【日本におけるフランス料理】語りたい100年史のひと皿3選(ラ・ブレー、コート・ドール、ラ・ブランシュ)


華の非日常空間を演出する生粋のサービス人

ラブレー 山田 恵さん

「どこまで走れるか、走ってみたい」という熱い気持ちで山田恵さんが「ラブレー」を代官山に開店したのは1987年1月のこと。当時辺りは周囲に店が一軒もない住宅街で、この場所での開店は賭けだったそう。「20数年前、六本木の『オー・シザーブル』で支配人をしていた頃、当時オーナーシェフだった現『オーベルジュオー・ミラドー』の勝又登さんに言われたんです。『山田君、内容がしっかりしてればお客はどこにだって来てくれるぞ』と。あの言葉が大きかった。代官山はこの先変わっていくのでは、という予感もありました」

勝又さんに教わったことは他にも数々ある、という山田さん。築地に通うことの大切さもそのひとつ。

「築地は、オーナーとして、サービスのプロとして、買い物をしながら、今日のあのお客さまにはこれを出そうかな、とか、いろいろと考えられるアイデアの宝庫。店内でお客さまに料理の説明や旬の食材の話をするのも、シェフと一緒にメニューを決めるのも、すべて自分が現場で実物を見ないと想像の域を超えない。それと、築地はプロとプロの〝化かし合い〞だから、常に新しい知識がないと騙される。だから通い続けないとダメ。オーナーとしては、そのへんもしっかり勉強しないと」

また、20年前の開店当初からレストランウェディングや愛犬連れの入店といったお客の要望にも応えていて、今では店の特徴にもなっている。

「フランス料理店のオーナーは誰しも、店を続けることが最大の目標。そのためにはいつもお客さまが何を求めているかを知り、可能な限りそれに応える努力や工夫をする必要がありますね」

レストランに求められるのは〝非日常〞と言う山田さん。アプローチの緑溢れる階段や季節の花々が咲き誇る小さなテラスはすべて山田さんの手によるもの。お客がその奥の入り口に立つ頃には、気持ちも自然と盛り上がっている。非日常の空間が、ここにある。

素材の組み合わせの妙が生む意外な驚きと満足感

燻製風味のホタルイカとクスクスのタブレ フランス産ホワイトアスパラガスとオレンジ、ハーブのサラダ添え爽やかなガスパチョソースとともに

「見た目ではわからない、ちょっとした味や香りの驚き、組み合わせの意外性を楽しんでほしい」と考える山田さんとシェフの宮地澄人さん。旬のホタルイカを燻製でほんのり香り付けし、たっぷりのハーブ類と合わせて仕上げたボリュームのあるひと皿。ガスパチョのソースが色、味ともにアクセントとなっていて、印象的。初夏を感じる爽やかな仕上がりは、男女を問わず人気だそう。

owner’s history

’55 新潟県で生まれる。
’75 フランス料理店で料理人としてキャリアをスタート。
’76 六本木「プロヴァンス・ミレイユ」に入店、サービスに転向。
’81 六本木「オー・シザーブル」に入店。2年後には支配人を任される。
’87 オーナーとして代官山に「ラブレー」をオープン。

text by Saori Bada/photographs by Hiroshi Fushiki

厨房という名の戦場で〝おとっつぁん〞は戦い続ける

コート・ドール 斉須政雄さん

「僕は料理長だからって、何も偉いわけじゃないの。ただのおとっつぁん。若い子のほうが勝ってる部分もあるわけだから、いつ立場がひっくり返るかわかんないのよ」

つねに臆病であり、自分に枷を強いることが斉須政雄さんの料理人としての生き方。これはともに店を開いてミシュランの二ツ星を掴んだ「ランブロワジー」のシェフ、ベルナール・パコー氏から学んだという。

「コート・ドール」が開店した1986年はバブル寸前。接待ご用達の高級レストラン花盛りの時代だった。そんななか、お決まりのコース料理ではなく、あえて「単品勝負」に賭けた斉須さん。時代の波に乗れず、店は閑古鳥が鳴く日々が続いた。しかしバブルがはじけ、時代が「本質」に目覚めた頃から、斉須さんの料理は確実にファンを増やしていった。「赤ピーマンのムース」や「エイとキャベツ」など、数多くの看板料理がいまも愛されている。

そんな斉須さんに、数年前から変化が起きている。以前はすべて自分が描いたシナリオ通りに事が進まないと気が済まなかった。しかし、いまは違う。手綱を緩めはしないが、若いスタッフにも手段を提供するようになった。

「僕も年ですから、自分の思いを成就するには体力が足りなくなってくる。だから若い力を引っ張り込んで、僕の体力をカバーするわけですよ。全部思い通りにならない日常がある。でもそれをよしとしないとやってけない」

では料理に関して何か変化は?「調理法がだんだん本質重視になって、鋭い方向になってきた。オックステールもそう。僕ね、歳とったからって穏やかになりたくないの。だからみんなの思惑通りにはやらないよ。落ち着くのが嫌なのよ。いま57歳なんだけど」

若い人に向けて、「自分たれ」という言葉で締めくくった斉須さん。「人の真似せず、自分の生き方で生きろ」と叱咤激励。料理も同じ。日々厨房で戦い続ける「おとっつぁん」からのメッセージは、胸に熱くこだまする。

よりシンプルに、よりシャープに。 進化を続ける看板料理

国産牛のしっぽの煮込み 赤ワインソース

パリ「ランブロワジー」時代からつくり続ける看板メニュー。「以前はフォン・ド・ヴォーを入れて味のふくらみをねらって調理していましたが、最近は赤ワインとオックステールのだし汁だけで仕上げるようになりました」と斉須さん。 そのぶん味は幾分シャープさが増した。煮込みに使うワインは「紫色でタンニンが強く、甘ったるくない」という理由で、いまはラングドックの赤をたっ ぷりと使う。見た目はどっしりだが、食べると軽快な味わいに驚かされる。

chef’s history

’50 福島県で生まれる
’68 18歳で料理の道に進み、その後「レジャンス」などのフランス料理店で修業。
’73 渡仏。「オーベルジュ・ド・カンカングローニュ」で4年働いた後、「オーベルジュ・ド・タンブリエ」「ヴィヴァロワ」「タイユヴァン」などで修業。
’81 ベルナール・パコー氏と「ランブロワジー」開店。その後、二ツ星を獲得。
’85 フランスから帰国。
’86 東京・三田に「コート・ドール」オープン。シェフに就任。
’91 オーナーシェフとなる。

text by Kanami Okimura/photographs by Hiroshi Fushiki

「もっとうまい料理を」。どん欲さをバネにして

ラ・ブランシュ 田代和久さん

「青山学院の西門前。マンションの外階段を上ってドアを開けると、温かな空間が待ち受ける。毎日手拭きで磨く木の床は、古いキズやきしむ音さえこの店にしっくりと馴染む。温かいのは空間だけではない。田代和久さんの人間味溢れる人柄が、料理にも血を通わせていることが、常連客の心を掴んで離さないゆえんだろう。「僕はオープン当初から、自分でうまいと思えば、魚も日本のイサキやマナガツオ、野菜もタケノコなんかを使っていました。『なんで日本料理の食材使うの?』って当時はよく聞かれましたけど、とにかく旬のおいしいものを大事にして料理をつくりたかった」

そんななか、日本人の味覚を持つ自分と、フランス料理人である自分との狭間に揺れ動いた時期もあったという田代さん。そこで意を決し、1週間フランスへ旅立った。

「とにかく当時話題になっていたレストランを、連日昼夜食べ尽くしました。そしたらうまいものを『うまい』と実感できたんですね。そこで自分の味覚を信じて、このまま突き進めばいいんだと確信できるようになったのです」「ラ・ブランシュ」の厨房には、築地で買い付けた活きのいい魚や各地の農家から届いた青々とした野菜が溢れる。生産者の顔を頭に思い浮かべながら、いかに素材の持ち味を引き出すかを日々試行錯誤しながら考えるという。

「スタッフにはまず、素材の大切さを教えます。それから、一枚のお皿をお客さんに手渡しするような感覚を身につけろと。盛り付けも、皿に穴があくほど意識を集中して盛る。技術がなければ気持ちだけでもいいから、人それぞれの持ち場で仕事をしてほしい」

同世代のシェフとの交流もあるが、みんな共通しているのが「もっと自分はうまい料理をつくりたい」という、どん欲さだと田代さんはいう。

「でもね、なかなかうまくつくれない時もある。毎日が試行錯誤の連続で、一日があっという間。でもその悔しさが、明日のバネになってるんですね」

試行錯誤を繰り返し、 生み出されたイワシ料理

イワシとジャガイモの重ね焼き トリュフ風味

イワシ料理だけで今まで100品ぐらいつくっているという田代さん。この料理はオープンして約3年後に誕生。テリーヌ型にベーコンをしき、ジャガイモとイワシを重ねてトリュフを加え、オーブンで蒸し焼きにした。季節によってジャガイモの種類が変わるため、その都度つくり方を吟味。コーヒーカップには鶏のブイヨンと生クリーム、アンチョビを合わせてとったスープを温めたもの。ソースを飲みながら料理を食べる感覚がおもしろく、特にフランス人の常連客にうけているという。

chef’s history

’50 福島県に生まれる。
’68 高校卒業後に上京し、東京食糧学校(現・東京栄養食糧専門学校)入学。
’78 渡仏。「ルーランデ」「ギー・サヴォワ」「バリエル・ニュイ」などで3年間修業。
’82 帰国後、銀座「レザンドール」のシェフを3年間務める。
’86 青山に「ラ・ブランシュ」オープン。オーナーシェフとなる。

text by Kanami Okimura/photographs by Yukari Nagase

本記事は雑誌料理王国155号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は155号発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。掲載されている商品やサービスは現在は販売されていない、あるいは利用できないことがあります。あらかじめご了承ください。


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