワビのソースにする。それは、繊細で上質なフレンチになる。

受け皿が広いぶん、ひらめきも多い。冷蔵庫を開けて、ささっと作った料理がスペシャリテになることもある。こうした瞬発力を育んだ要素のひとつに、コンクール体験があるのだろう。「本当はボキューズ・ドールにも参加してみたかった。でも、自分で店をもつと無理ですね」と言いながらも、後悔などない。今の飯塚さんにとって、料理でゲストを満足させることこそが、最高の「メダル」なのだ。

黒トリュフのタルト リューズスタイルで
熱したフィユタージュに、デュクセル、ラルドの薄切りをのせ、ジュドポーをかける。その上に黒トリュフをふんわり盛り付け、白胡麻をふったらタルトの完成。これを皿の中央に盛り、ジュドポーとパセリオイルを流して、ルッコラ、セルバチカ、タルティーボなどをヴィネグレットで合えたサラダを添える。

Ryuta IIZUKA
1968年、新潟県生まれ。ホテルレストランでの修業を経て、94年「タイユバン・ロブション」へ。97年に渡仏し、「トロワグロ」や「ジャン・ポール・ジュネ」などで修業の後、帰国。「ターブル ドゥ ジョエル・ロブション」、「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」等のシェフを経て、2011年に独立した

上村久留美=取材・文 依田佳子=撮影

本記事は雑誌料理王国224号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は 224号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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