ワインの常識を疑え、と前回のコラムでは書きましたが、疑うということはもちろん、その常識を知らなければ疑うこともでないということになります。知識は時にあなたの成長の助けとなり、ある時にはあなたを勘違いさせたり、縛ってしまったりもします。
あなたはワインを知ろうとする時に、まず、どのようなステップを踏むでしょうか。ワインって不思議に「勉強」という言葉と結びつきます。これはお客さまからも聞く言葉なんですね。「ワインの勉強をしてないから何を頼んでいいのかわからないんだ」「僕ももっとワインを勉強しないとねえ」。この勉強という言葉に違和感を覚えます。提供側には勉強や学習が必要な時期が来ますが、お客さまが勉強しなくてはいけないのでしょうか。お店側が勉強してこいというようなオーラを出しまくっているならともかく(そんな店にはいきたくありませんが)、ワインは素晴らしい食文化ではありますが、でも、人生を彩る娯楽でもあるはずです。
例えばあなたがサッカー好きだったとして、最初から、3-4-3と4-1-4-1の戦術上のメリットデメリットを勉強しなきゃいけないなんて思ったでしょうか。ただただ素晴らしいプレーに感動し、プレーをする方ならただただボールを蹴って、その喜びから自然に、戦術を覚え、世界の名選手のプレーを自分なりに解説できるようになったでしょう? 入口はそれぞれで、辿るルートは違う。
勉強することが悪いわけではありません。その気持ちはとても尊いものです。問題はその勉強する意欲、勉強してきた努力、それによって得た経験や自信をお客さまに知らず知らず押し付けてしまうことにあります。お客さまもワインの教科書の1ページから開かなければワインのことはわかりませんよ。そんなオーラを出してしまう人になってしまってほしくない。私自身の経験から願います。
「実は僕はこのコラムのタイトルでもある23歳のころ、一度、酒が嫌いになったことがありました」と、初回のコラムで書きました。その理由はまさに勉強を強いる人たちの存在でした。目の前で叱責に近い形で、ワインを飲むなら勉強してこい! ブルゴーニュを知らないのか、五大シャトーを知らないのか。地元にJリーグチームができて、その選手の素晴らしいシュートに憧れてサッカーが好き、それは彼らには通じないのです。おそらくその人たちは「ワインとはかくあるべし」という考え方しかできない人なのでしょう。最初はにわか。それでいいはずなのに。それからワインが嫌いになりました。ワイン好きの人が嫌い、だけではなく、ワインそのものが。だって、教科書の1ページ目を開かなければ飲んではいけないのですから。
そのワイン嫌いを10年後、がらっとワイン好きに変えてくれたのは、23、4歳の屈託のない笑顔の女性でした。場所はシドニー、ハーバーサイドのオープンテラスレストラン。その女性スタッフ。シーザーサラダ―にタスマニアンサーモンのグリル。ワイン嫌いな私のチョイスはビール…というところでオージースタイルのフレンドリーなスタッフさんは、「私もビール大好き。それからもしよろしければワインもありますよ」。その店のワインリストはグラスだけでも20数種類。もしよろしければではなく、ワイン自慢の店だったのです。
それでも自慢を押し付けるわけではないさらっとした笑顔に、ワイン嫌いを忘れ相談。「ワインは詳しくないんだ」。すると彼女は目を輝かせ「今朝シドニーに来たばかりなんですね」「疲れてないですか?」「お昼は何を食べたんですか?ああ、あそこのシーフードのピザですか。美味しいですよね」と楽しそうに質問。そこにはいわゆる「好きな品種は?」「軽やかなもの、重めのもの?」など、ワインに沿った質問はひとつもありませんでした。それは新鮮な体験。つまりワインの知識がなくても楽しくワインを選べるということなのです。そして彼女と決めたグラスワインは、わずか日本円で350円のものだったけれど、衝撃的で幸せな1杯。お店の名を冠したプライベートブランドのシャルドネとソーヴィニヨン・ブランのブレンド。このおかげで、今、私はワインを語れる仕事に就いています。
彼女はきっとしっかり勉強をしてきたのでしょう。でもその知識に店での経験、そしてオージースタイルのフレンドリーな気質が加わり、ワインをより楽しんでもらうためには、という自然な思いが、笑顔の、気負わせないサービスにつながっていったのでしょう。その日、嫌いだったワインを、グラスで数杯後、ボトルでも。おそらく私の支払いは、客単価としてはお店が望む以上のものだったはずです。
3年前、ある料理本の取材で吉祥寺のイタリアン。ワイン担当は21歳の学生さん。お店のワインについて、驚きの知識と情熱。「まだ知らないことばかりで」と謙遜しますが、サルディーニャやマルケのワインを語れるだけでもすごい。ワインの教科書を1ページ目からめくって勉強していくならば、どうしても日本ではフランス、しかもボルドーかブルゴーニュからとなってしまいますが、それがイタリアからだっていい。たまたまであったのがジョージアでもチリでもいいじゃないですか。ただ、今知っていることはお店のワインのことだけ。そこから知識を深めて、物語を作っていけばいい。イタリアの後にフランスでもギリシャでもクロアチアでもいい。バルセロナのサッカーが好きならスペインでいい、メキシコのプロレスが好きならメキシコワインでいい。専門店ならなおさら。その国のワインと文化が好き。それこそが大切。
次回は「教科書の1ページ目から始めなくていい」後半をお届けします。
プロフィール
岩瀬 大二
Daiji Iwase
ライター/酒旅ナビゲーター/MC
国内外2,000人以上のインタビューを通して行きついたのは、「すべての人生がロードムーヴィーでロックアルバム」。「お酒の向こう側の物語」「酒のある場での心地よいドラマ作り」を探求。シャンパーニュ専門WEBマガジン『シュワリスタ・ラウンジ』編集長。シャンパーニュ騎士団認定オフィシエ。「アカデミー・デュ・ヴァン」講師。ワインや酒に関する記事を専門誌、WEBマガジンにて執筆。MC/DJとして多数のイベントに出演。
当WEBにて、コラム:酒とワインの幸せを体感する場所と時間「ワインと酒を巡る冒険」も連載。