奥村さんが渡伊して修業を始めた時から30年が過ぎた。いわば日本のイタリア料理界における先駆者のひとりだ。本場の味を知ってしまったゆえに、帰国してしばらくは、日本で流行するイタリアンとのギャップに悩んだ。日本ではまだパスタといえば乾麺が当たり前で、シェフの仕事は乾麺に合うソースをアレンジすること。オリーブオイルを調味料感覚で使うと「お皿に油がたまっている」と怪訝な顔をするゲストもいて、そんな時代が10年以上も続いた。
奥村さんの挑戦は日本のイタリア料理界に一石を投じた。ゲストに本場の味を知ってほしいと、徹底的に「手打ち麺」にこだわったのだ。中でもウンブリチェッリは、自身がその旨さに衝撃を受けたイタリアの家庭料理。最初、ゲストはうどんのようなパスタに驚いたが、やがてそれはシェフのスペシャリテとなり、このひと皿を求めて「アカーチェ」を訪れる常連客も増えていった。
奥村さんが「魂のパスタ」にウンブリチェッリを選んだのは、「私が、最初にこのパスタを日本で紹介したから」。愛着、そして第一人者としての自負と責任もある。
「アカーチェ」で独立してからおよそ20年。この店から巣立っていった料理人は多い。「イタリア料理を作る時には日本人としての常識をはずせ。まず、現地のレシピに忠実に作るんだ」。奥村さんは彼らに繰り返し、そう投げかけた。「本当にこの分量で合っているのか」と疑問がわくこともあるが、常識にとらわれて、作りながら調整をしてしまうと、郷土料理の核心には到達できない。
じつは奥村さんもウンブリチェッリを知った当初、そのレシピに驚かされた。たとえばソースに使う野菜を炒める際、200㏄ものオリーブオイルを使う。油の中を泳ぐニンジンやタマネギ……。最初は半信半疑だったが、とにかく、その通りに作ってみると、野菜の旨味が引き出され、鶏レバーや砂肝などの具材とも相性のよいソースに仕上がった。これこそが、ウンブリア州で食べた、あのウンブリチェッリの味なのだ。
「パスタ料理は、ゲストに安心感を与えるものであるべき」という奥村さんの信念も変わらない。そのウンブリチェッリには、ほどよい弾力感とやわらさがあって、かみしめると小麦粉本来の味がする。「うどんみたいでしょ」と笑うが、たしかにうどんに通じる食感が、安心感と懐かしさの一因かもしれない。ただしうどんと違うのは、麺が主役だと主張していること。鶏の内臓という個性的な具材にも負けることなく、奥村さんのウンブリチェッリは、しっかりと存在を主張するのだ。
イタリア料理の敬意と真摯な態度。長年、これを忘れずに生きてきた重鎮のひと皿だけにある「安心感」は、奥村さんそのものである。
ウンブリチェッリ
形状はうどんに似ているものの 1本1本手で伸ばして成型する
イタリア中部、ウンブリア州の伝統的な手打ち麺。生地には卵を入れずに練り、伸ばした生地を細長くカットしたら、1本1本手で伸ばして少し凹凸をつけるように成型する。ウンブリア州は海に面していないということもあって、郷土料理は肉が中心。ウンブリチェッリも鶏の内臓のソースで食べるのが一般的だ。
Tadashi Okumura
1955年、岐阜県生まれ。東京のイタリアンレストランを経て、82年に渡伊。ウンブリア地方を拠点に各州のレストランで2年半修業を積む。84年、「リストランテ アルポルト」オープンのために帰国し、セコンドシェフを務める。90年、「リストランテ・モランデ」のシェフに就任。95年に再び渡伊し、翌年、「リストランテ アカーチェ」で独立。
上村久留美=取材、文 富貴塚悠太=撮影
本記事は雑誌料理王国2014年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は2014年8月号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。