『一般社団法人 刻(とき)SAKE 協会』は、2023 年 9 月―12 月の 4 ヶ月に渡り、毎月 1 回、都内レストランでのペアリングディナーを開催。モダンバスク、イタリアン、中華に続き最後は日本料理。王道のペアリングに思えて刻SAKEの多様性が発見できる会だった。
「世界の上質な酒には必ずと言っていいほど熟成という価値が備わる」ということから、日本酒においても優れた熟成の価値があることを示し、世界に広げていくことを目的として、8つの歴史ある酒蔵によって設立された『刻SAKE協会』。わかりやすい分類、科学的な分析をもとに、多様な食文化やシーンにおいて新たな魅力を持つ酒であることを発信している。『刻SAKE協会』に所属する8つの酒蔵の古酒・熟成酒の色、味わいはそれぞれ多彩。造り方も熟成年数、温度帯、容器などにより大きな差異があり、これが実に楽しく、味わい深い。
こうした価値をわかりやすい形で、また、より奥深く感じてもらうために企画されたのが各国料理とのコラボディナーだ。初回は『永井酒造』、『南部美人』とモダンバスク料理の『エネコ東京』。2回目はイタリアンの『ヤマガタサンダンデロ』で『出羽桜酒造』と『島崎酒造』、3回目は『中華寝台』での中華料理と『増田德兵衞商店』、『天寿酒造』のペアリング。そして最終回となる4回目に登場するのは、福井県永平寺町の『黒龍酒造』と、千葉県いすみ市の『木戸泉酒造』。黒龍酒造の水野代表が懇意にする和食店『末冨』にて、先に料理があり、そこに両酒蔵がそれぞれのお酒を合わせるという趣向で行われた。
最終回にして日本料理という王道のペアリングが選ばれたのは、刻を重ねていく酒が、温度、容器、熟成期間というファクトにより個性が異なることをストレートに伝えるため。そもそもの哲学や設計図によって大きく変わり、多様な価値を持つことをわかりやすく示すためだろう。ましてや、この2つの酒蔵の熟成酒・古酒は、刻SAKE協会の中でもふり幅が広く、大きい。結果、これまでは酒と各国料理という組み合わせからの楽しい発見だったが、今回は、和食と酒というある種“あたりまえ”の光景に、これほどの発見があるのかという驚きを見せてくれた会となった。
ふり幅は広く、大きいと書いたが、刻を重ねていく酒を目指すという哲学はともに古くから持っていたという共通点がある。黒龍酒造では蔵元の水野氏が蔵に帰ってきた30年ほど前からすでに熟成感のある酒に情熱を傾け、木戸泉酒造では、現蔵元・荘司氏の祖父の代、昭和31年には古酒への舵を切っていた。いずれも時代的には大きな決断だし、批判以前に無謀や常識はずれという冷たい反応の中での歩み初めだっただろう。先駆者ということは、成功事例がない、お手本がないということだが、2つの蔵とも、貫徹できるだけの先代たちが育んできた気風と残してきた酒があった。
源流は同じでも目指す酒の方向性は違う。黒龍酒造は、米、水、風土、匠の粋である酒を、冷蔵の低温で熟成し研ぎ澄ましていくことにより“新酒ではできない。しかし、新酒ならではの良さ”を表現していく。木戸泉酒造は、高度経済成長の足音が聞こえ、酒にも大量生産が求められる中にあって、防腐剤に頼らずとも長期間貯蔵できる酒造りに取り組み、「高温山廃酛」仕込みという醸造法へと切り替えた。このヴィジョンであり哲学が、2つの酒を広く、大きな差へと導いていく。
まずは黒龍酒造。この日のハイライトのひとつが2012年ヴィンテージが刻SAKE認定酒である『黒龍 無二』の、2012年と2017年ヴィンテージの呑み比べ。『黒龍 無二』は、選りすぐった純米大吟醸の原酒をそのまま瓶詰めし氷温貯蔵で熟成させる。その年の酒の持ち味が刻を経て円熟し、それゆえに覚醒するという酒だ。2012年は無二として最初のヴィンテージで、2017年は最新のヴィンテージ。2017年は甘やかさとまろやかさを最初に感じながら、澄んだ空気、風の中で健やかに育つ、まだ青々とした黄金に実る前の田園風景や清流が浮かんでくる。6年の歳月がむしろみずみずしい。あわせたのはシンプルな海老芋の煮物。海老芋の甘味と澄んだ出汁が一緒にしみこんでくる。2012年は、研ぎ澄まされた姿を驚きとともに見せてくれる。甘やかさとまろやかさは芯の部分に集中し、むしろ風味や口当たりにはピュアさが増し、全体にバランスをとるというよりは、様々な要素が突出し、その力が力強く引き合うことにより調和をもたらす。研ぎ澄ませることによって、むしろ要素が飛び出し、複雑さとなり、結果、調和につながるという何とも不思議な世界だ。春菊の苦みや海老芋の滋味といった強めの味わいも含めた料理全体とも調和していく。ともに日本酒らしい飲みごたえを、重厚ではなく、美しく表現していたように感じた。そのほか、認定酒ではないが、北海道の米、吟風を使った『2017年蔵内熟成』という意欲的な挑戦が感じられる酒も面白かった。
木戸泉酒造からは、刻SAKE認定酒である『AFS(アフス) Ensemble 2004&2008』。2004年、2008年の高温山廃一段仕込みの熟成酒をブレンド。酸の強さとそれをやわらげつつ複雑さを加える甘味とのバランスが面白い。04が甘さ、ボリューム、08がしっかりとした酸という役割を担っているという。ジャスミン茶やきのこ、ドライフルーツを想像させる香ばしさや滋味の複雑さがありながらも軽快にも楽しめるという、未知と言ってもいい体験。合わせた料理は、焼きすっぽん。酒の複雑さと酸が、焼き目の甘味と脂、絶妙な火入れで濃厚な味わいに変化した身とからみあう。
認定酒ではないがこの前に味わった『木戸泉 古今(30年熟成)』も同じ世界。ほうじ茶、カラメルに、シェリーのミディアムの甘味や同じくパロ・コルタードの程よいドライさ、奥にはポート酒のようなニュアンスと、さらに混沌の世界へ。
「日本酒は、食中酒であるべき」と考えてきた木戸泉酒造。単体では複雑、不可思議な魅力があって、しかし、『AFS』シリーズが求める濃厚多酸酒、つまり乳酸由来の酸味の強い濃厚な味わいは、さまざまな料理に自然と合う。和食での納得から、中華、北アフリカのスパイス系、欧州の王道スイーツなど、世界各地の料理とのペアリングにも期待が高まる。ヴィンテージ違いのアッサンブラージュについては今後もいろいろな組み合わせを考えていくというので実に楽しみだ。
それにしても和食という軸がありながら、個性が違う黒龍酒造の酒と木戸泉酒造の酒が交互に展開され、“いったいどこに連れていかれるのか”という、ミステリーツアーに招待されたかのような期待溢れる戸惑いと興奮。ペアリングにおいて、黒龍酒造は和食の神髄、シンプルな素材や淡白な味付けながらも、そこから染み出してくるよき塩梅と旨味と見事なハーモニーをもたらす。一方で木戸泉酒造は、和食とのコントラストで、王道の和食に新たな光を射す。10品のコースでこれらが展開されるのだからたまらない。
しかし、すべてを通してみて何よりも感じたのは、どちらも熟成に対する設計図がしっかり描かれているということだ。設計図は、ヴィジョンであり、強みや信念でもある。2つの蔵は日本海側と太平洋側という地理的にも風土的にも大きな違いがあるし、育まれてきた歴史も違う。熟成に挑む動機も違う。それでもどこか漂う共通点。振り回されるのはなく、広く、強くともちゃんとつながっているから“ふり幅”。同時に味わうのも、違う時、場面で味わうのもともに贅沢な時間になるだろう。
新酒で楽しむ日本酒がその年、その土地の“恵みをいただく”ものとすれば、刻SAKEは経年により複雑に熟成した酒の要素や魅惑を“探しにいく”至福がある。そもそも素晴らしい価値を持つ新酒に、刻SAKEという新たな価値が加わり、日本酒の世界はより広く、深く、豊かなものになっていく。4回のペアリングを通じて、この違いと価値を存分に味わうことができた。最近の日本酒のトレンドとしては、鑑評会、コンクールでの受賞を目指して、ある意味では欠点のない、また、同じ方向、味わい、楽しみ方に縛られているような窮屈さも感じていたが、やはり日本酒には、いろいろな文化や人の営みの中で育まれ、楽しませてくれている多彩さがある。古くて新しい刻SAKEもそのひとつ。世界へ、これからの食へ、大いなる可能性をもっている存在だ。
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text:岩瀬大二