ベテランレストランオーナーたちが語る!独立開業の苦労話


フレンチ、イタリアン、中華のベテラン・レストランオーナーが顔合わせ。浮き沈みの激しい業界で店を長く続けるノウハウは?独立開業時の苦労話を交えて、大いに語り合っていただきました。

【フレンチ】ラブレー 1987年~
山田 恵さん
【イタリアン】アカーチェ 1996年~
奥村 忠士さん
【中華】文琳 1992年~
河田 吉功さん

――皆さん、独立開業の際にご苦労はありましたか。
河田 やっぱり開業資金集めですね。親に援助してもらって、足りない分は国民金融公庫から借りました。なにしろ自分の蓄えはゼロ(笑)。全部食べることに使ってたから。銀行はとにかく貸してくれなかったね。雑誌に載った記事なんか見せても、銀行にはまったく効果なし。
奥村 どんなに有名でも、いざ独立するとなると、コックって信用がないんですよね。皿を買うにしても、よく知ってる業者なのに、前金で払ってくれって言われたり。
山田 これから店を出す若い人に助言したいのは、オープンしてしばらく売り上げが低迷しても持ちこたえられるように、500〜600万円の運転資金をプールしておいたほうがいいということ。内装を立派にしたいとか、いい調理器具を揃えたいとかで、資金を使い果たしてしまう人が多いけど、ギリギリカツカツでスタートすると危険ですよ。
奥村 私も工事にいろいろお金をかけてしまって貯金ゼロでオープンしたんですが、最初の2カ月お客さまが全然入らなくて、従業員と業者には月々の支払いがあるし、資金繰りが本当に大変でした。生命保険を解約したらいくらになるとか真剣に調べましたよ。2月の雪が降ってる日の夜、しーんとした店でさみしい思いをしてたら、前に働いていた店のお得意さまがひょっこりいらして食事を終えて、「こんなにおいしいんだから大丈夫、きっとうまくいくよ」と言ってくれた時は、涙が出そうになりましたね。幸い、雑誌に紹介記事が出始めた3カ月目から少しずつ入るようになりましたが。
河田 うちも最初の半年は入りが悪くて、心労で6キロやせました。雇われの時の店はいつも予約でいっぱいだったのに、独立したらそうは簡単に入らなかった。井の頭線の急行が止まらない神泉という場所柄もあったのかもしれないけれど。
山田 「文琳」の場所、河田さんだから成功してるけど、普通の人はビビりますよ。すごく説明しづらい場所ですもんね。うちも代官山とはいえ、オープンした1987年当時は周囲に店が1軒もない住宅街で、しかも道路から少し奥まってるし、この物件に決めるのは賭けでした。でも庭が付いててちょっとおもしろいなと思ったのと、家賃も安かったし、師匠の勝又登さんに「きちんとした店をつくれば、お客さまはどんな場所にだって来てくれるよ」と励まされたこともあって。まあ、私はサービスの人間なので、独立する前に働いていた超繁盛店の4500人の顧客リストを持っていたのと、バブルが始まった年に開業したというのもあって、初月から550万円売ることができました。その年の12月にはその3〜4倍売りましたね。

奥村 時代に恵まれたんですね。私は阪神大震災やサリン事件があった年の翌年すぐだったんで、「なぜ今独立するの?」とみんなに言われました。銀座の高級店でシェフやってましたから給料よかったし、家内にも反対されましたね。でもコックって段階を追ってステップアップしていくべきで、皿洗いから始めてセコンドやって、雇われシェフやって、最後はオーナーシェフになるべきだと思っていた。もういろんな経験したし、失敗してもいいから自分の思いどおりにできる店を持とうと、40歳の時に決意したんです。
山田 青山にいきなり39坪の店を出すってすごい勇気ですね。
奥村 いやいや、駅から遠い新築マンションの地下1階で、ほかにテナントがまったく入ってなくて、周囲にも全然店がなくて、今の青山とは違う雰囲気だったんですよ。条件をよくしてもらったので、時間をかければ何とかなるかなと。
河田 今、青山に店を出すのは大変でしょうね。家賃が高ければ、それに見合った価格設定をしなければいけないしね。
奥村 高くしすぎてもお客さまが来てくれないし、安くしすぎても売り上げが下がる。適正価格を見極めるのって重要ですよね。
――時代の変化に翻弄されて、たくさんのレストランがオープンしては消えていっていますが、店を長く続けるノウハウはありますか。
山田 うちがオープンした頃、「フランス料理この100軒」みたいな本があったんだけど、数えたらそのうち20軒ぐらいしか残ってないんです。絶対つぶれない親会社がついた店を含めての数字ですから、個人店だと20年持ちこたえられる店なんて5%ぐらいではないでしょうか。
河田 お金さえ借りられれば、店を開くことは誰にでもできる。続けることのほうが難しいですよね。

変化を恐れず、驚きを与える


山田 続けるコツは、変化を恐れないこと。古いレストランだからって同じことだけやっていては、時代から取り残されてしまう。おもしろい食材を探して新しいメニューを提案したり、つねにお客さまにちょっとした驚きを与えるようでないと。
奥村 イタリアンも本場の郷土料理が10年前とは変化しています。どんどんライトになっているといった本場の変化を、本質を踏まえつつも貪欲に取り入れていかなければ。
山田 あとうちは生き残りをかけて、12年前からウェディングを始めました。普通のレストランのようにただパーティーを受けるのではなく、専任のブライダル・コーディネーターがじっくり要望を聞いて、ドレスショップや引き出物まで紹介し、控え室も造り、といったきめ細かい対応をしていたら、年間70〜80件となかなかのビッグビジネスに育っていきました。なにしろ主役は前途のある若い夫婦。そのふたりにとって思い出のレストランになるわけですから、家族を含めてのちのちまで食事に来てくれるんですよね。
河田 ウェディングは1回の額が大きいし、予約が何カ月も前に入るから、先々の資金繰りが読めていいね。
山田 そうなんですよ。あとうちがちょっと変わってるのは、犬の入店OKなんです。フランスではホテルもレストランも犬を入れてるでしょう。犬と食事したい愛犬家って意外なほど多いんですよね。以前、犬の誕生日に貸し切りパーティーを開いたセレブもいましたよ。犬の洋服のデザイナーとか獣医とか招待して、ひと晩で70万円も使ってくださいました。
奥村&河田 ええ〜っ!
山田 それから私はインターネットの効果に非常に注目しています。上手に使えば、集客にこれほど有効な手段はない。うちみたいな古いレストランは雑誌の取材もなかなか来ないし、雑誌の影響力も昔ほどないし。そんななかで、きれいな写真を撮って、かっこいいデザインのホームページを作り、上位検索されるようにすれば、彼女の誕生日に店を探しているような若い人が新たに来てくれるんですよ。人気店の集客はどうしてうまくいってるんだろうとリサーチすると、シェフが「今日はこんな素材が入ったので、こんな料理作ります」なんてブログを頻繁に更新してるのが理由だったりするんです。これから開業する人は、店舗設計と同時進行で、ぜひ自前のホームページ作りをスタートするべきですね。

人材の確保が一番大変な問題

奥村 世の中のイタリアンブームも追い風になって軌道に乗った開店3年後に、実は2店舗目を出したんですよ。リストランテとトラットリアの違いを表現したくて、「ペコラ」というカジュアル店を開いたんですが、結局5年やって閉めました。お昼に行列ができるほど繁盛したんですが、私が店に常駐していないこともあって、いいスタッフが根付かなかったのが理由です。
河田 人材の確保って、この業界で一番頭の痛い問題ですよね。
山田 レストランの仕事は重労働ですからね。私は以前、若いサービスマンのネットワークを作ろうと思って、毎月一度、ワインとサービスの講習会を開いて、うちに30人ぐらい集めてたんです。すると横のつながりができて、「人が足りないんだけど、どこかにいい子いない?」なんて聞けるようになりました。
奥村 以前、うちの店は32席あって人をたくさん使ってたんですが、突然誰かが辞めてしまった時の大変さといったらなかった。で、この先どうするのか夫婦で話し合って、自分と家内ふたりになっても回るように規模を縮小しようと、2年前に思い切って改装して16席に。スタッフも大幅に減らしました。
山田 坪数同じで席数を半分に? 客単価を上げるしかないですね。
奥村 このご時世なので厳しいですけど、まあうちは接待が多いので。改装を機に、ランチをやめてディナーのみの営業にしました。売り上げは改装前に比べて大幅に減りましたが、コックとしてはじっくり料理を作れるようになってよかったなと。
河田 私も年を取ってきて、規模を半分にした店やりたいと思うもん。開業当時はオープンキッチンの店を我ながら斬新だと思ったけど、最近、新しい形態の店がどんどんできてるのを見ると、20年近く経つうちの店も古いよなぁと。店内いろいろ傷んでくるし、器材も壊れるし。
山田 私は自分で全部直します。修理人呼んだら、出張費だけで1万5000円取られますからね。
奥村 水道のパッキンなんか当たり前に自分で交換しますよね。ところで年を取るといえば、私たちと同時にお客さまも年を取っているわけで、あまり量を食べられなくなってきている。今一番気にかかるのは、どれくらいのポーションを出せばいいのかという問題。
山田 開業当時は50歳ぐらいのいい食べ手であった方が70代になったりね。でも年配のお客さまに合わせていると、たくさん食べてくれる若いお客さまがつかなくなりますよ。
河田 自分が20代、30代の頃は年取ることなんて全然考えてなかったな。ひたすらよく働きよく遊んでた。店が終わってから、明け方までバーをはしごして、ラーメン食べてなんて毎晩やってましたよ。
山田 あの頃、河田さんハードリキュールばっかり飲んでましたよね。
河田 うん、今は白湯飲んでるけど(一同爆笑)。店もいっぱいだったし、将来のことなんて考えてなかった。でも細かい苦労はしてるんですよ。昔、先物で失敗したりね(笑)。なまじ羽振りがいいと、あやしい儲け話がいっぱい持ち込まれるんです。料理人って世間に疎いからすぐだまされちゃう。
奥村 デリやデパート出店をされて、それをやめる時って、かなりの決断だったのでは。
河田 デリはやっぱり工場で大量生産しないとダメ。結局はビジネスなので、儲からないならスパッとやめないと。店はまだあるけど、名前だけでもう関わってないんです。玉川髙島屋に出店した時もいろいろ言われましたよ。自分が厨房にいない店の質を保つのは難しかったですね。

古い店の新しいビジネス戦略

山田 うちが今年から新たにやろうとしているのは、チーズケーキのテイクアウトとネット通販です。フランスからクリームチーズ、発酵バター、バニラビーンズ、塩を輸入して、向かうところ敵なしの自信作を作ったつもり。「ラブレー」はデザートがおいしい店という評価は、23年間やってきた結果としてあると思うので、あとは魅力的な能書きと写真をホームページにアップして、上位検索されるようにして売ります。おいしいと思ったらリピートしてくれるだろうし、会社経営の方などに「じゃあ盆暮れこれにするわ」と言ってもらったら、ちょっとしたビジネスになっていくと思うんですよね。年を取ったからといって、新しいことを始めない手はないですから。
――これから独立開業を考えている人へのメッセージをお願いします。
奥村 コックならきちんと段階を踏んでオーナーになるべき。経験が浅いまま店を開くと、リスクが大きい。
河田 でも30代と40代なら30代で独立するべき。私は43歳と遅かった。やっぱりガッツがあるのは30代。遅いとあとがつらいよ。
山田 1店に5年以上の勤続年数があれば、国民金融公庫が無担保低利子で融資してくれます。若い人に言いたいのは、勤続年数の大切さ。
奥村 料理人って勤続年数でしか信用されないんですよね。雑誌に出ましたと持っていっても意味がない。
河田 今、物件や保証金の値段が下がっているからチャンス。親が金持ちじゃなくたって担保がなくたって、1店に5年以上勤めた経験があれば、開業できるということ。
山田 あとはいかに続けるかです!

Yoshinori Kawada

49年 栃木県に生まれる
71年 原宿「龍の子」、
    横浜「四川飯店」に入店
79年 台湾で研鑽を積む
86年 代官山「リンカ」料理長に就任
92年 神泉に「文琳」開店
03年 玉川髙島屋に「文琳 二子玉川店」  開店(06年閉店)
04年 コレド日本橋にデリ/軽食店 「文琳茶菓舗」開店
文琳
東京都渋谷区神泉町13-13
ヒルズ渋谷B1F
●Phone 03-3780-6268
●11:30~14:00LO、
18:00~21:30LO
●月休

Megumi Yamada

55年 新潟県に生まれる
76年 六本木「プロヴァンス・ミレイユ」(現在閉店)に料理人として入店、  サービスに転向 
81年 六本木「オー・シザーブル」に入店
2年後、支配人に
87年 代官山に「ラブレー」開店
98年 レストラン・ウェディングを始める
08年 レストラン・ウェディングのクチコミランキング1位に

ラブレー
東京都渋谷区恵比寿西1-30-13-203
●Phone 03-3780-3090
●12:00~15:00LO、
 18:00~22:00LO
●水休

Tadashi Okumura

55年 岐阜県に生まれる
81年 渡伊、ウンブリア州や
   トスカーナ州で2年半修業
84年 西麻布「アルポルト」に入店
90年 銀座「モランディ」(現在閉店)のシェフに就任
96年 南青山に「アカーチェ」開店
99年 北青山に「ペコラ」開店(04年閉店)
08年 「アカーチェ」を改装

アカーチェ
東京都港区南青山4-1-15
アルテカ・ベルテプラザB1F
●Phone 03-3478-0771
●18:00~21:00LO
●月休

松田亜希子=文・構成 永井 守=写真

本記事は雑誌料理王国190号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は190号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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