レジェンドと呼ばれるシェフが若い料理人たちへと託す願い


エル・カンピドイオ 吉川敏明さん

格式高いリストランテからカジュアルなホスタリアへ

2008年12月、西麻布で31年間続いたリストランテ「カピトリーノ」が、多くのファンに惜しまれながらも閉店した。オーナーシェフの吉川敏明さんは、日本における“イタメシブーム”を牽引したと言われるシェフのひとりである。「カピトリーノ」の閉店とともに引退したと思われていた吉川さんだったが、翌2009年、世田谷区の住宅街にひっそりと「エル・カンピドイオ」をオープンさせる。こぢんまりとしたログハウスのような店構えには、親しみやすい雰囲気が漂う。吉川さんも、カピトリーノ時代と同様、チェック柄のシャツに身を包み、温かな笑顔で訪れる人を出迎える。

「『カピトリーノ』を閉めたときは、もう引退しようと考えていたんです。ところが、ちょうどこの物件が空くことになって。もともとここは、義理の姉が自然食の店をやっていた場所なんです。内装もほとんどそのままなんですよ」

馴染みの客にも知らせずに始めた店だったが、知人のライターが週刊誌で紹介したことから、徐々に長年の常連客も足を運ぶようになる。「ここはキッチンが小さいから、以前のようなコース料理は作れません。だから前菜やパスタでワインを飲んでもらうような、居酒屋感覚で楽しんでもらえるような“ホステリア”にしようと思って、店の名前も変えたんです。そうしたら、常連さんが来るようになったから、結局メインも作らざるを得なくなってしまって」と笑う。言葉とは裏腹に楽しそうだ。 

吉川さんが初めてイタリアへ渡ったのは1965年。当時19歳の海外生活を夢見る青年だった。

国立ホテル学校「E.N.A.L.C.」在学時代。
日本人は𠮷川さんのみだったという。料理と同時にイタリア語も学んだ。

「1964年の東京オリンピックの時、ホテルニューオータニでウェイターとして働いていたんですが、偶然、ホテルに宿泊していたイタリアの柔道の監督に誘っていただいたのがきっかけで、ローマの国立ホテル学校に入学しました。料理人を目指していたわけではなく、サービスマンとしてのプロフェッショナルを目指すつもりだったのですが、イタリア語を話せないと難しい。言葉がわからなくても、なんとかなるかなと専攻したのが料理部門でした」

今回作ってもらったトマトソースのシンプルなパスタ、「スパゲッティポモドーロ」は当時を思い出す懐かしい味だ。

スパゲッティ ポモドーロ
トマトソースはイタリア料理には欠かせない。シンプルなトマトソースのパスタはイタリア人も大好物の定番メニュー。𠮷川さんはソースにタマネギを加えるが、家庭によってはニンニクを入れたり、作り方もさまざまだという。


「パスタといえばこれ。下宿のおばさんもよく作ってくれました。でも、当時の僕はケチャップで味付けたナポリタンかミートソースくらいしか知らないから、トマト味=ケチャップだと思っていました。だから初めて『スパゲッティ ポモドーロ』を食べた時は『甘くない!』と驚きましたよ。酸味もあるし、初めはおいしいとも思わなかったんです」

ホテル学校卒業後は就労ビザの認可を受け、ホテルやレストランで経験を積む。永住するつもりでいたが、ある日、日本から電報が届いた。「母親が体調を崩し、手術が必要だと書いてあったので慌てて帰国しました。ところが帰ってみたら、ピンピンしていたんです(笑)」

そのままイタリアに戻るタイミングを逸した吉川さんは、ローマ時代に出会った知人と東京でイタリア料理店を開き、6年間料理長を務める。
「本当はすぐにイタリアへ戻るつもりだったんですが、就労ビザの期限が切れてしまって。東京のレストランでは、3年間の契約で2期を務めました。その後、ホテル学校時代の知人と一緒にイタリアで店を開こうという話になり、物件探しにも行ったのですが、それもなくなってしまった。帰国せずにイタリアで働き続けていれば、順調に給料は上がっていたのですが、いったんキャリアが途絶えてしまえば、再度ゼロからのスタートになります。日本での経験は、キャリアには数えられないんですね。だったら東京で働こうと思っても、イタリア料理専門店は数えるほどしかない。それならば……と西麻布に店を出したんです」

店に来た若い料理人とまかないを食べ話をする
広いとは言えないキッチンで、手際よく料理を進める𠮷川さん。ラフなシャツ姿は、リストランテでは想像できないスタイルだ。

自分の経験や知識を次の世代へ伝えたい

 日本に戻ってきた当時は、本格的なイタリア料理を出す店は珍しく、初め「スパゲッティ ポモドーロ」を口にした吉川さんと同じように「ここのケチャップは甘くない」と言われることも多かった。

「当時はパスタをメインに出すチェーン店が増え始めた頃で、パスタは一品料理としてとらえられていました。とくに、ペスカトーレのような見栄えのするメニューが流行していたので、パスタの具が少ないとか、パスタにライスをつけてほしいなんて言う方もいましたよ。僕は、パスタはあくまでもコース料理の中のひと品として出したかったので、量も具材も控えめにしていたんです。コース料理がなかなか定着しなくて、初めの頃は苦戦していましたね」

時代が変われば、求められる料理も変わる。バブル経済の頃には、北イタリアの料理をメインとする高級リストランテが続々とオープンした。イタリア料理をコースで食することが当たり前になったのはこの頃からだ。しかし、バブル崩壊後は高級店の多くは消え、リストランテの代わりにオステリアやバールなどのカジュアルな店舗が増加した。

「ここ数年で、日本のイタリア料理店は多様化しました。シチリアやサルデーニャ、ナポリなど地方料理に特化したお店や、ピッツェリア、ビスケッテリア、ヴィネリアなどの専門店も増えている。消費者のさまざまなニーズに応えられるようになりましたよね」

イタリアや、イタリア料理に関連する本も数多く執筆している吉川さんの願いは、自分のこれまでの経験や知識を次の世代に継承すること。その博識ぶりは日本のみならず、イタリアにも知られており、かつてローマのホテル学校で、イタリア料理の歴史について講演を行ったこともあるという。また、中堅のシェフたちと会を作り、年に数回講習会を行っている。
「直接話したいと店に来てくれる子もいます。よく一緒にまかないを食べながら話していますよ」

吉川さんの人柄は、客だけでなく、若手料理人の心も掴んで離さない。以前、引退したらイタリアに移住して年金生活を夢見ていたというが、まだその日は遠いようだ。

吉川敏明さん

1946年生まれ。19歳で渡伊、ローマの国立ホテル学校で料理を学ぶ。現地で働いた後に帰国、「カーザ・ピッコラ」を経て1977年に自身の店「カピトリーノ」を開店。2009年、世田谷に「エル・カンピドイオ」をオープン。

エル・カンピドイオ
Hostaria er Campidojo

東京都世田谷区桜丘1-17-11
☎03-3420-7432
●18:00~21:00(完全予約制)
● 火、水休
●平均予算 6500円
●8席

河西みのり=取材、文 小寺 恵=撮影

本記事は雑誌料理王国274号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は274号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


SNSでフォローする